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太平洋戦争のときに軍部の拠点を集中攻撃すればよかったのでは?

太平洋戦争の時に、アメリカが日本の首相官邸や 陸軍省、海軍省、国会議事堂などの当時の日本の行政の中枢を 集中攻撃していれば、軍部の戦意が喪失してもっと早く戦争を終わらせる ことができたのではないでしょうか? なぜアメリカはこのような戦法を取らず、民間人を大量虐殺するような 攻撃を行ったのでしょうか?

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  • michael-m
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回答No.15

中枢を直接攻撃し、当時の総理大臣や軍首脳が死んでしまえば、軍は事実上の分解をしますが、各個がゲリラ化し収拾がつかなくなります。現に横井正一さんなどを見て明らかなように、軍は中枢の命令が途絶えた場合でも、命令遂行を実施するような機構を取っています。 更に、国の指導者が失われれば、戦争終結の決定が出来なくなります。これはイラクを見て明らかであり、米国はフセインを国民の手に委ね殺してしまった事により、戦争終結の調印を押す相手すら失ってしまったのです。 更に、もし当時、天皇が死んでしまったらどうなっていたでしょう。当時の国民の感覚から、米国は全国民を敵に回す羽目になったのではないでしょうか? 米軍が本土上陸をせず、原爆投下に至った原因の一つにゲリラ化を恐れたという説があります。もし天皇を傷つけてしまえば、国民の多くがゲリラ化し、収拾がつかなくなることを恐れたのだと思います。 指導者の殺害は、中世までの強圧植民地政策では有効ですが、近代国家間の戦争では目的が異なり、むしろ逆効果なのです。 軍部や首脳の戦意を消失させる最も有効な手段は、軍備の破壊であり、現に米軍などは軍需工場を目標に攻撃をしています。ただし、この地域に住民を留める事も戦略上の常套手段なので、この地域の攻撃には多くの一般市民の犠牲も伴ってしまいます。 これは後にベトナムで証明されましたが、消費型の戦争を得意とする米軍などは、ゲリラに対して極めて弱いのです。 もう一つは先の回答にあるように、日本軍は各地に首脳部を分散させ、一箇所が破壊されても、それぞれに指揮系統を組み立てられる計画を立てていました。ですから、首都を早期に攻撃しても逆に攻撃すべき目標が分散するだけでした。 …と私は解釈しています。 実際、首都攻撃は何度も行なわれましたが、日本の降伏は、それによって実現したわけではありません。

noname#51509
質問者

お礼

当時、天皇を殺害することが得策ではないことはわかります。 昭和天皇は戦争に消極的だったようですからね。 中枢を破壊しても逆効果になることもあるんですね。 ありがとうざいました。

その他の回答 (14)

  • Yelm
  • ベストアンサー率19% (63/324)
回答No.14

現実に「米国はこうすればもっと早く日本を降伏させる事が出来た」と言う点については主に以下の二点があるでしょう。 ・潜水艦による通商破壊作戦にもっと力を入れる 開戦直後の米潜水艦は魚雷の故障が頻発し、戦力発揮の大きな障害となりました。 また艦隊決戦やフィリピンへの物資輸送などあまり効果のない作戦に少なからず投じられていました(これは日本海軍と全く同じ)。 もし開戦前から潜水艦による通商破壊作戦に全力を投じていれば、あと一年早く日本は降伏したとまで言われています。 ・日本本土空襲時に鉄道施設の破壊に重点を置く これは戦後になって日本の運輸関係者が米軍の調査に答えたものですが、米軍が鉄道施設に対する攻撃に積極的で無かった事を不思議に思っていたそうです。 当時の日本では既に船腹の不足から、海上輸送は窒息に近い状況にあり、また道路も未整備で自動車もロクになく、またガソリンも無い当時の日本では道路輸送もままなりません。 鉄道輸送こそが日本の命脈だったにも関わらず、米軍はそれに対する認識が不十分だったと思われます。 もし鉄道施設を重点的に攻撃されていれば、日本の降伏は何ヶ月か早まったことでしょう。

noname#51509
質問者

お礼

物資の断絶が戦争の早期終結につながるのですね。 ありがとうございました。

  • komes
  • ベストアンサー率29% (147/494)
回答No.13

近代国家というものはそんなに脆弱な構造ではありません。 確かに軍部を全滅させれば戦意を喪失するでしょうが、それは非常に難しいことです。 組織は必ず交代出来るように作られているものです。 大本営は東京の他、松本に堅固な地下要塞を用意して本土決戦に備えていました。 国会議員を皆殺しにしても国民が残っていれば選挙で補充できます。 国民の戦意を失わせる最も有効な手段は国民全部の生活を破壊する事です。  戦争継続に必要な能力を奪うことです。 米国はその戦略に従い、国民の住居を焼き払い、軍需物資の生産能力を奪うこと、交通手段を破壊する事で生活物資の流通を破壊したのです。

noname#51509
質問者

お礼

軍部の壊滅は想像以上に難しいのですね。 ありがとうございます。 でも、当時の日本では言論弾圧が厳しく、軍部の独裁状態でしたから、 国民の戦意を失わせても意味がないような気がします。

