戦争遂行体制への疑問

このQ&Aのポイント
  • 太平洋戦争に関する疑問を抱く
  • 統帥部や統括組織の不明瞭さに疑問を感じる
  • 戦争を遂行する組織の異常さについて考える
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戦争(太平洋戦争)を遂行する体制への疑問

 太平洋戦争に関する小さな文庫本を1冊読んだだけなので、誤解もあるかも知れませんが、当時の体制に、「これが本当に戦争をやっている国の体制だろうか???」という疑問が湧いてきました。  というのは、当時の日本の戦争遂行体制として、おおまかに、「軍令」としての大本営(統帥部:参謀本部と軍令部)と「軍政」としての陸軍省・海軍省が取り仕切っていたと理解しているのですが、総合的にとりまとめる組織・機関なり役職というものがはっきりしません。要するに国を挙げて国難に立ち向かおうという体制になっていなかったのではないかという印象です。それぞれがバラバラという以上に、むしろ対立していたのではないかという印象さえ受けました。国民にだけは、とてつもない大きな犠牲と挙国一致、一丸となってと押しつけておきながら。てめぇらなにやってたんだ、という印象です。言葉が汚くて<(_ _)>  私は、今のところ、統帥部とか、統帥権自体は否定しませんが、……まだ良く分かっていません。……統帥部の中の参謀本部と軍令部は対立していたという以上に連携がなかったような印象ですし、統括すべき天皇は、実質機能していなかったように思われます、そもそも天皇にそんな責任を負わせるべきものではなく、何らかの統括組織なり、役職が必要だったという気がしています。私のような軍事の素人には考えられないことですが、軍令と軍政を統轄する組織がない。何のための陸軍大臣、海軍大臣なのかも分からないし、総理大臣に至っては、戦争を遂行する組織の中でどんな位置にあるのかも分からないような存在だったという印象です。   物量の差だとか、情報力の差だとか、敗因はいろいろあると思いますが、この組織を見て、「これじゃ、戦争には勝てないわなぁ」という気持ちを持ちました。(T_T)誤解があったら指摘して下さい。  質問は、そもそも「戦争を行うための組織体制」というのはこんなものなのでしょうか???ということです。例えば当時の米国の体制だとかと比較しても、やはり、私の印象のとおり、異常だったのでしょうか???ということです。そして、異常だとすれば、何か歴史的な経緯があるのでしょうか???ということです。  また、ついでながら、現在の日本の組織(内閣や防衛省や自衛隊)は、防衛のための戦争を、一体となって行える体制になっているのでしょうか???なんか知りませんが、大臣も知らなかったという「日報」なども問題になっているようですが。ご意見を賜りたいという趣旨です。

noname#238475
noname#238475
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質問者が選んだベストアンサー

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  • eroero4649
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回答No.3

お話のテーマは、実に深い問題であります。我々はあれを「過去のこと」と考えますが、それは決して終わったことではなく「日本人の宿痾」ともいうべき問題なのです。 さて、今の日本は各省庁で縦割りの制度となっていて、その横の連携はほとんど存在せず、ときに官僚は自分の省の予算獲得を目指すあまりに「国益より省益を優先する」といわれることがありますよね。 軍隊というところも、お役所のひとつです。それは大日本帝国もアメリカ合衆国も変わりません。そうなると縦割りで横の連携が全くとれていなかった旧陸海軍を、縦割り行政を持っている国が批判できる立場にあるのか、というのはいえますね。戦後の対米貿易摩擦で、外務省と通産省と大蔵省(当時)がそれぞれ別個にアメリカと水面下で交渉をしていて、特にしばしば外務省が蚊帳の外に置かれたなんてことはよくあった話でした。 では現代の自衛隊ではどうでしょうか。一応最終責任者としては内閣総理大臣が三軍自衛隊の長となっています。しかしですね、もし内閣総理大臣が自衛隊を自由自在に動かすことができたら、例えば今の安倍首相がモリカケ問題やら日報問題で追い詰められたので自衛隊に出動命令を出して東京に戒厳令を敷く、ってことだってできてしまいますよね。 実際、大統領に大きな権限があるお隣の韓国ではその昔にそうやって逆クーデターをするような形で軍隊が出動してソウルに戒厳令が出たなんてこともつい40年くらい前までありました。 日本はそうならないように、閣議決定しないと簡単には自衛隊は動かせないようになっています。 この話は書き始めればキリがないのでそこそこにしておきますが、ただ別にこれは日本だけの話ではなくて、あまり知られていないだけで実はアメリカも必ずしも一枚岩ではなかったということを今回の回答で書いておきたいと思います。 第二次世界大戦のアメリカは、ほぼ単独で日本と戦い、イギリスと共にドイツと戦い、中国とソ連に膨大な軍需物資を支援していました。これだけ考えてもものすごいですよね・笑。そしてアメリカの方針としては「まず対ドイツ最優先」というのがありました。 しかし、対ドイツ戦は陸軍がほとんどで海軍の活躍の場がありません。だから米海軍としては「あー、ドイツが終わってから日本でいいですよ」なんていったら予算が貰えなくなります。だいたい軍艦なんて作るのに何ヵ月もかかりますからね。それだけではなく米陸軍内にも太平洋方面にはマッカーサーという自己顕示欲の塊みたいなオッサンがいました。だから、ヨーロッパ戦線のアイゼンハワー将軍、太平洋戦線のマッカーサー将軍、海軍のキング提督との間で予算の引っ張り合いというか、そういう激しい内部抗争が実は存在したのです。特に日本ではほとんど名前を知られていないキング提督ってとてつもなく優秀で、とてつもなく気が荒い人でね。なにせ部下から「ニトログリセリン」と陰でいわれていたってんですから。まあ実際出てくるエピソードは「アメリカ版織田信長」みたいな話ばかりです。 第二次世界大戦参戦国で国が一枚岩だったといえるのは、ソ連くらいだったのではないでしょうか。尤もあの国で、優れた指導者にして進歩的全人類希望の星同志スターリンに逆らおうものなら人民の敵は粛清されてしまいますけどね。

