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佛教の「無」と無神論者の「無」は違うのでしょうか?

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 佛教は印度の遥か昔は仏像等本尊も無く、
 私の心の煩悩からの開放 当たり前であるが苦しき事(老病死)を受け入れていく 事により、覚りの世界へと到達すると云う事が根本にあったと思います。
 その象徴として、本尊や浄土や霊山というものが生み出されたと考えられます。
 「死ねば唯のカルシウム」と云われる方が居られますが、
 「唯のカルシウム」「無に還る」という意見は私も同意できますが、
 私の生命も遡れば「無」と云う事から始まり、その繋がりの中にある、
 そして、亡き方からご縁があった、そこに「今科学的に観て生命が生きている   「有」ものと成る「無」という世界では解釈できない「有無をはなる」という
 世界だと思うのですが?」
 説明が悪く申し訳ありません?
 1 無神論者の方にとっての「無」は仏教の「無」とは違う「無意味」「無価値」なものであり、死ねば完全な「もの」として捉えていくという事なのでしょうか?
 (私自身も死ねば「遺体」「白骨」と解釈しますが、何処かに亡き方とのいのち
  の繋がりもあるそれこそが同じく「無に還る」という事なのではないかと思います)
 2 無神論者の方は 今が良ければそれで良いのでしょうか?
   葬儀の参列 墓参りは科学的に何の根拠もないので無意味 無価値なのでしょ  うか? 遺体は処理し、遺骨は捨てる、それで終わりという感覚なのでしょう   か?

回答 (全3件)

  • 回答No.3

ベストアンサー率 31% (2164/6941)

私ですか? 
火葬場でそのまま捨ててもらえれば、最上です。
すぐに始末しなくちゃならないからこその、村八分の残り二分が葬儀なのだから。
なんでわざわざとっておくのか、意味がわからないです。
死後の世界観は個々人のものです。
どう表現できれば良いのかが、わかりません。

旧来の葬式仏教、葬式&墓ビジネスを否定するだけで、
あなたからすると、「無宗教で虚しいではないですか?」という
呼びかけにはなるのでしょうね。

確かにホネ=カルシュウムだと、質問者も喝破されて納得しているのはお見受けしますが、祭祀?としてまさに儀式化された葬儀とか、墓とか、そういうものを
尚の事重要視されているとしか見えない。

だとするなら、今や継承する家族・子孫もない。
ならば、どれだけ、ホネ置き場の預り代金としてン百万、ン十万を己が払うか、
あるいは、遺族が払うか、払いたがるかという話にしかならない。

都心の、ビルロッカー状態の墓?はタダの貸しコンテナーとどう違うのか?
朝晩のご供養は欠かさないとはある。

コレを信心?宗教?安寧?として認知できるものかどうかです。
義理で出る葬式も減りました、最初からなくなったひとを知らないで参列するようなことはあることです。
大きな葬儀ほどそうなる、互いに生きているひとのために、参列するのが
葬儀の義理、人情、認識。

男女雇用均等法以降は女性も職を持ち広く活躍を期待される以上、婚姻により、通念上、男性の苗字に改姓する?
’ヨメ’規範に縛る寺の墓そのものがなじまない。
旦那の「家」とか、葬儀とか、その次にある墓というのは、男の儀式・男のホネの置き場所です。

ちがうなら、宗教上の「家の墓」はシステム上どうなる?を解決してない。
更にです、継承者がだれもいないとなれば、永代供養を依頼して、その後は墓を畳んでというようなことになるなら、たたまれるまでの間、住んでいるわけでもない「ホネ置き場」のためにン百万、ン十万が法要も含めているのか?

ソレを宗教というなら、それもまた宗教心があるということだとは思う。

寺とは関係なく、市民墓地もあって○○家の墓だけもある。
○○家もないのもある。
が、しかし、管理費をん年滞納する(継承者がいなけりゃそうなる)なら、
タダのホネの置き場所です。

で、皆、最初からスッキリと捨てるか、墓に50年、100年?150年のタイムラグがあって、結局捨てられるかの違い。

その根底にあるのは、死んだ後の遺体を含む、「骨」=イメージとしての
死後の世界観を意味したいのでしょうけど、結局はものとして「骨」にこだわっているだけだと、私には、あなたがそう見えます。
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  • 回答No.2

ベストアンサー率 39% (2438/6104)

生活・暮らし カテゴリマスター
無神論なんていわれるとだれのことをフォーカスしていいかわからないからその観点は私は無視します。

プロテスタントのイギリス人なんて無神論者だと思いますけど、聖書に書いてあることをごたごたこだわる。また、日本人が無神論者だというけど平気で神頼みしていますし。
哲学的におれは「無神論」という信念でいるという人を思いつきませんし、無神論の聖書だとか仏典みたいなものを知りませんので言うべきことがありません。

般若心経の話をします。

有名な色即是空空即是色です。

ものがない、と思うこと、それは存在することを知っていてその対偶としてのない、ですから、ないことを考えるのはあることを考えるのと同じことになります。その逆もしかりです。無、とおもったときそこには必ず有の意識が光をあててているわけです。そこにあるのは、何かが「ある」と思う超絶意識であってその意味で有は無のことであり無とは有のことなんです。

ものはもともと存在しないのだ、それを在ると思うのは空に実相があるからである。

で、お釈迦様が言っているのは、舎利子よつまり弟子よ、ものを解決するのは一つであって、先に行け、先に行け、どんどん進めということだ。です。
どこに行くかというと、無の世界であり、仏の世界です。そこに波羅僧掲諦と言っているのです。

これが真言の教えるところであり、有と無は価値として同じものなんです。
死んだあとが無の世界だから意味がないとかそういう考えはないんですね。
  • 回答No.1

ベストアンサー率 30% (857/2791)

仏教宗派の信徒です。この最初の部分については私も勉強不足でお答えする事は出来ませんが、私の宗派(お念仏では無い)の教えとしては、仏法では過去、現在、未来の三世にわたる生命の因果を説いています。この三世の因果は仏法の骨髄であり、これを抜き去ってしまったら仏法は全くの存在が失われると言っても過言ではありません。世間では「死ねばおしまいだ」「死んでしまえば石ころと変わらない」といって三世にわたる生命の連続すら認めない人が多いようです。どれだけの財産や学問があっても所詮は先祖の真の追善供養も出来ず、自分も地獄に行くのです。(地獄という別の世界があるのはありませんが)無神論者とか、無宗教と言われる人たちは、貴方が仰る「無意味」「無価値」と捉えると思います。
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