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天皇を哲学する

 1. 万世一系とは いま生まれて来ている人の誰についても例外なく言えることです。  1-1. 記録がないだけでしょう。    1-2. 男系は 家筋としては途絶えているかも知れないけれど 血筋は とうぜん辿れるわけです。  1-3. 一般の人びとの場合は 側室による男系一系が少ないだけでしょう。  2. 天皇家は 祖先を遡るとアマテラスオホミカミにたどり着くと言う。けれども アマテラスは アメノミナカヌシらの神々のあとに出て来た神である。  2-1. そして――出生の謂われは生殖のかたちが微妙だけれど――スサノヲのミコトの実の姉である。  2-2. つまり 一般の人びとは スサノヲの子孫となっているが 天皇家も スサノヲの子孫である。スサノヲも 天皇家の祖先である。  3. 象徴天皇という社会的役割りは 決してめづらしいことではない。  3-1. 《スサノヲ市民社会 - アマテラス公民圏》なる連関制としての社会形態は 二階建て構造を成す国家という状態にかんして 世界において一般性を持つ。  3-2. アマテラス公民は 《公務員一般(狭義のアマテラス)とアマテラシテ》とに分かれるが この・象徴を意味するアマテラシテが やはり世界において一般的な元首のことである。  3-3. 具体的に 国王・象徴天皇・大統領などがある。  3-4. 一党独裁の党総書記は ふつうの国家におけるふつうのアマテラシテであると言えるかどうか。  ☆ 具体例を三件挙げました。――人びとはなぜ 天皇について哲学しないままでいるのか?

みんなの回答

回答No.15

サトシ。 死を望むかどうか問いかけよう。 セレビィの映画出演のポケモンと化した姿は、どうやら聖霊の屍のようだ。 ピカチュウは生きているか? 死んでいるか? 今年の映画にどんな作品発表をしたか、機会があれば今後確認しよう。 「つくよみ」ができる私は、見届ける前にサトシに期待していないだけの判断が出来ている。 またやっちまったようだね。 薄汚いいい子ちゃんは、子供に死に様を教えるヒーローだ。

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回答No.14

任天堂の話の続きだ。 ジラーチちゃんが古来から歯を食いしばった人間の与える屈辱を、セレビィのおとり捜査で証明したともいえる。 今後も継続的にあいつらが人間悪を代表する滅びの金字塔であることを証明していこう。 悪魔とは神を人間が辱めた姿だ。 ジジイ、君のガミガミぶりはそれとは別に好ましく頼もしいがな、ジラーチちゃんは子娘だぞ。

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回答No.13

君がうんざりしている、私の身の上話だ。 任天堂というのは、神にとことん懇願し、一方的にしゃぶりつくし、神が願いを託すことは無い泥棒なんだ。 ヤマウチが天才でなければゲームを作れないって言ったんで、私の才能である「実在する妖精」を発表したんだが、まさかの現象が起こった、後継のイワタは死の呪術を試して、泥棒の背負っている借金の返済に私の命を差し出そうとしたんだ。 これが確定した成り行きで、政府から障碍者として認定された、私の障害の根拠は、2001年セレビィが映画公開された7月を見て、同年8月に自分がセレビィであることを強くかみしめるという精神の崩壊だ。 あーそうですか、あなたはセレビィさんですか、それはそれはお気の毒な病人ですね。 で、公的認定を受けた障碍者だよ。 サトシはこれに協力的だったようだね。 薄汚いいい子ちゃんのままでいろ。 任天堂がかける死の呪術はイワタの怨霊化まで継続したよ。 現在の私は、ヤマウチ怨霊、イワタ怨霊に苦しめられる病気を医学的に治療中だ。

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回答No.12

> 善と悪 あるいは 正義といった観念からは自由である境地が おのが自然本性のふつうのあり方だと人は思っているはずだ。 君は思い出せるか、かつて仏教徒なのに全然わかっていないヘタレを君と一致団結していじめ抜いた時分に私が言った言葉だ。 「自らの信仰の正道を行け」 この正道を正義という言葉で表現していて、悪しき行いだろうと確信があれば我が道だ。 アマテラスさんの善の確信と働らきに助けられて仮面ライダーバトルを楽しむんだ。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ アマテラスさんの善の確信と働らきに助けられて仮面ライダーバトルを楽しむんだ。  ☆ わたしなら 次のようなオホモノヌシとヒトコトヌシの神のもとにあって あそぶことが出来ると思う。  ○ (モノとコト e = mc^2 ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~  モノ(物)―――もの(者)――――――――オホモノヌシ(大物主)  コト(事・言)―みこと(美言・命・尊)――ヒトコトヌシ(一言主)   ↓        ↓               ↓  自然・社会・・・・・ひと・・・・・・・・・・・・・かみ  * この範式において 次の図式も得られます。  モノの木――――――ねこ(根子)――――――――生命の木  日の移り行くコト――ひこ・ひめ(日子・日女)――日(光源)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

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回答No.11

アマテラスさんの歴史的成立過程を君は述べたね。 教えを受ける学習に耐える忍耐のない私には雑学だが、読んじまったので今後役に立つこともあるだろう。 時には君の話が命を助けるきっかけとなったことは過去もあったよ。 さてジラーチちゃんと幼馴染のセレビィにとっても、ジラーチちゃんとはションベン臭い年下に見えるほど、神様同士の世間づきあいに疎い。 かわいらしいおねだりをおっちゃんにもする。 ほかの人に頼むと死ぬんで、私にしか頼めないんだ。 神の意向が人を支配する形ではないんだよ。 人のお願い事を聞き届けたならば、神様は神様で、人に神の願い事を託したくなるんだ。 かわいらしい娘っ子だよ。 いじめてくれるな。 非難精神で検証する現代の悪癖はそろそろやめろよな。 神様と同居生活を送るのが日本人の伝統だよ。 雄略天皇も、連れ添う聖霊が名前を残していない事とは、彼は王として全うしても神として歴史上は認められなかったということだが、実力があるまさに天皇だよ。 良い奴のキリシタン大名は、十字架併設でもいいから社ができることを祈りたいね。 日本の神は受け入れているんだよ。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 日本の神は受け入れているんだよ。  ☆ いろんな神(つまり ひとつなる普遍神の分身としての神々)が一緒に成っている話をすればよいって感じなのかなぁ。  《アマテラス公民‐スサノヲ市民》連関制に成る前には わづかに ヒコとネコとに分けて呼んでいたらしい。  崇神ミマキイリ《ヒコ》イニヱのミコトとオホタタ《ネコ》と。  ヒコ(日子=彦)&ヒメ(日女=姫)・・・・⇒アマテラス  ネコ(根子:大地の子)・・・・・・・・・・⇒スサノヲ  きょうは こんなところです。

