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差延、差異、多様性などの考え方による世界

デリダという人の差延という考え方や、 昨今流行の多様性などをふまえて世界や生き方を捉えてみると、 他人の成功例や、他人の考え方なども、必ずしも自分に当てはまるとは限らないという事になり、 歴史から学ぶ事も大事なのでしょうけれど、 差延や多様性も考慮すると、 「我流」といいますか、その人本人に適した方法論があると思われるので、 歴史を参考にするだけでは足りない、という様な時代になるのでしょうか? よろしくお願い致します。

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回答No.1

 話の視点がよくわかりませんが、行き過ぎたリベラリズム、多様性重視が宗教レベルまでいってしまうと、非常に窮屈だとTVで言っていました。  アメリカの白人至上主義のことを、ほとんど難民を受け入れない日本が何をか言わんやですね。日本も移民が半分いたら、日本人至上主義が出てきてもおかしくないですね?移民の少ない日本がアメリカの多様性や、白人と黒人の関係をどう理解すればいいか。強固な日米同盟の割には、日本人は全然興味がないのは何故なんでしょうか。日本は日本のことだけ考えていて、実はアメリカの事などどうでもいいのは、どの国も一緒でしょうか?

その他の回答 (1)

  • koosaka
  • ベストアンサー率43% (78/179)
回答No.2

デリダの「差延・ディフアランス」はソシュールの「差異・ディフェランス」から持ってきたもので、ソシュールの「差異」が、語と語のネガティヴな差異、といったように空間的なものとしたら、デリダの「差延」は語それ自体の時間的な差異というものです。 ドゥルーズは、語と語の差異を「程度の差異」といい、語自体の差異を「本性の差異」と言いました。 たとえば私たちは机があって、テーブルがあるという場合、机とテーブルの差異・違い、は誰でも分かります。 しかし、机自体の差異については、分からないと思います。 ベルグソンの哲学をドゥルーズは「差異の哲学」と言っていますが、ベルグソンは時間は差異によって成り立っていると言っています。 そして私たちは時間自体に差異があることは、分かりません。 それは、机自体に差異があることを私たちが知らないのと同じです。 ベルグソンは時間は運動するもの、持続するものと言っていて、それを知ることができるのは知性ではなく、直観であると言っています。 なぜなら、知性は固定したもの、静止したものなら知ることができるが、運動するもの、持続するものは知ることができない、と言っているからです。 これを言い換えると、人間は「程度の差異」は知ることができるが、「本性の差異」は知ることができない、ということになります。 そしてドゥルーズは、「多様性の哲学」を唱えています。 それは、プラトンにしろ、カントにしろ、古来、哲学では、「同一性」ばっかり唱えていて、「差異性」を無視してきたからです。 カントは、この世界は多様性(的)なのに、それをカオスと言って、人間がカテゴリーと統覚によって統一することで、カオスを秩序あるものとする、あるいは世界は一つである、といってきました。 ドゥルーズはそのカントの先入観、つまり世界は人間がそれを統一する以前はカオスというのは、先入観に過ぎない、と言って、世界は多様性(的)であって、みんな個々の物(者)は違う・差異があるのだと言います。 前置きはそのくらいにして、あなたの質問に戻りましょう。 「他人の成功例や、他人の考え方も、必ずしも自分に当てはまるとは限らない」といっていますが、それは他人の考えと自分の考えは違う、という意味でしょうか? 人それぞれ考え方が違う、それがデリダの「差延」とか、ドゥルーズのいう「多様性」というものだ、ということですか? どうですかねえ(笑)? 「程度の差異」に過ぎないのではありませんか? そして「歴史から学ぶことも大事なのでしょうけれど…・」と言っていますが、歴史を学ぶよりも、デリダの「差延」、ドゥルーズの「多様性」から学ぶ方が良いという意味でしょうか? それもどうですかねえ(笑)? 「我流、その人本人に適した方法論」があるから、「歴史を参考にするだけでは足りない」という訳ですネ? 歴史は「程度の差異」だから? では、お尋ねしますが、あなたの「我流、本人に適した方法論」というのは何ですか? デリダの「差延」にしろ、ドゥルーズの「多様性」にしろ、方法論ではありません。 かつての、プラトン以来の哲学の、そしてカントの、「同一性の哲学」の批判です。

go_in_me
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 勉強不足で申し訳ございません。 同一性の批判だったのですね。 「他人の成功例や、他人の考え方も、必ずしも自分に当てはまるとは限らない」と私が思ったのは、人それぞれにも差異があるとすると、みんな個性とか脂質が違ってくるので、他人の成功例や考え方は自分に当てはまらないのかなー、と思った次第です、、、 でも、確かに「程度の差異」かも知れませんね>< 「歴史から学ぶ」という事も、他人から学ぶ事と似ていると思うので、歴史と自分との間でも差異があるのかなー、と思った次第です>< こういう事を考えていて、自分に適した生き方とか、自分に適した考え方は、 結局は、自分の個性の中から作るものなのかなー、と思って質問致しました。 なので、 >>「我流、本人に適した方法論」というのは何ですか? というご質問への答えになっていないかも知れないのですが、 自分に適した方法論の答えは、各々みんなに差異があるので、答えの要素の全てを自分以外から引用する事は不可能で、 最終的には自分の中から作らなければならないのかなー、と思って質問しました。 お忙しい中恐縮ですかご教授何卒よろしくお願い致します。

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