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よく『兄弟姉妹と比較しちゃ駄目』と聞きますが
子育てのNG行動で『兄弟姉妹間での比較』といったのを聞きます。 劣等感が生まれたりするからだかだそうです。 ところでふと気になったのですが、親→子(兄弟姉妹)の比較は×。 では、子(兄か弟か姉か妹)→子(兄か弟か姉か妹)というのはどうなのでしょう? 兄弟姉妹間がギスギスする様になったり、比べられたほうに何らか精神的な問題が出来てきたりするのでしょうか? 例えば ・妹(受験勉強辛いなあ…。というか鬱々しくて、勉強開始するのも一苦労だ、ああ勉強しなきゃ…) 姉「私は志望校楽勝過ぎて、受験勉強そう頑張る必要も無かったから図書室で横山光輝の漫画読んでたわ(ケラケラ)」 と、自分は優秀だからみたいなアピールや ・弟「こんなのも出来ないとか兄さん馬鹿でしょ」 兄(どうせお前とは出来が違うよ…) と、相手をこき下ろす発言。 少なくとも、比べられた側は良い気分になれないと思います。 とはいえ親と違い、子育て、教育の意は無く、単なるコミュニケーションです。 成長してからのほうがそういった発言も起こりやすいでしょうから、幼児期のトラウマ云々とかには当たらないかと。 とどのつまり、兄弟姉妹間での比較行為は、比較されたほうの精神や性格に問題を与えるものでしょうか? それとも、そう重大な事にはならないものでしょうか? 回答よろしくお願い致します。 【余談】姉妹の例えは、妹→私の実話です。
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- nonamelane
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>問題を与えるものでしょうか? 与えると思います。その言われた本人だけではなく、そういうことを堂々と言って良い日常を互いに認識するのが問題になると思います。これはコミュニケーションとすれば最低のレベルです。まして一回限りで終わるはずがありません。普通はそこで親が入り、そういう発言は相手の心を傷つけると教える場面です。が、子は子同士で解決させるために自由にさせるという勘違いした親が多く、野放しにしています。中には怒らない子育て論を持つ馬鹿な親もいる。が、大きな間違いです。結果として、人の気持ちの動きが読めない大人になると思います。 思いやる能力は頭脳のうちに入ると思います。それは人と人、相手の動きや考えがある程度予想できないと駄目でしょう。これはただの同僚同士の会話を言っているのではありません。仕事上の進め方や態度も横柄で身勝手では大きな損失を招くと知るべきです。あるいは助けてもらった経験が無ければ、仕方がないと引っ込んでしまう。もちろん競争社会の連続です。しかし家の中は多くの役割を担っています。蔑むようなことを言われても、それがトラウマになるかどうかは親の介入次第、それが分からない、知らない親子が多く、未来に様々な問題を生じる気がします。
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2724/12275)
>兄弟姉妹間での比較行為は、比較されたほうの精神や性格に問題を与えるものでしょうか? 比較した方にも与えますよ。そしてその場合は完全に上下を見切ってしまった場合だと思います。 単なる年齢での上下による兄弟の関係の上下は別にして、相手より何かが秀でてて、だからあいつより自分の方が上だ、とか劣ってて自分が下だと思い込むとその感情が歪んでいって、ついには他人も比較の対象としてしか見れなくなってくることがあるのだろうと思います。 親からであろうと子同士であろうとお互いを比較しても秀でているところと劣っているところを認め(合い)、尊重するならば問題は起こりにくいのだろうと思います。
お礼
回答ありがとうございます。
- Yumikoit
- ベストアンサー率38% (849/2209)