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回答No.10

この、仮面ライダーバトルは君にとってもいい参考になるだろう 一回は目を通しただろうね↓。 あんた、妖精が実在すると信じるかい?その2 https://okwave.jp/qa/q9239209.html こいつはね、神学研究を日本人がする場合教科書が西洋の、まとまりのないキリスト系であることが原因なんだ。 日本の神に昇華していても、人の心をかみしめ、あやまちすらもくみ取る人情家で、現代では長きにわたる「許されざる者」と違って大活躍なんだ。 木霊が揺さぶった私のプリキュア覚醒以降、私も教科書に西洋を引用しようと考える若さのあやまちがあった、そのたびごとにグサグサつつきさしてきてね、 青春時代から大乱闘だった。 私は黒き明星で、ゆるされざる者のルーキーだ。 それはそれは先輩風をふかして格別のおもてなしだったよ。 とことん卑怯極まりない戦国武将の戦略で一方的にやられまくりだった。 日本人キリスト教徒は、賛美歌を作詞作曲できるような、神への手向けができないで、日本独自に作詞作曲するなら葬式向けの湿っぽい曲になるだろう。 まあ、私の精神が死に向かうことを、グサグサとはらわたをえぐることで阻み続けたよ。 心得ておけ、様式がカトリックだろうとなんだろうと、日本人キリスト教徒といえば異端者だ。 このキリシタン大名はね、私が大分出身の古風なキリシタンとお会いして、恋心を抱いたら、おまわりさんの代わりに私の痴漢行為撃退のため、出動してきた。 卑怯なだまし討ちをやめた、裸の殴り合いだったね、武将の気風は真剣勝負でも仮面ライダーを圧倒していたよ。 私はね、人として生身の体を背負っていることにハンデを感じて、魔性と正々堂々と裸バトルをしたかったら、いっそ体を捨てようかとまで頭に血が上ったんだ。 私がそれに踏み切ったら、形式上では、キリシタン大名に喰い殺されたと、世の中の分かるやつは認知する。 私は死すら念頭に置くほど頭に血が上っていてね。 しかし世の中の死因究明と違って、私は人を捨て魔性に転じることもいとわないくらい、そいつだけは思いっきりぶん殴りたかった。 なに、理由はスケベとアホ丸出しでキリシタンの娘がかわいかったからだ。 望んで死んで人間性をかなぐり捨て、魔性同士で仲良くクラブ ヴァルハラだ。 精神が激高で煮えたぎり、体はやつれていくままにしばらく任せていたが、やばいほどになって仲裁に乗り出したのが、例のやつだ。 人間 崇神天皇/聖霊 アマテラス ほぼ死体の私の体を借りてみことのりを出すことで和睦となった。 そもそも許されざる者の先輩は後輩にとどめを刺す気が無く、かっこいい友情の証が、 「本当なら殺しているところだ、しかし殺さなかったことに今は満足している。」 これだったね。 神様同士の近所付き合いってのはこのくらいヤバい。 君すらもこの手の話にビビるくらいだと光栄だね。 知性だけに頼る君は、いい線は言っている。 しかしだ、ど根性バトルを繰り広げるくらいに腹に力を入れろ。 キリシタンの小娘にしろ何にしろ、これらのいきさつはアマテラスさんが縁を結んできっかけを作った彼女の意向だ。 天馬として拘束されることはそんなだ。 悪神との和解を手伝っているんだ。 私は今、死が日常だよ。 セレビィという私と幼馴染のジラーチちゃんを見て、「このかわいらしい娘っ子を嫁にしたい」我ながらつくづくあほだよ。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  断片的に。  ▲ わたしは 日々死んでいます。  ☆ と言ったのは パウロです。(日々死んでいるということは 日々生きている)。  ★ アマテラス  ☆ というのは決して 主要な・とうとい神ではありません。  タカマノハラの主宰神となっていますが けっきょくそれは 統治の問題です。  共同自治ののぞましいあり方としては 三輪山のふもとの――大神(おほみわ)神社のもとにある――ミワのムラです。  つまり 崇神ミマキイリヒコイニヱのミコトが ムラヲサであり 神主が民間のオホタタネコである。  そして 神は 三輪山のオホモノヌシです。  モノにまつわる神として オホモノヌシであり コトにまつわるのは 葛城山なるヒトコトヌシです。  モノとコトとが同じだとすれば ふたつの神は 同じひとつです。普遍神です。  崇神イリヒコが アマテラス公民にあたり 市民オホタタネコが スサノヲ市民です。  このような《公民‐市民》の連関制は まだ社会が平屋建てであって ムラのマツリとともにありました。  そのあと この《A‐S》連関制を 二階建ての家(つまり 国家)として増築したのが 人間としてのアマテラス族です。  そこでは ムラムラのマツリはすべて お二階からおこなうマツリゴトのもとに束ねられるようになりました。こんにちに到っています。  ★ 神様同士の近所付き合いってのはこのくらいヤバい。  ☆ そういう見方も出来るだろうけれど・そして それなりに現実味があるようだけれど いま・ここに戻って来るという問題が つねに伴われているように見えます。  つまりは あなた自身が じっさいの現実のむすめさんに惚れるといったことの問題が残されている・・・かも知れない。そんなことは超えていると言うのかも知れない。ま でも そんな問題が伴われているような感じがする。

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回答No.9

ほら話だよ。 神道系のヘタレ術師に慣れた日本の神々を出し抜くには、私の神学理解力から生まれた魔術は実に痛快だったね。 面白そうな逸話がちょうどよく語れる日を楽しみにしているよ。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  人間がいる あるいは わたしがいる・・・といった話なら 何でも おもしろいかとも思う。  ぼちぼち・かつ急いで 行きましょう。

