- ベストアンサー
旧来の寺社は地域に支えられていた?
- 戦前戦後までは冠婚葬祭も家で行う者も多く、親戚や近所の人手が要るため、親しくされていた。
- 現在に比べると収入は少なく、披露宴も質素ですが、付き合いは大事にすることが映画『男はつらいよ』の第1作博とさくらの披露宴からも伺われる。
- 寺社との付き合いは仏教の教義というよりも地域との付き合いであり、地域が寺社を支えていた。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
> 旧来の寺社は地域に支えられていた 寺社にもいろいろあって、封地を持っていたところもありますし、お金を貸して利息で成り立っていたところもあるし、御布施やお初穂料などでなりたっていたところもあるでしょう(神仏混交の時代です)。 例えば東京の寛永寺などは、天海僧正の創建で、彼の権力にへつらって諸大名からの寄進が相次いだそうです。将軍家の法事でもやれば途方もない御布施が献じられたでしょう。 金主からお金を預かって、上は大名から下は庶民にまでお金を転貸し(年利2割?)、「返済しないと仏罰があたる」と言って取り立てたお寺社もあるようです。 加えて、今は信仰の自由がありますが、江戸の昔は「寺請け」という制度があり、庶民は旦那寺に自分の檀家であることを証明してもらう(宗門人別帳に搭載してもらう)必要がありました。 なので、人々は、毎年お寺に行く必要があったのです。当然、御布施を出したでしょうし、当然、檀那寺には墓もあったでしょう。法事には坊主を呼んだりしたでしょう。御布施お布施おふせ..... その都度自動的に入ってきていました。 地域の庶民支えられた所もあったし、そうでないところもあったし、というのが真実でしょう。 が、必ずしも自主的に支えたのではなく、「昔は団結心があってよかった」、今は「地域が弱体化してしまって」という話にはなるまいと思います。
その他の回答 (1)
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6930/20490)
宗教は 現在ではただのビジネスですから 在来宗教は 冠婚葬祭 新興宗教は 詐欺まがい商法 信者は騙されやすい素質を持つ人。 実存主義哲学者のアルベール・カミュは「神々は死んだ」と ショートショートの星新一氏は「神の住む星を訪ねて遠くまで旅してたどりついたら 人の信仰心を糧として生きていたので みんな飢え死にしてしまっていた」と 日本でも外国でも同じことを考えていた。
お礼
ご回答有難うございました 実存主義哲学者のアルベール・カミュは「神々は死んだ」と ショートショートの星新一氏は「神の住む星を訪ねて遠くまで旅してたどりついたら 人の信仰心を糧として生きていたので みんな飢え死にしてしまっていた」と 日本でも外国でも同じことを考えていた。 ビジネス化と人の心に付け込む事が多くなったという事でしょうか? 心を大切にすることを第一に置かないといけないと思います
お礼
詳しいご回答有難うございました 封地を持っていたところもありますし、お金を貸して利息で成り立っていたところもあるし、御布施やお初穂料などでなりたっていたところもあるでしょう 所謂 荘園というものでしょうか? 金主からお金を預かって、上は大名から下は庶民にまでお金を転貸し(年利2割?)、「返済しないと仏罰があたる」と言って取り立てたお寺社もあるようです。 又、頼母子講というものも表向きは「金銭を集め 困った時に助け合う」という事ですが ねずみ講式の金貸しで成り立っていたところもあるのでしょうか? 又、本山の周りには小さな寺があり、その寺のお布施や地代を本山に払うことで成立していたこともあるのでしょうか? なので、人々は、毎年お寺に行く必要があったのです。当然、御布施を出したでしょうし、当然、檀那寺には墓もあったでしょう。法事には坊主を呼んだりしたでしょう。御布施お布施おふせ..... その都度自動的に入ってきていました。 地域の庶民支えられた所もあったし、そうでないところもあったし、というのが真実でしょう。 やはり、寺壇制度が根底にあったのだと思います