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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:無神論者の方は佛教をどう捉えておられるのでしょうか)

無神論者の方が佛教を捉えるとは?

このQ&Aのポイント
  • 無神論者の方が佛教をどう捉えているのかについて調査しました。無神論とされる方は霊魂や死後の世界を否定すると言われていますが、釈尊の教えは自己の理解を重視しており、霊魂の存在を否定しています。
  • また、佛教の教えは本来儀礼に依存せず、自己を知ることを重視していますが、現代では教団の護持が優先されている傾向があります。これは戦後の核家族化や科学技術の進歩による影響もあると言えます。
  • 無神論者としては、自己の理解や霊魂の存在を否定し、現世に執着しない考え方を持っている人もいます。一方で、科学的な観点から死後の世界や意識の存在を否定する見解もありますが、遺族の思いや儀礼の必要性を考えると、単純に否定することは難しいとも言えます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.2

(1) 釈尊の自己を知る事や有無を離れる事も無意味無価値と思っているのですか? 「自己」等知る必要は無い、自分の思うがままに生きればよいと云う  思いなんでしょうか? 又「有」に執着されておられるのでしょうか? ↑ 思想の一つとして、それなりの価値は認めていますよ。 ただ、信者のように無批判に、それだけを盲目的に信じたりしていない というだけです。 尚、仏教に神はおりません。 仏陀とは悟りを開いた人間のことで、神とは別物です。 だから無神論者云々は仏教には適合しません。 (2) 昔、「人は死ねばゴミに成る」と云う癌告知をされた伊藤栄樹氏と云う検事の方が 「霊魂を否定し」「意識は無くなりものとなってしまう」と云う結論を下されましたが、 遺族は「私が貴方を思う気持ちはどうするの」と云うと本人は 「死後もこの世の思いを引きずられたら叶わない」と云われました。 科学的に見ればゴミでありますが、遺族の思い過ごして日々と云う処から、 墓や儀礼が生まれたのだと思いますが、私の事を決別し、 忘れてくれと云う事なんでしょうか?      ↑ 現代科学はおおむね、死後の世界については 否定的ですね。 意識は脳細胞が織りなすネットワークの作用に過ぎない という説が有力です。 ノーベル賞受賞者の利根川教授も、魂の存在を否定して います。 しかし、人間から宗教的情感をぬぐい去るのは無理だし、 良くありません。 宗教的感情が無になれば、遺体などただの生ゴミになって しまいます。 そんな世の中は殺伐として、非常に住みにくい世になる でしょう。 人間に、最低限の宗教的感情は必須です。 ただ、世の宗教家がいう宗教が気にくわないだけです。 あれは、宗教産業株式会社です。 仏教など、死体に群がるハイエナ産業です。 (3) 唯物論(私も完全に否定しませんが)は金銭が満ち溢れれば、 情等の思いと云う処は必要ないのでしょうか? 私も霊魂は否定します が自己を知る 科学的には死ねば物質となる 伊藤栄樹氏の指摘には賛同できますが、 反面私が今生きているいのちも多くの無数のいのちのより存在し、 私も死を迎えますが、宗教儀礼関係無く、その繋がりの中に居ると思います。 この辺りの事をご回答戴きたいと思います。     ↑ 人間社会に宗教は必要なのでしょう。 それを利用して金儲けに走る輩が絶えないので問題になる のです。 新渡戸稲造の武士道にあります。 「御国では宗教教育をしていないと聞きましたがホントですか?」 「ホントです」 「お~、それでどうやって子供達に道徳を教えることが  出来るのでしょう?」 宗教には次の効用があります。 ・食物連鎖の頂点に立つ人間の上に位置する存在を創る  ことにより、人間を謙虚にさせることができる。 ・死への恐怖を緩和できる。 ・道徳に対する根拠を与えることができる。  どうして人を殺してはいけないの?  ウイトゲンシュタインが主張しているように  これに理論的に回答するのは不可能です。  しかし、宗教を利用すれば説明は簡単です。  神様がそうお決めになったのだ。

その他の回答 (7)

noname#225664
noname#225664
回答No.8

無神論者であり、霊魂は無いと信じる人はあえてこの質問はしないはずですが? 残された者への配慮、 そしてシンプルに密葬をお願いすれば万事解決かとおもいます。ブッダ様の時代とちがい、現代では 多くの「霊魂の存在」情報がありますから、それを信じ、死後の安らぎをイメージするのもいいですよね。