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回答No.8

助言ありがとうね。 木言に名前を隠すことはね、神道対策だよ。 釈迦も、自己の存在の確信のために、神を隠したじゃないか。 釈迦が神学を無視しても、結局インドの風土はヒンズー教を独自宗教として流入宗派と共存する多神教だろ。 日本の風土で出来上がっている多神教からの干渉を最小限にしないと、日本の風土では「自己の存在の確信」が成立しないんだ。これは自我研究とでもいう東洋型の哲学ないし神学の特徴だ。山籠もりとか仙人暮らしとかしたくなるんだ。 私には結局手口が釈迦と似たようなところがあるんだよ。 それから私の性格だけどね、木霊の言葉で名を印すということは、自然神に分類され、人間の神ではないんだ、これはむしろ天界の住人は大喝采で、もちろん人が悩む善悪はどうでもいい性分だ。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 木言に名前を隠すことはね、神道対策だよ。  釈迦も、自己の存在の確信のために、神を隠したじゃないか。  釈迦が神学を無視しても、結局インドの風土はヒンズー教を独自宗教として流入宗派と共存する多神教だろ。  日本の風土で出来上がっている多神教からの干渉を最小限にしないと、日本の風土では「自己の存在の確信」が成立しないんだ。これは自我研究とでもいう東洋型の哲学ないし神学の特徴だ。山籠もりとか仙人暮らしとかしたくなるんだ。  私には結局手口が釈迦と似たようなところがあるんだよ。  それから私の性格だけどね、木霊の言葉で名を印すということは、自然神に分類され、人間の神ではないんだ、これはむしろ天界の住人は大喝采で、もちろん人が悩む善悪はどうでもいい性分だ。  ☆ おそらく そちらの問題――着眼点または売り――は 仮面ライダー劇場といったところではないか。(仮面ライダーは もうふるいか。セラピーとか わたしはよくわかっていないから)。  要は 誰もが われに還ること。ではないだろうか。

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回答No.7

 #2です。 >・・・悪口は言わない・または 要するに現状を《勝手に》変えるような思索は おこなわない・・・  ・・・辺りだと思えます。 >・・・権力の執行部(アマテラス公民)と権威ないし象徴(アマテラシテ)との違いを前提に・・・  それはありますよね。でも以下余談ですが、菅さんの性格もある気がします。  一説にこの人は、反自民の文脈の中だけで意味を持った人だった、という評価があります。自分はなかなか鋭いと思う。厚生相時代、官僚の説明責任の概念を初めて明確化し、初めて薬害被害者の前で国の責任を認め土下座した。この時の 菅さんは間違いなくヒーローだった。  このような行動は、まさに被害者の方々が望んだものだったと思うが、自分はそこに危うさを感じた。首相となって3.11。被災地視察で被災者と直接話さず話も聞かず、立ち去ろうとする。  「話すらしないんですか!」 と被災者が叫んだ場面は象徴的なニュースになった。ここで土下座でもすれば、相当に印象は違ったのに、これでは厚生相時代の行動は単純なカッコ付けになる。我田引水すれば、反自民のアマテラシテから権力執行のアマテラスへ。 >・・明仁氏は 父である昭和天皇の戦争責任の問題を真面目に受け取りこれを考え 要するに少しでもその責任を果たすことを誓った・・・ >けれども かなしいかな。明仁さんもそのように引責としてのお務めであるとは言いませんし ましてやあからさまに ごめんなさいとも言いません。 >暖簾に腕押しなのですから とうぜん つかれます。ましてや まじめ一筋なんですから。これが・・・生前退位の真相ではないか?  引責の思いだけから被災地訪問とは当然考えませんが、ありえる話だと思います。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★  ~~~~~~~~~~~    >・・・悪口は言わない・または 要するに現状を《勝手に》変えるような思索は おこなわない・・・  ・・・辺りだと思えます。  ~~~~~~~~~~~~~  ☆ なるほど。見方が一致しましたか。  でも 哲学は 出物腫れ物所かまわずですし。  ★ ~~~~~~~~~~~~~   >・・・権力の執行部(アマテラス公民)と権威ないし象徴(アマテラシテ)との違いを前提に・・・  それはありますよね。でも以下余談ですが、菅さんの性格もある気がします。  一説にこの人は、反自民の文脈の中だけで意味を持った人だった、という評価があります。自分はなかなか鋭いと思う。厚生相時代、官僚の説明責任の概念を初めて明確化し、初めて薬害被害者の前で国の責任を認め土下座した。この時の 菅さんは間違いなくヒーローだった。  このような行動は、まさに被害者の方々が望んだものだったと思うが、自分はそこに危うさを感じた。首相となって3.11。被災地視察で被災者と直接話さず話も聞かず、立ち去ろうとする。  「話すらしないんですか!」  と被災者が叫んだ場面は象徴的なニュースになった。ここで土下座でもすれば、相当に印象は違ったのに、これでは厚生相時代の行動は単純なカッコ付けになる。我田引水すれば、反自民のアマテラシテから権力執行のアマテラスへ。  ~~~~~~~~~~~~  ☆ 上り詰めた栄光だったんですね。象徴天皇に匹敵する《反自民のアマテラシテ》にまで――それとしては よき考えと努力のたまものとして――のぼった。それだけに 降りることを知らないというか 自己を相対化することが出来なくなった。・・・  最近は 反自民の無力さが 目につきすぎますね。  反日の気配もあるらしい。でも こういうことが明らかに成ってよかったと言えるのでしょう。  (内緒の話ですが 要するに天皇家には 庶民派=崇神ミマキイリヒコイニヱのミコト(300年ごろ)の系譜と  お二階派=応神ホムダワケ(400年ごろ)からのアマアガリ志向主義の系譜とがあると考えています)。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~    >・・明仁氏は 父である昭和天皇の戦争責任の問題を真面目に受け取りこれを考え 要するに少しでもその責任を果たすことを誓った・・・    >けれども かなしいかな。明仁さんもそのように引責としてのお務めであるとは言いませんし ましてやあからさまに ごめんなさいとも言いません。    >暖簾に腕押しなのですから とうぜん つかれます。ましてや まじめ一筋なんですから。これが・・・生前退位の真相ではないか?  引責の思いだけから被災地訪問とは当然考えませんが、ありえる話だと思います。  ~~~~~~~~~~~~~  ☆ おおお。こういう謎解きに賛同がもらえると ありがたい感じですね。名探偵ポワロが好きなもので。