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。  「日本人の宿痾」ですか。「日本人の」というよりも、「人間の作る組織とその中での人間の行動」という意味において、共通する「宿命」なのかも知れないなぁ、と感じました。  「国益より省益を優先する」……良く分かります。組織の行動を考えるときの基本原則かも知れませんね。そういった観点から、見直してみます。  日本はそうならないように、閣議決定しないと簡単には自衛隊は動かせないようになっています。……残念ながら、当時は政府として「閣議決定をする」という仕組みさえもなかったように思うのです。  この話は書き始めればキリがないので~~みたいな話ばかりです。……大変興味深い事例を紹介していただきありがとうございました。

その他の回答 (7)

回答No.8

何処の国でも陸軍は特攻バカと言えるくらい闇くもに戦う傾向があります、それに比べ海軍、現在では空軍もですが、海の上、空の上で逃げ場が無い所で戦うわけですから、防衛と攻撃の双方を考える必要があるから、陸軍的考え方と海軍的考え方は異なります。 事実海軍は第一次世界大戦では連合国として、イギリスなどと共同戦線を行って居たわけで、特に体制がおかしければ、共同戦線などできません、それは観艦式で自衛隊が一斉に同じ方向にキレイに操舵できる、これらは統率が取れてる証拠で、第一次大戦当時から日本の統率力は世界最高水準と言われていました、第二次大戦だけダメだったというのは考えにくいですし、数にまさるアメリカが苦戦したのはその統率力だったとも言われるほどです。 そもそもなんで日本が戦争を始めなければならなかったかという点ですが。 あの当時は植民地でなかった有色人種の国は日本とタイだけです、そして白人に勝っていたのは日本だけである、つまり、白人にとって、目障りなのは日本人だけであり、しかも、商品の製造が上手く、経済的にもすごく伸びていたという点です。 そこでアメリカは植民地であるフィリピンやインドシナ半島の海峡封鎖に出たわけで、北回りではロシアがいますし、太平洋と言っても、フィリピンの東側は台風の発生地それより東はアメリカです、つまり、商業的な経済制裁と石油のストップで日本を植民地化しようとしたわけです、だから、日本軍特に海軍はフィリピンやインドネシアに攻めていき、陸軍は陸上を中国を通って進軍したわけです。 戦勝国の力でGHQなどがその事を封殺したのは当然ですが、日本ではその当時の歴史をタブーとして教えていません。 またアフリカやアジアの植民地時代の歴史も教えていません、数百年間植民地だった訳です。 https://www.sekainorekisi.com/17%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%B0%E3%81%AE%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E8%AB%B8%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E5%9C%B0%E5%9B%B3/ 日本は秀吉が鉄砲を作らせた訳ですが、当時は鉄砲は最先端の武器であり、ヨーロッパでもそうたくさんあるわけでは無かったようです、そして、ポルトガルなどが日本を植民地化しようと思った時は、世界の鉄砲の50%が日本が持っていたという状況だったので、日本の植民地化を諦めたと言われています。 http://www.tos-land.net/teaching_plan/contents/1897 そして第二次世界大戦では、真珠湾攻撃と言う世界で初めての大量の爆撃を受けて、アメリカが本気になったと言われています(このままではアメリカ本土が攻撃されるかもしれないと思ったようです、アメリカの沿岸まで飛行機を運ぶ空母とその戦闘機による攻撃は、日本からアメリカは離れていると言う安心感を一気に吹き飛ばしたようです)