  • bekraf
  • ベストアンサー率42% (16/38)
回答No.7

>私の事を決別し、忘れてくれと云う事なんでしょうか? 忘れようが覚えていようがどっちでもいいんです。 ただもう死んだんだよ。ってことです。 (1)に関しては本当に無神論者で宗教に関しては無知ですから何を聞いているのかもわかりません。 (有)って何でしょうか? あと、己を知るって己の何を? ? その聞き方は宗教知ってる人じゃないと何を聞いているのかもわからないんです。 (3)もまた、宗教している人って抽象的な聞き方するんだけど、宗教している人の感覚をあまり深く知らないから何を聞いているのかもわかりにくい。 根っからの無神論者は宗教など深く勉強しないと思う。 そこから感覚のズレは必ず生じるんです。だからこそ抽象的な言い方は極力さけないと、会話そのものはできるにはできますが、事実ではなくなるんです。 互いに会話しているようでも互いに別の事を話していることがある。

  • qwe2010
  • ベストアンサー率19% (2199/11101)
回答No.6

信仰心が、なくなった原因は、お寺の運営の有様を見てのことです。 一番信仰していないのは、寺の和尚ではないかと思われます。 信仰とは、徳を積むとか、たずねたことがあります。 その答えは、一円でも多くお寺に寄付をすることだと教えられました。 葬式をあげれば最低50万円必用です。 法事でも3~5万円包まなければ少ないと言われます。 本来の教えでは、いくらでもよいと聞いております。 まじめに、教えを守って運営しているお寺もあります。 ここだと、信仰しても良いと思えましたが、 他のお寺は、生活のため利益を得るため、本山に多くのお金を納め、自分の地位を、守るために金集めをしています。 上記の原因以外に、子供たちが都会に出て行き、又相続の関係で、家が代々続いていかない環境になってきました。 香典をいただいても、お返しができなくなり、家族葬となり、簡素化されてきています。 昨年から、こんなお家が急激に増えました。 所得も低くなり、葬儀にお金をかけれないお家が増えたのも原因と思われます。 子孫のために、葬儀をおこなわない人も増えています。 佛教は、法事があるので、いつまでもお金がいります、お宮で葬儀をすればその様なことがありません。 中には、葬式でなく、お別れ会とする人もいます。 それに参列しましたが、お経などもなく包みもなく、友人とか自分の親しい人だけを呼んで歌などを歌っておこないました。 私の周りには、信仰心のある人はほとんどいません、行事としておこなっているだけです。 人が死ねば、無に帰り、その人の思いではそれぞれの心の中に生きている。 お経は、誰のためにあるのか、それは生きている人の心を支えるためです。 今はなくなっていませんが、昔92才だった和尚さんに教えていただいた物です。 この言葉だけは、信じることができます。

回答No.5

所々用語が専門すぎて理解出来てないので回答になるか分かりませんが… 私の家は父方が昔からとある宗教に入っています。 母は結婚して暫くしてから入りました。 同時に私と兄妹も入ることに。 ですが年を重ねるごとに宗教や信仰というものに反発や疑問を抱くようになりました。 身も蓋もない話ですが私は目に見えないものを信じようとは思わないんです。 何か自分の身に起きて、奇跡的に救われたとしてもそれを神のお陰だとは思わず「…奇跡だ」と捉えます。 死後の世界とされる所謂、天国を否定するつもりはないしあると思います。 厄払いに寺や神社にだって行くし初詣に神社にだって行きます。 神前式も良いと思うしお葬式でお経を唱えるのも必要だと思ってます。 ただ宗教の信仰となると話は別なんですよね…

noname#218778
noname#218778
回答No.4

神を否定する事と人間を否定する事は別じゃね。(´・ω・`)

回答No.3

まず、はっきりさせておかなければならないのは仏教と啓典宗教(ユダヤ・キリスト・イスラム教)と宗教の質が違う事であります。ひとくくりに宗教と考えると誤解を生みかねません。(1) 仏教(どの時代の何の宗派かで大分違います)では神を立てても良いが、救済とは余り関係ない。(2) 啓典宗教は神がいなければ成立し得ない。救済も神が深く絡んでいる。一応以下仏教も沢山あるので煩瑣哲学を体系的に持つ中観派・唯識論系統を本来の仏教と仮定してお答え申し上げます。(奈良の南都六宗の法相宗がこれに近い宗派です) (3) 唯物論でしたら人間の識(八識説を採用所謂、見る・聞く・触覚・匂う・味を感じる五感に+これらを統合する作用として意識+末那識(まなしき)=所謂無意識+阿頼耶識(あらやしき)を唯識では想定しておりますが、果たしてこれらも物質に還元できるのか?唯識は一種の唯心論ですからその見解は唯物論と対立します。 今回はこれくらいにしておきご興味があれば参考文献等を挙げある程度対応いたします。

  • mpascal
  • ベストアンサー率21% (1136/5195)
回答No.1

回答になっているかわかりませんが。 一般的な日本人にとって仏教は、葬式、法事等でお世話になるだけです。 仏教の信仰というより先祖崇拝的な気持ちのウエイトが大きいようにも思います。

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