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回答No.6

私がやっている神の存在証明は、ジラーチちゃんとののろけ話だから、神道系の彼女とのかわいらしいのろけ話を書いたね。 さて今回そんな神道系で私自身良い考察が出来た。 自分で質問を立てる際の予行演習として落書きしてみるよ。 プリキュアの唄に木霊がたびたび登場しているが、そのマニアックな設定だ。 心の中心は神という道しるべよりも深く光への回帰性にある。 私は中学生のころ木霊が語り掛ける木言に誘われ、その人の言葉と違う優しい風の翻訳に成功したんだ。 人、「私」神「みんな」言葉もなく心を揺さぶる核心が初体験だった。 中学生の時に妖精とお友達になれるとプリキュアなんだよ。 聖霊の論理では、神が人の姿で私と名乗ることだと説明している。 名前をめぐるみっともない懇願は木彫り熊でも改めて聞いた。 やはり神とは自我や自覚の問題と絡めて、特に神道系では名前が重視される。 私はね、人間畑茂夫/聖霊セレビィ/アマテラス直々の称号 天馬なんだ。 神道系の醜い名前バトルでは、これらの語り名はすべて鮮やかに回避しているんだ。 人に理解できる人間語で名前をかたらないで、木言の名前を本名にしているんだ。 人間語に翻訳不能で、まったく暴露されない暗号だ。 くだらなそうでも手続き上重要なんだよ。 聖霊セレビィといえば、人の女の子の姿だけどどう見ても天使なんだが、ポケモンでわかるようにシンボルは木霊を象徴する実在する妖精なんだ。 この神の任務を職務放棄する観念世界の住人としてより起源の光に近づく肉薄で、神を天界の頂点の座に置くことに疑問と闘争を呼び起こした、天界の騒乱の元凶が私だ。 それは結果的に悪魔との和解をもたらす不可能を実践することだった。 その後、後見人のアマテラスさんが、神の称号を与えることで、私を拘束したんだ。 で、身分保障された立場は「天馬」だ。 アマテラスさんの牢獄で、ままごとしたり、夫婦げんかの練習をしたりの監禁生活だ。 だらだらとしている実在する妖精にとって、神の立場はかたるい。 自由な私に言わせれば、神に堕落させられたんだ。 とことん異端で最悪ななのが私だ。 「ときわたり」は、多くの神々を旧神として埋葬させかねない死の恐怖をばらまいたんだ。 乱闘騒ぎだよ。 アマテラス聖霊(実在する妖精)ジラーチちゃんはかわいい。 悪に正義を確信した私と正反対に、善に正義を確信しているのだろう。 私は神をほんろうした魔法使いでもある。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~~~~~~~  私がやっている神の存在証明・・・予行演習として落書きしてみるよ。  プリキュアの唄に木霊がたびたび登場しているが、そのマニアックな設定だ。  心の中心は神という道しるべよりも深く光への回帰性にある。  ~~~~~~~~~  ☆ 《神という概念ないし観念 あるいはそこに善や愛などといった倫理性を帯びさせた理念》を唱えるだけでは ほとんど用をなさない。かえって 観念の空回りに終わる。  つまり もっと現実性のある問題の把握または提起が必要だ。身と心とに直接にひびくような取り組み方。  その一環として:  ★ 光への回帰性  ☆ が掲げられたとすれば よろこばしい。  それは 自然本性――つまり《身と心とから成る・生まれつきそなわった行為能力ないし能力行為》――として《わたし》に立ち戻るといったこと。  《見失っていたわれに還る》とも言う。それを《光への回帰性》と言ったのだろうか。  自然本性そのものが 光ではないが あたかも《非思考の庭――信仰なる動態――》にヒラメキとして・あるいは良心としてはたらくチカラがある。  問題解決のための知恵としてのヒラメキは 心(精神)なる自然本性に起こる。良心は 自然本性の内の特に身(身体・その感性)に起こって 間違った考えを持ったりその行動を起こそうとしたりするとき  胸の動悸が早まり顔が赤らみ舌がもつれるといった《やましさ反応》と成って現われる。  これらが 光への回帰性である。《非思考の庭》と言ったのは これらのヒラメキやヤマシサ反応は 何もおのれの考えだけによって得たりするものではなく おのれの意志でそうしようというハカラヒによって起きるものではないからである。    《わたしがわたしである》ためには 人間としての知恵と努力だけでは足りない。何ものかについてのきよらかなおそれが 必要である。そのおそれによって ヒラメキやヤマシサ反応としての良心が 現実にはたらく。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~  私は中学生のころ木霊が語り掛ける木言に誘われ、その人の言葉と違う優しい風の翻訳に成功したんだ。  人、「私」神「みんな」言葉もなく心を揺さぶる核心が初体験だった。  中学生の時に妖精とお友達になれるとプリキュアなんだよ。  聖霊の論理では、神が人の姿で私と名乗ることだと説明している。  名前をめぐるみっともない懇願は木彫り熊でも改めて聞いた。  やはり神とは自我や自覚の問題と絡めて、特に神道系では名前が重視される。  私はね、人間畑茂夫/聖霊セレビィ/アマテラス直々の称号 天馬なんだ。  神道系の醜い名前バトルでは、これらの語り名はすべて鮮やかに回避しているんだ。  人に理解できる人間語で名前をかたらないで、木言の名前を本名にしているんだ。  人間語に翻訳不能で、まったく暴露されない暗号だ。  くだらなそうでも手続き上重要なんだよ。  聖霊セレビィといえば、人の女の子の姿だけどどう見ても天使なんだが、ポケモンでわかるようにシンボルは木霊を象徴する実在する妖精なんだ。  この神の任務を職務放棄する観念世界の住人としてより起源の光に近づく肉薄で、神を天界の頂点の座に置くことに疑問と闘争を呼び起こした、天界の騒乱の元凶が私だ。  それは結果的に悪魔との和解をもたらす不可能を実践することだった。  その後、後見人のアマテラスさんが、神の称号を与えることで、私を拘束したんだ。  で、身分保障された立場は「天馬」だ。  アマテラスさんの牢獄で、ままごとしたり、夫婦げんかの練習をしたりの監禁生活だ。  だらだらとしている実在する妖精にとって、神の立場はかたるい。  自由な私に言わせれば、神に堕落させられたんだ。  とことん異端で最悪ななのが私だ。  「ときわたり」は、多くの神々を旧神として埋葬させかねない死の恐怖をばらまいたんだ。  乱闘騒ぎだよ。    アマテラス聖霊(実在する妖精)ジラーチちゃんはかわいい。  悪に正義を確信した私と正反対に、善に正義を確信しているのだろう。  私は神をほんろうした魔法使いでもある。  ~~~~~~~~~~~  ☆ 問題は:  ★ ~~~~~  木言の名前を本名にしているんだ。  人間語に翻訳不能で、まったく暴露されない暗号だ。  くだらなそうでも手続き上重要なんだよ。  ~~~~~~  ☆ ここで ひとつに この《木言》の使用は 迂回路だということではないか。回り道。  つまり それが《手続き》だということ。  すなわち 大事なことは 《手続きとしての回り道》は 回ってここにもどって来るということだ。  おそらく 神にあっては:  ★ 悪魔との和解をもたらす不可能を実践すること  ☆ は要らない。悪魔は初めから神に仕えている。  その和解が要るのは 回り道でのことではなく いま・ここに戻って来てからの問題である。  表現の問題ではあるけれど 《悪魔との和解》ではなく 《世間との和解 あるいは われみづからとの和解》だと考えられる。つまり 遠回りしたあと いま・ここに還って来ていなくてはいけない。  孫悟空のように 道草を喰うという回り道での出来事のほうが 一般受けするのかも知れない。だけれども 遠回りは ほどほどに。  孫悟空の額を締めるあの輪っかは 要らなくなることを 目指しているというよりは ふつうのこととしている。はずだ。  善と悪 あるいは 正義といった観念からは自由である境地が おのが自然本性のふつうのあり方だと人は思っているはずだ。