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。 何処の国でも陸軍は特攻バカ~~考え方と海軍的考え方は異なります。……なんとはなくですが、想像できます。 事実海軍は第一次世界大戦では~~その統率力だったとも言われるほどです。……私もそう思いますが、「統率力」を問題視しているのではありません。 そもそもなんで日本が戦争を始めなければならなかったかという点ですが。……これからの私のテーマです。 日本は秀吉が鉄砲を作らせた訳ですが、~~日本の植民地化を諦めたと言われています。……初めて知りました。大変興味深いお話しですね。ありがとうございます。 真珠湾攻撃と言う世界で初めての大量の爆撃を受けて、アメリカが本気になったと言われています……この辺の事情はまだ良く分かりません。そもそも米国の読み違いもあったということもあるかも知れません。ただ、その後の戦争の遂行に利用したことは確かだと思います。

  • kaitara1
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回答No.7

意見にもならない程度のものです。私は黒船来航から考えないといけないと思います。薩英戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争、第一次大戦、そのほかの経過で作られてきた制度を考えることが大切かなと思います。

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。  意見にもならない程度のものです。……そんなことはありません。  私は黒船来航から考えないといけないと思います。薩英戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争、第一次大戦、そのほかの経過で作られてきた制度を考えることが大切かなと思います。……制度ばかりでなく、「なぜ太平洋戦争が起こったのか」ということも、私の疑問として、これから考えようと思っているのですが、まさに「歴史」ですから、何処まで遡るのかということは、本質を理解する上で重要なポイントだと思っています。

回答No.6

太平洋戦争や,泥沼化していた日中戦争に際しても,一応,旧日本軍のトップは,明治憲法上,昭和天皇でしたし,太平洋戦争開始時の総理大臣だった東條英機氏も,一応,昭和天皇に,戦況報告などをしていましたが,昭和天皇が,太平洋戦争開戦時などに期待した報告などは,結局,戦時中の,日本本土への米軍の無差別空襲や,攻撃などを見ても,一目瞭然で,結果が全く,伴っていないことなどは,明らかでしたが,太平洋戦争末期には,昭和天皇も,後戻り出来ないような,どうしようもない事態でしたし,旧日本軍のトップである昭和天皇の周りには,結局,まともな軍人や,側近などが,ほとんど居なかったようです..旧日本軍の上層部などは,陸軍大学や海軍大学などを出た,いわゆる,当時のエリート官僚ですから,エリート意識だけが強く,いわゆるノンキャリアである,叩き上げの軍人達などは,実戦で,活躍しましたが,やはり,その上下関係や,階級的なしがらみなどは,厳しく,部下などへの体罰なども,当然で,当時のエリートであり,キャリア官僚などである高級軍人達の考えは,貧窮し,次第に,過剰な精神主義へと傾いて行ったのかもしれません..又,昭和天皇は,軍人達から,天ちゃんと呼ばれ,太平洋戦争末期には,旧日本軍などが降伏しなければ,昭和天皇や大本営などは,信州の松代の奥地の御在所などへ,移される予定でした..日中戦争は,陸軍メイン,太平洋戦争は,海軍メインで,両立しようと思ったのかもしれませんが,結局,戦況悪化に伴う,当時の大学生や,専門学校生の学徒動員により,幹部候補生という,訳のわからない肩書きにより,太平洋戦争や日中戦争に,否応なく駆り出され,前線で亡くなられた若い大学生達などが,一番,かわいそうだったかもしれません..現在の日本には,軍隊がありませんし,基本的に,アメリカ軍の監視下や体制下に,日本政府や自衛隊なども,置かれていますので,なかなか自力で武力を持ち,他国から,国を守ることなどは,難しいと思います..