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.12

軍の中枢を叩く事は、戦術の基本ですが、壊滅させる事は、戦略的に下策です。 もしもアメリカ軍の爆撃で日本政府が壊滅してしまえば、各地で戦っている部隊は降伏する事ができず、徹底抗戦するしか手が有りません。 その場合、日本は無政府状態となり、現在のイラク以上に悲惨な事になりますし、そんなところに米軍が進駐すれば、現在のイラク以上に苦戦する事となります。 当時としては、ソ連の進出にも警戒する必要が有りましたから、すばやく日本を安定させ、反共の拠点とする事が必要でした。 そのため、日本政府の壊滅をするよりも、降伏させるほうがアメリカにとって有利であったわけです。 日本政府が降伏に応じれば、日本の警察組織や官僚組織、地方組織は残りますから、日本の治安などは守られ、すぐに復興に手がつけられます。 しかし、日本の中枢を壊滅させてしまいますと、降伏できない軍の徹底的な抵抗や国民の反米闘争などにより、日本の国民の生活、日本の産業などは、壊滅的被害となり、より復興に手間と費用がかかってしまいます。 日本政府が降伏に応じるためには、徹底的な戦力の差を見せ付ける必要があり、そして日本国民にその事を認識させる必要がありました。 そのための戦略爆撃です。 イラク戦争でのアメリカ軍の失敗は、イラク政府の中枢を真っ先に破壊してしまった事にあります。