こんにちは。 ん~。難しい問題ですよね。 我が家の場合、家の中でというよりも学校とか友達とかによく兄弟間のことを較べられたようです。主に、弟が「お前の兄貴ってこうなのに、お前はどうしてこうなの?」という感じで。 特に、小学校の頃に長男が参加してたのが通学している学校の場所を借りてやっていたスポーツで、とにかくそれでよく目立っていたのですね。するとやっぱり「お前もやらないの?」みたいな話になる。休み時間とか体育の授業で「お前の兄貴だったらもっとうまくやれるだろうに」みたいな話をしてくるやつがいる。それがすごく嫌だったようです。 弟の方は全く違う競技で、隣の学区にある別のスポーツを既に始めていたので 「やりたいことが違うんだからしかたないよね」 「違うお前が父さんも母さんもいいと思ってるよ」 という話をしていましたので、それが自信にもなっていたようです。 幸いに中学になってそのスポーツで部活にも入りましたのでずっと続けられるスポーツでよかったなとも言っていました。 逆説的になりますが、違う自分でそれでいい、と認められることによって、チームメイトが辞めることになった時などにも「彼にはもっと大事なことができたんだね」というと兄貴も弟も、それなりに納得できるものがあったようで、違う価値観を認めることにもなったんじゃないかなと思います。 兄弟間だろうと友達だろうと、比べようとする人間はどこにでもいて、完全に止めることはできません。その時に、較べないでいてくれる存在がいる、ということが自己肯定の拠り所になるんじゃないのかな。そんな風に思います。
お礼
回答ありがとうございます。
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7250)
親とか大人から言われた場合は、自分たちより上の存在の判断ですから、存在の否定につながって聞こえます。 特に親が言ってはならないのは、一番年長の子供を「惣領」というような言い方でいうことです。実質はそうかもしれないけど、一番大事なものとその他のゴミというような感じで聞こえて弟や妹から感じると、その恨みは極大になります。 きょうだい同士の言い合いは、基本的に何を言ってもかまいません。 おまえは頭悪いといってもいいし、カンがよくねえなといっても全然かまいません。 理由は、基本的にきょうだい間は対等だからです。より早くうまれたかどうかの違いだけですから。ほんの数センチの身長の違いをあれこれいうのと同じことです。わたしのほうが賢くて、勉強しなくていいんだもん、というような話は、こいつう、と叩く真似をされるだけのことになります。 兄弟姉妹間でおかしな感情が発生するのは、進学先とか、財産が絡む場合です。このときは、必ず親が絡んでいます。 また、年を取ると、介護の金額や労力の負担で恨み合いになります。ここで惣領問題が出て来ますから、これにも親が絡んでいます。 憎しみは、より上に存在するものからの評価にからんで発生するのです。 カインとアベルの問題は、神が貢物を喜んだかどうかであり、映画の「エデンの東」のあの話は、父親がどう考えたか、ということに尽きるのです。 親から見ると、できのいい悪いはあるんですが、そんなことは決して言うべきではなく、表情にも表してはいけないのです。
お礼
回答ありがとうございます。
- kanemoto_s
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>親→子同士の比較で劣等感 確かに劣等感が生まれるような比較の仕方はよくないですね。子供自身が劣等感をあまり持たずに、自分のよくない部分に気づくように指導して成長を促すことが大事なのではないでしょうか? >子同士のコミュニケーション 親子のコミュニケーションで劣等感を感じさせないことが、大事であれば、子同士のコミュニケーションで劣等感を感じさせないことも大事ではないでしょうか? 2つの違いは人間関係の距離の近さくらいであって、劣等感を持ってしまっては意味がありません。 また、馬鹿にした方も度を越したプライドを持つようになり、馬鹿にされた方も誰か別の人を馬鹿にするようになり、それはいじめの始まりです。 要は、 ・自分は駄目な人間だと思わせない ・他人を馬鹿にしない ・どの部分に問題があるか気づかせる ということでしょうか 。 どれが大事とかではなくて全部大事です。 あなたの文章は1つの駄目を潰すために、全体的に大事なものを忘れている、お役所仕事的な問題に陥っているように思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 仕事にも影響ですか…。 姉曰く仕事時等は、性格的な何かのスイッチをオンしているそうです。 そしてそんなスイッチもあってなのか、車の免許を取る時の適性検査で「気遣い出来るってさFooooo」とか言ってました。 ウチの中でくらいは気を遣わず楽にいたいのだろう、とは母の弁です。 せめて、私の椅子の背もたれの上、私の背中を壁みたいにして物を置き、落下すると文句言う、というのは堪忍なんですけどね…。
補足
あ、ちなみに我が家のカーストは、十中八九最下位が私で間違いないと思われます。 父は十年以上前に他界して不在ですし。