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学問したら美しい言葉(精神)が喋れないと、

おかしくないでしょうか?

みんなの回答

  • zebura23
  • ベストアンサー率30% (252/820)
回答No.4

そうですね。 学問して究めると一つの塔がそそり立つけれども、 それをてっぺんまで登りつめると、 実は塔が瓦解して万物に帰してしまうという矛盾が起きる。 つまりそこではじめて意識・精神が拡大するわけです。 精神性の拡張、広がりとは、 すべてのものに美を見出していけることだと思う。 美に触れて変容した自分の中から出て来ることばが 今の自分自身を現している「ことば」だと思います。

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7250)
回答No.3

感覚的にはおかしいように思いますけど、岩波文庫なんか読むとそれは実感できますね。 岩波文庫の記述言語は、美しいなんていうレベルではなく、そもそも日本語かと思うようなブサイクで馬鹿な文章です。それが戦前から伝統として続いているんですね。あったまの悪そうな、脳が腐っているんじゃないかという文体です。 学問なんかするからいけないんで、自分の頭で考えること、人に説明できるように工夫すること、を励行したら、まさかにも岩波文庫言語人なんていう低劣な存在にはならないと思いますが。

回答No.2

どちらかというと、学問するほどに職業訓練の結果、美しさから遠ざかっていくんだ。 まあいいじゃないか、生産性を発揮していれば、奴隷として認めてもらえる。 その奴隷は、美しき人に憎悪するんだけどね。

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