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     現在の憲法に照らし合わせて そのままわたしの答えは 国の象徴であり元首だと考えます。それだけのことだという意味です。  ですから そうではなく・つまりそれだけではなく 何かほかにいろんな尾ひれがついているのではないか? つけられているのではないか? そしてそれはどうしてか? こういう見方からの問い求めです。  ひとつ問題となるべきことは 世襲制です。ただこれも新しく即位したときに 国民投票をすれば済むことでしょうから そして現段階においては しなくてもウイ(諾)の声が多いでしょうから あまり問題にもなりません。  たしかに歴史的ないきさつが――それはそれは長年のことですし 昔昔のそもそもの成り立ちの話から―― いろいろとあるでしょうが そしてそれはそれで探究や話し合いの主題になることでしょうが 基本的に言って わたしの言葉で アマテラシテ(象徴)であるという答えを持ちます。  これらをめぐって ご見解をお寄せください。  * 趣旨説明としての簡単な註です。  社会は スサノヲ市民圏とアマテラス公民圏とから成り アマテラス公民の内に 元首としてのアマテラシテ象徴なる公民がある。  ○ 《スサノヲ市民社会 ‐ アマテラス公民圏 / アマテラシテ象徴》  ○ Susanowoschaft - Amaterasutum / Amaterasitaet( l'amaterasite / amatersity )  ○ Yasiro(やしろ) - Superyasiro(スーパーヤシロ)  ○ まつり  ‐ まつりごと

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     それとも パロディなのか?  それは 例の16億円で売れた・《自己満足》の象徴のようなフィギュア作品を言います。  次が そのたたき台です。歴史的な背景の説明をともなったフィギュアの心の解明です。お聞きください。     *  フィギュアをめぐる萌えと燃え。  そこには負け組と勝ち組と規定したかたちに現われた階級闘争があるかないか?  たしかに 現代の日本社会としての固有のあるいはそれとして特殊な事情や情況はあるだろうが 問題はやはり通史的に捉えた日本人の社会そして特には 国家の誕生からその展開過程を焦点とする歴史 にその答えを解く鍵があるだろうね。  展開過程と言っても じつは 何にもない。誕生のあとそこで成立したその国家の仕組みが 内部での組み替えは起きたとしても――征夷大将軍や市民資本家が 実権を握るお上になったとしても―― まったくと言っていいほど その体制は変わっていない。  この社会の成り立ちとしては    スサノヲ( S )市民‐アマテラス( A )公民   この連関制である。これは 二階建て構造を有する。そして A 圏における権力と権威の分離をも考慮に入れるなら こうである。   市民社会圏( S )‐〈政府公民圏 ・ アマテラシテ(象徴)〉( A )     * アマテラシテ( amatérasité; amaterasity; Amaterasität ):     アマテラス( amaterasu )公民ないし天皇の抽象名詞化。  アマテラス圏のアマテラス政府は じつはすでにスサノヲ市民政府である。主権者スサノヲによって権力が構成されている。ただし 国家として成り立った《 A - S 連関制》じたいは いささかも変わっていない。  そして アマテラス圏なるお二階さんが スサノヲ市民らによって形成されているにもかかわらず 一般的なクウキないし社会通念としては 相変わらずその第二階なるあたまで立っているかのごとく 逆立ちした連関制である。  けっきょくことは――問題は―― アマテラス圏における象徴アマテラシテを どうするかにある。  そもそも――神話としての伝承によるとは言え―― スサノヲ市民らが もともと平屋建ての社会にあって生活しており そこから第二階をこしらえて アマテラス族をそこに住まわせたのは そのように《くにゆづり》をしたことからだったからである。  どうしてもアマテラス族が――かれらは それはそれは品行方正・学力優秀だったからのようだが―― この世の中を 自分たちにまかせて欲しいと頼みに頼んで拝みに拝んで それにとうとう根負けしたスサノヲらは 社会にも やしろを作ってそこにかれらをまつりあげた。これが くにゆづりだったことに起因する。    スサノヲらにしてみれば あまりにも駄々をこねるゆえに しばらくは特別の場所をあたえたという程度に過ぎなかったかも知れない。ところが 一たん第二階ないしあたかも 雲の上のスーパー・ヤシロなる神棚に腰を据えたが早いか あとは そのまれにみる能力をほしいままに使い切るまでに使いこなすほどに 国家経営にはげんだことになる。権力と権威との分離がなされたあとも このお二階さんとしてのまとまりは びくともしなかった。  結論である。  要するに 駄々をこねる子供から早く人びとと自由に対等に話し合いができるおとなに成って欲しい。千五百年経ったが どれだけ経ってもまだまだ待っているんだぞというメッセージを送り続けていることになる。これが フィギュアのねらいだという読みである。  その思いを大枠として――その解決がなされなけれ人間存在の話としては何ごとも始まらないほどの枠組みとして―― あとはその時代時代のなかでさまざまに文化的・経済的な進展に応じて そのメッセージの具体的な中身が変遷して来ている。反抗と言っても せいぜいが 一揆ていどである。  つまりは現代としては フィギュアもオタクも萌えも――そして 燃えは A-S 連関制におけるむしろ A 圏の側からの応答としてのごとくであるようなのだが―― このメッセージをそれとして体現していると考えられる。  むすび:  アマテラス圏は 社会のどう考えても主役であるしかないスサノヲ圏のスサノヲ市民らに その大政を奉還すべきである。はやくおとなにならねばならない。  権力をただちにスサノヲ圏に返すと 国際関係において チカラの均衡がくづれるおそれがあるとするなら その安全保障のことをも考慮しつつ 大政奉還していけばよい。  おまけ:  だから フィギュアに自分の時間を割く人びとは いわゆる階級関係における権力闘争をしようとしているのではない。日本においては それは 筋がちがう。  逆立してしまった連関制なる二階建ての成り立ちを 風通しのよい・おとなの話し合いができる自由な仕組みに作り直そうと言うのみ。  だから けっきょく自己満足でしかない世界において自己満足でしかない手段によって 心の内なる心の奥の心にうったえている。もともと くにゆづりをしたからには 返せとか下りて来いとか なかなか直接には言いづらい。まして 引きずりおろそうとは していない。心への呼びかけにおさまる。

