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「輔弼」と「輔翼」について(明治憲法)

暇なときにご回答ください 国務大臣は天皇を「輔弼」する立場だったので、天皇は国務大臣の決定には口を出さない。 これに対し、参謀総長、軍令部総長は天皇を「輔翼」する立場だったので、天皇の意向にそった作戦計画を立てなければならない。 。。。ということでよろしいのでしょうか。 天皇は、陸軍大臣の決定には口を挟めないが、参謀総長の決定には口を挟める、ということでしょうか。 というと、陸軍大臣の方が参謀総長より偉い、ということでしょうか。陸軍大臣と参謀総長と教育総監は並列関係だと思っていたのですが。

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  • caesar-x2
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回答No.1

決定するのは名目上、あくまでも天皇です。 これは天皇は失敗・敗北してはならないので その責任を大臣や参謀総長ら文武の官がもって 辞任なり処罰なりされるための制度です。 ようするに制度的な”身代わり”。 明治憲法の観念で、 天皇の行為としてなされ或いはなされざるべきことについて進言し、 採納を奏請し、その全責任を負うことが、「輔弼」です。 国務上の輔弼は国務大臣、 宮務上の輔弼は宮内大臣および内大臣、 統帥上の輔弼は参謀総長・軍令部総長の職責です。 輔翼は単に輔佐(補佐)と同じ意味です。 天皇は大権があるので決定を下すことも 覆すことも、異例ながら憲法上は可能です。 しかし現実的には事前に協議され奏上されたものを 承認するだけになって、ほどんどのケースで 親政をしませんでした。 これは昭和天皇の立憲主義的立場によるものと 組織優先の考えからきていますが、 厳しい判断や決定を先送りする傾向が強く 弟の秩父宮親王が激しく非難したことでも知られます。

Houghton
質問者

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