  • KITAIKKI
  • ベストアンサー率55% (462/838)
回答No.11

 なかなか面白い観点からの質問ですね。たしかにそういう考えもあることはあるのですが、ではなぜ米軍がそれを実行しなかったかといえば、やはりそこにはちゃんとした理由がありました。とはいえその前にいくつかの前提を挙げさせてもらいます。  まず第一に、今ではB29といえば戦略爆撃機の象徴としてもてはやされていますが、実はそれほど精密な爆撃が出来る機体ではなかったということです。中国本土の成都から飛び立ったB29が日本本土を初めて空襲したのは1944年6月15日のことです。目標は九州の福岡八幡の日本製鉄でした。戦果はといえば、結果的に製鉄工場は殆ど無傷で、最も近いところに落ちた爆弾は目標の1.2キロメーター、最も遠いところに落ちた爆弾はなんと32キロメーターということでした。もちろん日本側の防空戦闘機の存在も精密な爆撃を阻害したということもありましたが、高度400~600メーターという低空からの爆弾投下にも関らずこのていたらくでした。  第二に当時の日本の軍事的な状況です。先に書いたB29の初爆撃はマリアナ諸島サイパン島上陸作戦に呼応した爆撃作戦だったということです。マリアナといえばもうお分かりだと思いますが、このときを持って日本海軍は組織的な海軍航空作戦能力を失っていますね。つまり米軍にとって日本海軍はもうそれほどの脅威ではなくなったということです。つまりこれより米軍の軍部首脳が相手にするのは、日本陸軍だといってもいいということになります。  第三に米軍と日本軍との人的被害、つまりは戦死者に対する思想の違いです。日本軍に関してはいまさら書いても詮無いことですが、米軍はその反対で兵士の戦死傷、つまりは自国民に対する損害には敏感だったということです。  以上を踏まえて本題に入りますが(前置きが長くなって申し訳ないです(-_-;))、当時アメリカ政府はその戦略会議において日本本土の爆撃に対する作戦を作成する際、当然ながら優先爆撃目標をピックアップしました。そして同時に爆撃を避けるべき目標も選別しています。そこには京都とともに東京の皇居も入っていました。理由はご想像にお任せしますが、問題はあなたの言われる当時の日本の政治軍事の中枢のロケーションです。  いわゆる戦争遂行の中枢「大本営」は、日本陸軍参謀本部の建物の中に在りましたが、それは三宅坂上にありました。といっても分かりにくいかもしれませんが、この地が皇居と国会議事堂や首相官邸に挟まれた形になっていると書けばお分かりかと思います。大本営は皇居の内壕に存在していたのです。  アメリカがたとえ日本の戦争遂行能力の本拠地だけを一気に叩こうとしても、先に書いたB29の能力と爆撃制約を考え合わせれば、かなり難しかったかと思います。おまけに日中戦争以降、大本営は宮中に移設されています。つまりまかり間違えて皇居に一発の爆弾でも落とすものなら、搭乗員や司令官の軍事裁判どころか、やっと終結の糸口が見えかけてきた戦争が、日本国民の感情を逆なですることよって長期化することも考えられたということです。  さらに言えば、もしその爆撃制約がなかったとしても、東京上空はつまりは帝都上空であり、その防空態勢は他の地域よりはるかに濃密であったということです。これは言い換えれば、アメリカの戦略爆撃部隊に大きな被害がでることが必至であったということです。結果的に戦争期間を通じて、アメリカの戦略爆撃機部隊であった第20航空軍は485機のB29と212機の戦闘機を失っています。人的損害に眼を移せば3041人を失っています。このような人的被害の増加が、高高度からの焼夷弾を使った夜間爆撃への作戦変更に繋がったのですが、このような理由からもあえて大きな被害を覚悟しなければならない爆撃ルートを選ぶ必然性はなかったといえます。  しかしそれでも戦争が一日でも早く終わるのなら、損害を覚悟してでもやるべきではないかという考えもあります。それはそれでありですが、日本と違って長期展望が出来るアメリカ政府首脳は、戦争終結をどういう経緯で行うかというシミレーションも当然念頭においていました。そしてそれには日本軍首脳と日本政府の存在が絶対条件でした。なぜかといえば、もしこれらの組織を一気に壊滅させれば中国、東南アジア、南太平洋諸島に点在する多くの日本兵が自動的に遊兵となる可能性がありました。遊兵つまりはゲリラだと思っていただければいいのですが、ある意味数千数万の組織的な軍隊より一握りのゲリラの存在が厄介なことは、今のイラク情勢が良く物語っているかと思います。アメリカ軍は戦闘状態のときの日本兵と、降伏後の従順な日本兵のギャップに驚かされますが、これはある意味日本人の特性を研究するよい機会になっていました。  そしてアメリカは戦争終結を自軍だけでは出来ないことを良く理解していました。戦争終結には全世界にアピールできるセレモニーが必要だったのです。そしてセレモニーには敵軍の全兵士、全部隊に戦闘行動の停止を通達できる権威機関が絶対に必要であり、これを消滅させることはアメリカの国益には合致しないことだったということです。  民間人の大量虐殺について言えば、東京大空襲や原爆投下は戦争遂行能力の収奪というより、戦争を管理し遂行する軍部や政府の中枢への恐怖心をかき立て、なおかつアメリカへの畏怖心を持たせるためと、日本国民への戦争への継続心を喪失させるため、そしてアメリカ人の生来の戦争好きな体質であると個人的には考えます。  これってなんだかこれまでブッシュ政権が起こした数々の戦争によく似てると思いませんか?    つい長くなりましたが、少しでも納得される回答になっていれば幸いです。

noname#51509
質問者

お礼

ありがとうございます。納得しました。

  • caesar-x2
  • ベストアンサー率46% (251/542)
回答No.10

戦略爆撃が最近は行われないのには 理由があって、第二次世界大戦の教訓として、 爆撃で相手の士気を挫くことはできないという ことが証明されてしまったわけです。 何人殺そうが、どれだけ破壊しようが、 むしろ爆撃を被った側の敵愾心を強めるだけで 降伏しようという気にはとうていならないし、 戦意も喪失しないのです。 官舎などを集中的に攻撃してもあんまり意味はありません。 民間人を殺すことも同じくあまり効果が無いので、 第二次世界大戦中も戦略爆撃の効果について議論があって 非人道性を批判する識者も実は多かったんですが、 報復の論理(西欧ではドイツ、アジアでは日本が都市爆撃を最初にやった)で 大戦中は続けられました。 しかし戦後は、その効果を再検証して、費用対効果の悪さ、 非人道性、軍事的意義のなさから、行われなくなったというわけです。 しかしながら何事、一度はやってみないと検証はできないわけで、 第二次世界大戦は最初の総力戦でもあったし、戦略爆撃が 初めて行われた戦争でしたから、そういう意味で試行錯誤があったということです。 ただ大半の都市を焦土にしても戦意を下げるという効果は 得られなかったわけですから、議事堂とか政治関連の建物を いくら破壊したところで、効果がないだろうことは、 容易に想像しえて、理解できるのではないでしょうか?