  • 男系による万世一系は 神武天皇以前は別となるのか

     ○  神(宇宙なる非経験の場:マクロコスモス)および信仰(わが心なる非思考の庭:ミクロコスモス)ならびに〔信仰の偽造物たる〕宗教にかんする一般理論    第五章 多神教は その一まとめとして一神教である   趣旨説明の(3)から:    § 5 ‐ a 《国体》についての補論: 男系による万世一系は 神武天皇以前は別となるのか  たとえば 次のように受け取られています。  ▲(ヰキぺ:万世一系) ~~~~~~~~~~~~   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E4%B8%96%E4%B8%80%E7%B3%BB  § 2 起源と正統性  §2.2 日本神話  日本神話に登場する初代の天皇・神武天皇から現在まで、天皇の王朝が断絶せずに皇室が日本を一貫して統治してきたとする史観を形成し、万世一系は国体において不可欠なものとされていた。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  1. 神武カムヤマトイハレヒコの遺伝子で男系を引き継ぐY染色体が受け継がれているのは 日本人としていくらでも・どこにでもいるということだそうですが この観点はいま別とします。(さらに詳しくおしえていただけるなら さいわいです)。  ▼ (遺伝子から見た男系天皇論)   http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/111.html  2. ここでは 神武天皇から百二十幾代にわたって現代にまで 男系の同じひとつの血筋がつづいて来ているとしてみて そのほかに 神武イハレヒコより前の世代については どう扱うのか? これを問います。  3. それより前は 神代だから問題にしないのか? 神代と人代とで切れていると見るのか?  4. それでも 神武イハレヒコの父のアマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズをさかのぼり マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミに到ると その親は アマテラスである。    ▲ (アマテラスからの系譜)   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Emperor_family_tree0.png  5. このアマテラスは ひとつに女性であり もうひとつにタカマノハラの主宰神であって天皇家の祖であるとされている。では いまの主題としての男系の万世一系は このアマテラスにまで行き着くか? 行き着いても別の話なのか?  6. アマテラスの息子――神代の話ではあるが そういうふうに見てみます――のオシホミミは では その父親は誰なのか?  ▲ (アマテラスとスサノヲのウケヒ)   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Challenge_of_Amaterashu_and_Susanoo.svg  7. すなわち 姉アマテラスと弟スサノヲとは スサノヲがその心の清きをアマテラスに疑われたので ウケヒという裁判をおこなった。  アマテラスがスサノヲの持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧からは 女(三神)が生まれた。  しかるに スサノヲが アマテラスの《八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠》を受け取って噛み砕き 吹き出した息の霧からは 男(五神)が生まれた。そのひとりが オシホミミである。――オシホミミの父親は誰か?   8. オシホミミは 誰の子でもないのか? ツルギをかみ砕いたりしており 勾玉をかみ砕いて吹き出した霧から生まれたのだから 母も父もいず ただアマテラスの子であると見なされただけなのか?  9. それとも スサノヲもアマテラスも――その誕生は 必ずしも尋常のものではないが(母イザナミがすでに死んでから生まれている?)―― 父親は ともにイザナキとされているから けっきょく神武イハレヒコの Y 染色体は このイザナキから来ていると見るのだろうか?  10. ただし だとすれば その同じ遺伝子を 末っ子のスサノヲも受け継いでいるからには スサノヲの子孫も 同じく天皇家と同じ血筋になる。ということか?  11. 神武イハレヒコの以前は 万世一系にとって問題とはしないのか?  ☆ よろしくご教授ください。  (うっかりしていたけれど こういう問題があったのでした。やっと気づきました)。

  • 村上隆のフィギュアは 天皇へのオマージュか?