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。  当時のエリート官僚ですから……特に大本営の中枢部というのはそのようですね。現在の高級官僚と呼ばれる役人とダブって見えます。(*^_^*)(T_T)  若い大学生達などが,一番,かわいそうだったかもしれません……国家の損失という観点からは、大きいものがあったかも知れませんが、塗炭の苦しみを味わった国民や異国の地やジャングルの中で死んでいった兵士たち、皆かわいそうだったと思います。

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (811/3029)
回答No.5

組織上は天皇がすべて統帥権を持つので、大本営政府連絡会議、あるいはその後最高戦争指導会議をつくりそこが戦争指導をするということになります。 政府は天皇の下、軍部も天皇の下、並立です。 戦争指導会議ができると天皇隣席の御前会議でその会議そのものが天皇の意見となるのでここがトップです。 現実に中心人物がいない構造ですが、これが伊藤博文が苦心して作った立憲君主制の政体なんですね。分散型の構造で独裁や腐敗が起こりにくく、また天皇に近しい元老が大本で国の舵取りを担えます。 家康の作った徳川幕府の構造もそうですが、一人に権力が集中し独裁を招き天皇の権威を凌駕することを防ぐように、一箇所に権力が集中せずすべての組織が天皇大権のもと天皇と直結するようにできています。 分散型の組織構造は平時は安定するが有事に動きが鈍い、逆に集中すれば機動的効率的な運営が出来る代わりに腐敗や乗っ取りを招きがちですね。 戦争には弱いです。

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。  大本営政府連絡会議・最高戦争指導会議……これなんですねぇ。それなりの構成になっているのですが、適切な情勢の分析と適切な対応策の決定という観点から、軍政と軍令のバランスがとれていたのか???  分散型の組織構造は平時は安定するが有事に動きが鈍い、逆に集中すれば機動的効率的な運営が出来る代わりに腐敗や乗っ取りを招きがちですね。戦争には弱いです。……組織論として勉強になりました。

回答No.4

そうですよ 有名なのは陸軍と海軍の対立 もしお互いが一枚岩だったら戦争はもっと違った結果になってたかも? 結局陸軍も海軍も自分たちが手柄を立てて天皇に褒められたかった そして個人として出世したかった と言うのが根底にありそうです アメリカは軍の全権は大統領にありました 日本は建前上天皇に軍の統帥権がありましたが統治権が無かったため 軍に口出しできなかった 日米の違いはそこです

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。  もしお互いが一枚岩だったら戦争はもっと違った結果になってたかも?……違った結果になることが良かったかどうかという問題はあるにしても、あまりにも「お粗末」という気がして質問しました。  手柄と出世ですか。戦争にはつきものかも知れませんが、インパール作戦……まだ囓ったばかりですが、……の牟田口中将の招いたはかりしれない犠牲のことなどを考えると腹が立って納まりません。もう少し勉強してみます。  日本は建前上天皇に軍の統帥権がありましたが統治権が無かったため軍に口出しできなかった……まだ、勉強不足で、「???」ですが、天皇が「統治権」を併せ持っていたとしても、お立場上、結果はあまり変わらなかったのではないかという気がします。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2589/17102)
回答No.2

今の自衛隊はだいぶ改善されましたが、これは私の知る限りは阪神淡路大震災以降からです。 それまでは救助要請を出すときは陸海にそれぞれ別に出す必要があり、相互の繋がりはほとんどありませんでした。そのことを知らない自治体が、片方に出したから当然もう片方にも連絡がついていると思い込んでいて、ちぐはぐなことになったのは知られています。

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。 それまでは救助要請を出すときは~~ちぐはぐなことになったのは知られています。……全く知りませんでした。戦争の教訓というものが活かされていなかった、というよりも、「そんなものなのですかねぇ」と涙が出てくるくらい情けない気持ちになってきました。「俺が、俺が」という戦功が頭の中を占めているのですかねぇ。

  • catpow
  • ベストアンサー率24% (620/2527)
回答No.1

はい、質問者さんが思われているように、日本は大東亜戦争を戦うとき、それぞれの組織はバラバラというか、お互いに対立しながら戦っていたというほうが正しいかもしれません。 陸軍と海軍が合同作戦を行うってことは、ほとんど無かったみたいですからね。 「日本の勝利」「敵(米軍)に勝つ」よりも「自分たちの組織が相手の組織よりも上となる」ことのほうが重要だったみたいに思えます。

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。 「自分たちの組織が相手の組織よりも上となる」ことのほうが重要だったみたいに思えます。……どんな確執があったのか知りませんが、日清、日露戦争に勝った「奢り」でしょうか?

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