  • ARX7
  • ベストアンサー率15% (36/233)
回答No.9

質問内容の軍部の拠点を集中攻撃できれば、戦争を早期に降伏に持ってきやすいのは事実ですが、当時のB29では現代の航空機のように精密爆撃は、できません。敵の対空砲火の届かない高空から民間人を殺したほうが、効率いいと考えました。国会議事堂にいる政治家は、終戦交渉や戦後処理のためにいたほうが、有利でしょう。

noname#58790
noname#58790
回答No.8

モスクワなど良い。 古都レニングラードを落とせ。 古都を陥落させればこれで戦意を喪失するだろう。 我々は勝利できる。 これでヒトラーは大敗北します。 「独裁者」は、自分は神だから正しいからです。 >集中攻撃していれば、軍部の戦意が喪失してもっと早く戦争を終わらせることができたのではないでしょうか? なる訳ないでしょうが。 無傷の中国の関東軍50万人と戦車師団、空軍力が国内に帰ってきますよ。 米軍は予告爆撃しています。 それを口封じしたのは「日本人」です。

回答No.7

では逆に質問します。 某テロリストは米国の国防省通称・ペンダゴンに民間旅客機を突っ込ませ一部を破壊しました。米国国民と軍部の戦意は無くなったでしょうか? 某国はイラクの中枢施設に対して精密爆弾による攻撃を行いました。イラク軍は戦いを止めましたか? 何れも逆鱗に触れて前者はアフガン・イラク戦争の引き金となり、後者はクウェートの油田破壊に繋がったのでは? 行政中枢部周辺は対空砲陣地の巣です。そんな場所を攻撃しようと思ったらどれだけの損害を被るか考えてください。 民間地域を爆撃したB29は150機は撃墜確認されているんですよ。 ちなみに数年前、国鉄本社(旧鉄道省)のビルを解体した時、このビルには10m以上にわたって対爆撃用の防御鉄骨が組まれていたそうです。通常の爆弾では破壊ができません。 現在の日本の官庁も我々が見ているのは上部構造であって地下に対戦争用の施設が存在しています。この施設は対核爆弾を想定していますので原子爆弾を使っても破壊できません。 官公庁の施設を攻撃するのは愚の骨頂であって戦争を終わらすことはできません。

  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.6

行ってはいましたよ。 ただ、空軍による爆撃だけでは、降伏にまで持って行けることは少ないです。(というか、殆ど無理) 軍需工場等を攻撃して、供給を遅らせることはできますが、いずれ必ず復興して稼働し始めますし。 政治的な面から言えば、別に国会議事堂がなくても政治的な指揮系統さえ生きていれば、どこからでも指示は出せますしね。 ヒットラーも地下に潜って、最後まで指示を出していましたし。 近々の例でも、イラク戦争でフセインを屈服させたのも、米軍中心の軍隊が陸軍を導入してバクダッドを占拠した上で、隠れていたフセインを捜し出せたからですし。 その後の米軍への攻撃は、必ずしもフセイン軍の残党によるモノでもないので、まぁ、フセインの拘束をもって対フセイン・イラク戦争は終わったと見て良いでしょうね。 つまり、空軍だけでは一時的に軍需設備を破壊して補給を遅らせたり、攻撃力を下げる事は出来ますが、一国を侵略することは出来ません。 また、「軍需設備を空から見たら民家に見える」みたいな偽装も行いますので、空から一見しただけでは軍需設備だとは分からなかったりもします。(だから誤爆が起こる) なので必ず、陸軍でもって侵攻する必要があるのです。 なので、米軍もハワイから太平洋島々伝いに侵攻してきたのです。

回答No.5

当時、アメリカは日本軍を過小評価しており、とても自国軍と互角に戦える実力があるとは思っていなかったというのが理由でしょう。 アメリカが日本を戦争に巻き込んだのは、ヒトラーがアメリカを恐れ、対米開戦をなんとしても避けようとしたので、日本に戦端を開かせ、ヒトラーをして対米戦に踏み切らせるためです。 実際に開戦してしまえば、敵地深く侵攻するのは自殺行為です。 ですが、実際問題として、昭和20年当初には、日本の補給線はやせ細り、そのまま海上封鎖を続けていけば、遠からず日本は降伏したはずです。 幾ら連合艦隊の残余があっても、朝鮮半島との補給線も脅かされている状況で、作戦行動は不可能です。 まあ、フィリピンを巡る戦いの中で、レイテ海戦でアメリカ軍が失敗しなければ、あの時点で戦争は終わっていたと思いますが。 あの後、大和等の艦艇が持ち帰った石油が無ければ、その後の特攻を含めた航空作戦は不可能でしたから。

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