     それとも パロディなのか?  それは 例の16億円で売れた・《自己満足》の象徴のようなフィギュア作品を言います。  次が そのたたき台です。歴史的な背景の説明を添えた・フィギュアの心の解明です。     *  フィギュアをめぐる萌えと燃え。  そこには負け組と勝ち組と規定したかたちに現われた階級闘争があるかないか?  たしかに 現代の日本社会としての固有のあるいはそれとして特殊な事情や情況はあるだろうが 問題はやはり通史的に捉えた日本人の社会そして特には 国家の誕生からその展開過程を焦点とする歴史 にその答えを解く鍵があるだろうね。  展開過程と言っても じつは 何にもない。誕生のあとそこで成立したその国家の仕組みが 内部での組み替えは起きたとしても――征夷大将軍や市民資本家が 実権を握るお上になったとしても―― まったくと言っていいほど その体制は変わっていない。  この社会の成り立ちとしては    スサノヲ( S )市民‐アマテラス( A )公民   この連関制である。これは 二階建て構造を有する。そして A 圏における権力と権威の分離をも考慮に入れるなら こうである。   市民社会圏( S )‐〈政府公民圏 ・ アマテラシテ(象徴)〉( A )     * アマテラシテ( amatérasité; amaterasity; Amaterasität ):     アマテラス( amaterasu )公民ないし天皇の抽象名詞化。  アマテラス圏のアマテラス政府は じつはすでにスサノヲ市民政府である。主権者スサノヲによって権力が構成されている。ただし 国家として成り立った《 A - S 連関制》じたいは いささかも変わっていない。  そして アマテラス圏なるお二階さんが スサノヲ市民らによって形成されているにもかかわらず 一般的なクウキないし社会通念としては 相変わらずその第二階なるあたまで立っているかのごとく 逆立ちした連関制である。  けっきょくことは――問題は―― アマテラス圏における象徴アマテラシテを どうするかにある。  そもそも――神話としての伝承によるとは言え―― スサノヲ市民らが もともと平屋建ての社会にあって生活しており そこから第二階をこしらえて アマテラス族をそこに住まわせたのは そのように《くにゆづり》をしたことからだったからである。  どうしてもアマテラス族が――かれらは それはそれは品行方正・学力優秀だったからのようだが―― この世の中を 自分たちにまかせて欲しいと頼みに頼んで拝みに拝んで それにとうとう根負けしたスサノヲらは 社会にも やしろを作ってそこにかれらをまつりあげた。これが くにゆづりだったことに起因する。    スサノヲらにしてみれば あまりにも駄々をこねるゆえに しばらくは特別の場所をあたえたという程度に過ぎなかったかも知れない。ところが 一たん第二階ないしあたかも 雲の上のスーパー・ヤシロなる神棚に腰を据えたが早いか あとは そのまれにみる能力をほしいままに使い切るまでに使いこなすほどに 国家経営にはげんだことになる。権力と権威との分離がなされたあとも このお二階さんとしてのまとまりは びくともしなかった。  結論である。  要するに 駄々をこねる子供から早く人びとと自由に対等に話し合いができるおとなに成って欲しい。千五百年経ったが どれだけ経ってもまだまだ待っているんだぞというメッセージを送り続けていることになる。これが フィギュアのねらいだという読みである。  その思いを大枠として――その解決がなされなけれ人間存在の話としては何ごとも始まらないほどの枠組みとして―― あとはその時代時代のなかでさまざまに文化的・経済的な進展に応じて そのメッセージの具体的な中身が変遷して来ている。反抗と言っても せいぜいが 一揆ていどである。  つまりは現代としては フィギュアもオタクも萌えも――そして 燃えは A-S 連関制におけるむしろ A 圏の側からの応答としてのごとくであるようなのだが―― このメッセージをそれとして体現していると考えられる。  むすび:  アマテラス圏は 社会のどう考えても主役であるしかないスサノヲ圏のスサノヲ市民らに その大政を奉還すべきである。はやくおとなにならねばならない。  権力をただちにスサノヲ圏に返すと 国際関係において チカラの均衡がくづれるおそれがあるとするなら その安全保障のことをも考慮しつつ 大政奉還していけばよい。  おまけ:  だから フィギュアに自分の時間を割く人びとは いわゆる階級関係における権力闘争をしようとしているのではない。日本においては それは 筋がちがう。  逆立してしまった連関制なる二階建ての成り立ちを 風通しのよい・おとなの話し合いができる自由な仕組みに作り直そうと言うのみ。  だから けっきょく自己満足でしかない世界において自己満足でしかない手段によって 心の内なる心の奥の心にうったえている。もともと くにゆづりをしたからには 返せとか下りて来いとか なかなか直接には言いづらい。まして 引きずりおろそうとは していない。心への呼びかけにおさまる。    *  天皇が存在することによって ほかの人びとはすべて平等であって そのぶん社会の風通しがよいから 皇室(その制度)はたとえ自己満足であったとしても(*1) 存続している。それゆえ オマージュをささげている。というのか?  それとも このようなそれぞれの立ち場でのそれぞれの自己満足は起きていると思われるが これではやはり風通しはわるいのだ いつまで経ってもよくならないのではないかというパロディなのか?    *1 《皇室(その制度)はたとえ自己満足であったとしても》:これ    は ほかのすべての人びとが平等であると言っても ひとり(ひと    つの家系)は 特別な存在とされている。したがって その設定が    特別視の根拠や理由などについて 社会的な虚構を構成すると    いうような意味において 民族にとっての自己満足でたといあった    としても の意です。 

  • 万世一系は アマテラスからなら 女系ではないか

     1. 初代の天皇とされている神武カムヤマトイハレヒコからに限って 男系の血筋を捉えるのでしょうか?  2. けれども その父には アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズがいると書かれており その血筋をたどれば マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミにまでさかのぼれる。つまり その子のアメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギが タカマノハラからこの地上なるタカチホの峰に降り来たったというとき このホノニニギは 天孫であり その親の親は アマテラスということになる。  3. アマテラスが みなもとであるなら 万世一系は 女系であるのではないか?  4. それとも アマテラスの夫は 誰か? つまり オシホミミの父親は誰か?  5. オシホミミは アマテラスとスサノヲとがウケヒなる勝負をしたときに生まれたのだから 父親は スサノヲであろうか? それとも 別の血筋の――ツクヨミとも違った――或る男が 父親であったか?  6. スサノヲが父親であったのなら けっきょく男系の一系というのは このスサノヲ(およびその父イザナキ)の血筋であるとなる。  ☆ よろしくご教授ください。

