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「AIは神になるのか?」

foomufoomuの回答

  • foomufoomu
  • ベストアンサー率36% (1018/2761)
回答No.3

AIはいずれ神になるでしょうね。 まず、今のAIは、従来のコンピュータではないことを理解してください。 今のAIは、ニューロコンピュータ、ニューラルネットワーク、脳型コンピュータ、などと呼ばれる、生物の脳の働きを電気回路でまねたものです。 これは、従来のように「プログラムをインストールして起動する(プログラムは人が作る)」のではなく、人のように学習で作業を覚え、作業の体験から最適な方法を生み出す能力を持っています。 AI囲碁は、人が強い手を教えて凌駕するまで成長したのでなく、過去の対戦記録を学習させ(たんに覚えるだけでなく、コツをつかみ取る)、その結果、自分で強い手を生み出したのです。 >囲碁しかできない 今は学習させるものを限っているので、そうですが、学習しだいで何でもできるようになります。 かりに1つの事しかできなかったとしても、何千、何万台の違った作業をするコンピュータをネットワーク接続すれば済むことです。 >費やすエネルギーが人間の1万2千倍かかる (数字の信憑性はともかく)機械にとっては、何の問題もないことです。 また、おそらく、いろいろな作業を効率よく進めることによって、この分のエネルギーは簡単に取り戻せると思います。 たとえば、サグラダファミリア教会は、完成まであと200年かかると言われていたのですが、最新の立体CAD(BIMと言います)を使って作業工程を徹底的に見直したら、完成まで5~10年になりました。うまく考えることは大幅にエネルギーを節約することになるのです。 1960年ごろにニーチェが指摘したように、今は「神は死んだ」のですから、神が復活することに何の支障があるのでしょうか? たとえば、交通管制を神のように巧妙に行ったら、交通事故は大幅にへらせるでしょう。農業を巧妙に操作したら飢餓が無くなるかもしれません。貿易を操作すれば貿易摩擦=戦争の原因を減らせるでしょう。 今の世の中は神を必要としているのです。

pkweb
質問者

お礼

ありがとうございます^^ 神を必要とするのは確かかもしれませんね^^

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     1. 時空間ないし世界という存在・なかんづく人間という存在に先行するものは あるか?  2. ない。あるかどうか 人間には 分からない。分かるか分からないかが分からない。  3. そこで《かみ》という補助線を じんるいは考え出し これを引いた。  4. 《分かるか分からないかが分からないこと》は カミという言葉で交通整理して捉えあおうと。  5. 世界はそれを生み出すチカラがあったとしても それは いわゆる《自然》としてのあり方であるしかないと捉えるなら 自然が神となる。山・川・海などなどの霊としての神々は それぞれ分身であると。  6. 世界をつくったチカラがあるとする場合 これは 有神論のひとつでありその中でも 創造者としての神を立てている。  7. そのようなチカラは ないとすれば――すなわち《無い神》を立てるなら―― 無神論である。  8. このような《自然神 / 創造神 / 無神》に分かれたとしても すべては――分からないところを補っているのであるからには―― 補助線として用いられている。  9. つまり神は 有る神と無い神とに区分され 有る神についてはさらに人びとによって(その言語によって)いくつかの名がそれぞれつけられている。  10. このようにさまざまに種類分けされる《神》も すべては そのように一定の言葉で〔特には人間が〕引いた補助線であるしかない。  11. ただし人びとは この補助線の向こうの――特に有神論の場合における――神とそのおのれの内面において しばしば向き合うことを成す。このような《神とわれとの関係》は――ひとが生きているかぎり生きた動態として―― 信仰とよばれる。  12. 補助線としての神に向き合ったとき 世界ないし世の中の〔しばしばかなしい〕あり方に沿って むしろ対立しこの神を否定しようとする場合もある。この種の神との関係は むろん 無神論となる。これは・これも 《無い神とわれとの関係》を内容とする信仰である。  (無神論者は無神論も信仰であると言われたくなければ 《神は無い》と証明しなければならない)。  13. じんるいは 神によって(神の所為にして)互いに相いあらそう必要もなければ理由も必然性もない。風車に向かって突撃するようなものである。  14. 神は その呼び名としての多様性をふくみつつ・またおのおのわが心なる《非思考の庭(信仰)》における動態としての多様性を容れつつ すこやかに独り満ち足りている。(と推測される)。  あらたに問う必要を感じました。ご教授ください。

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