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孤独な人はシンプルで覚っている

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 昔でも狂信的な人はそう多くなく、
 法的には戦後政教分離となったが、寺社仏閣の行事への参加は
 地域の行事 風習としての参加という形で成り立っていたのだと思います。
 (大阪のある都市で現在は都市化しておりますが、昭和40年代頃までは農村だっ た地域は豊作を願い、地域でお伊勢参りをしており、自治会費にその積み立てが
  含まれていたが、ある時期(昭和50年頃)
  に農家で生計を立てている家も少なく成ったのと、
  政教分離というものがうるさく成ったので地域の行事という名目では辞め 
  現在では任意で個人負担で旅行を兼ねてお伊勢参りを行っているそうです)

  村社会は「助け合う」「譲り合う」といえば聞こえが良いですが、
  そこに「村八分」「過度のブライバシーの侵害」というものがある事なのでしょ  うか?
  その様な中で煩わしさから都市部への流出、「一人でも生きて行ける」と
  いう時代に成ったのでしょうか?

  逆に言えば「村八分」を何処吹く風と「突っぱねて行くと」
  それで「楽な生き方」でシンプルで覚っているのでしょうか?

  私も友人知人関係も余りべったりした関係は嫌で、村社会の良い部分もある反面
  訳の解らない事で相手をのけ者にしたりすることは 閉鎖性が生んだもので嫌い  ですし 学校のいじめの問題も特に何もないのに 相手の欠点を粗捜しして
  苛めの対象にする事も似た様な手口だと思うのです 個人は個人で大切に
  と思う事もありますが、行き過ぎた個人主義の人は少し淋しい気がするのです。

  儀式や墓参りも故人への思いを偲び 悲しみを整理する場かと思うのですが、
  その様な事が無駄と思っている人はある意味「死」とはそんなものと覚っている
  のでしょうか?
  「それぞれが心の中で思えば良い」と云っている人が居り、儀式も(葬儀だけで  なく結婚等も)「思う」事の切欠に過ぎないと思い、儀礼の派手さより、参加者  の「心」かと思うのですが、「個人主義」の人は「面倒」という思いが先行して  いる様に思います。
  又、「煩わしい人間関係が嫌」で「付き合いを絶ち」「一人でやります
  唯貴方の事も干渉しません」という事なのでしょうか?

  一例を挙げると彼は「好きな事はする」「親兄弟始め親戚の冠婚葬祭一切行かな い」「趣味の会での参加や旅行はする」「趣味の会で誰かが結婚したり亡く成って もお祝い等は一切出さない(ポリシーですで通す)」
 彼は父の死も「年取って死ぬのは当たり前 良い時に死んでくれた」
 「死後の世界なんて知らないし 興味もない 死ねば唯の廃棄物」
  「昔の人が無知だったから」
  「だから俺は自分の好きな事に生きる」とこう云っておりました
  「親父の事も他の親族が勝手にやる分には構わない あいつらは悲しいし
   義理もあるだろう だけど俺は親父はいい時に死んでくれたと思っている
   もう整理はついてある」という事を言われました
 ケチと云うよりある意味覚り、悲しみも少なく 人生その様なものと思っているのでしょうか? 
 そして、科学的に究明され「死は廃棄物」とある意味覚っており、自らもその様なものだとしているのである意味強いのでしょうか?
  ご回答お願い致します。

回答 (全1件)

  • 回答No.1

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人間は誰でも自分の体の中に閉じ込められている限り孤独だと思います。つまり生きている限り孤独ということです。おたがい孤独だという共通理解があれば一応孤独からは脱却できます。
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