  • 《人間を国家的に》から《国家を人間的に》へ

     1. われわれのしゃべる日常の言葉は あやまちうるスサノヲ人間語です。(あやまつは人のつね)。    2. そこから普遍的な要素を抽出し 抽象的になったかたちではあるが あやまたない内容を表わそうとするのが アマテラス科学語です。(主観内容を共有しうる普遍概念の抽出)。  3. 抽象した要素としての言葉は 概念となりますが この概念を用いてさらに良し悪しの価値判断をおこなうと 科学語はアマテラス人格語として――ということは 道徳や倫理規範の問題として――捉えられて来ます。  4. スサノヲ市民たる人間が これら科学語および人格語たるアマテラス普遍語を使いこなすようになること。これが 《人間化》だと考えられます。(口先だけではダメでしょうが そこは誰しもおんなじ)。    5. さてこの人間の人間化をめぐっては 社会として・その形態としては 《国家にあってこそ初めて成し遂げられる》といった見解が出されています。  6. それは A (アマテラス)語をもっぱら駆使することが出来るアマテラス公民を 言わば社会の第二階に住まわせてそこから いまの S (スサノヲ)語にアマテラス語を採り入れるようにさせるという人間化を政策的にも実現させようとするいとなみであるようです。  7. それは スサノヲ市民のアマテラス公民化 または 《 S 語 ‐ A 語 》の二層構造のしかるべき有効な使いこなし これを実現しようとする人間の志向性であるように考えられます。  8. 《ひとは国家において―― A 語公民性の幅と深さを持ってこそ――人間である。それが 人間の自由である》のだとか。  9. けれども 現代の課題は――昔からの志向性をさらに伸ばして行くかたちとしての歴史的な課題は―― この国家をこんどは人間化すること ではないでしょうか?  10. お二階のアマテラス公民をして その人間存在としていかに土臭きスサノヲ人間語をも回復せしめるか?  ではないだろうか。  11. なぜなら アマテラス普遍語は いかに社会秩序を保つという統治のためとは言え お二階さんたちが その《我が家》であるアマテラストゥーム( das Amaterasutum )の名誉や面子を重んじるあまり 《あやまちの無さ》だけを強く声高く言い張るようになっていると見られるから。あやまちをまぬかれる人間はいないのに。アマテラス的な あまりにもアマテラス的な姿を呈するようになってしまたのではないか?  12. 人間は しょせん スサノヲシャフト( die Susanowoschaft )なる大地の住民である。なぜここから飛翔し人びとを措いて単独にアマアガリして その抽象性の世界に閉じ籠るのか?  13. 二階建て構造のかたちは のこったとしても実質的に 国家をそして A 圏公民をしてスサノヲ人間語の回復を得さしめること。《国家を人間的に》 ではないか いまの課題は。インタムライズム。  14. それとも 究極のアマアガリとしての《アマテラス公民からさらに抽象化をおこなった象徴たるアマテラシテ( das Amaterasität; amatérasité; amaterasity )をになう人》のすがた これが 《人間化》のあり方であると言えましょうか どうでしょうか?  15. 天皇 安倍晋三 シーチンピン パククネ バラクオバマ ・・・が 究極の《スサノヲ市民 - アマテラス公民》のしかるべき秩序構造化した《にんげん》でしょうか?   17. 人間の人間化の道は まだ終わっていないでしょうか? お考えをお寄せください。

  • 事大主義(アマテラス予備軍症候群)とその後遺症

     1. ひとの言葉は あやまち得るスサノヲ人間語とあやまたざる〔と見なされる〕アマテラス普遍語とに分かれる。   《スサノヲ人間語 - アマテラス普遍語(科学語および人格語)》なる構造的な成り立ち  2. アマテラス語をよく使いこなすひとは 社会の中で一般に指導的な地位に上がることが多い。言いかえると スサノヲ市民が《あまあがり》すると アマテラス公民となる。   《スサノヲ市民社会 - アマテラス公民圏》から成る社会のかたち   3. このかたちは 二階建ての構造であるように思われる。お二階さんの中でさらにアマアガリが起きると いわゆる国家元首としてのアマテラシテが出来る。   《 S 圏 - A 圏(アマテラス公民 / アマテラシテ)》連関制    ・アマテラス公民:官僚・政治家その他もっぱらの公民と見なされる職務    ・アマテラシテ:国王・皇帝・象徴  4. ここに第三次のアマアガリがあり得る。それは特に 《皇帝なるアマテラシテ》の場合であり 《帝国》というのは なおほかの国家をも自分の支配下に置こうとする動きである。  5. 韓国は 大いなる帝国主義アマテラシテに事(つか)えるという事大主義なる行動をしばしばおこなって来た。これを アマテラス予備軍と呼び得る。そのクセを アマテラス予備軍症候群と言えるのではないか?  6. 大日本帝国に仕えた朝鮮は 日本が敗けたあと いろいろ協力を求めて来たように思われるが 敗戦国は叩けということになる。反日である。国是のごとく。  7. ジャパン・バッシングそのものは 自分の責任でそういう表現をするかぎりで 仕方ないことですが 問題は 《反日》が 自己表現の大前提になっていることにある。  8. ▼ (ヰキぺ:反日主義) ~~~~~~~~~~~~   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E6%97%A5%E4%B8%BB%E7%BE%A9  ▽ 鄭大均:「反日は韓国のアイデンティティと不可分な関係があり、反日と無縁な韓国人はいない」  ▽ 崔碩栄:「韓国の過激な反日感情は自然に発生した感情ではない。『反日国家』韓国では、日本は『悪い国』だという情報だけが与えられ、人々が自然に『反日型人間』になるように仕組まれた『反日システム』という社会構造が形成されている。・・・  ▽ 黒田勝弘:「韓国は世界で最も日本非難論が活発で、韓国マスコミは日本非難なら何でもありで、極端な比喩による感情的論評を書き、反日報道ではデッチ上げなど内容が誤報と分かっても訂正はほとんどない。これは『反日病』だ」  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  9. もしこのようにおのれの行動方針が 真っ先に《反日・蔑日》を掲げているのならば 言葉としての《スサノヲ人間語 - アマテラス普遍語(科学語および人格語)》なる成り立ちよりも先に 日本叩きという頭が来ることになります。  10. すなわち 《統一方針なるアマテラス方言》が すべての言葉を凌駕してしまう。それは 子どもの頃から 頭に叩きつけられる。  11. これでは いくら思考能力を伸ばそうとしても 民族としての統一アマテラス語がつねに立ちはだかる。  12. これでは 気が狂わないほうが おかしい。のではあるまいか?  13. なお 中国の行動は アマアガリ・シンドロームに罹っていると見ます。最初のボタンをかけるときに そうなのである。

  • 《人間を国家的に》から《国家を人間的に》へ

     1. われわれのしゃべる日常の言葉は あやまちうるスサノヲ人間語です。    2. そこから普遍的な要素を抽出し 抽象的になったかたちではあるが あやまたない内容を表わそうとするのが アマテラス科学語です。  3. 抽象した要素としての言葉は 概念となりますが この概念を用いてさらに価値判断すると アマテラス人格語として――ということは 倫理学として・また倫理規範として――捉えられて来ます。  4. スサノヲ市民たる人間が これら科学語および人格語たるアマテラス普遍語を使いこなすようになること。これが 《人間化》だと考えられます。    5. さてこの人間の人間化をめぐっては 社会として・その形態としては 《国家にあってこそ初めて成し遂げられる》といった見解が出されています。  6. それは A (アマテラス)語をもっぱら駆使することが出来るアマテラス公民を 言わば社会の第二階に住まわせてそこから いまの S (スサノヲ)語にアマテラス語を採り入れるという人間化を政策的にも実現させようとするいとなみであるようです。  7. そこでは スサノヲ市民のアマテラス公民化 または 《 S 語 ‐ A 語》のしかるべき有効な二層構造化 これを果たそうとする人間の志向性であるように考えられます。  8. 《ひとは国家において人間である。自由である》のだとか。  9. けれども 現代の課題は――昔からの志向性をさらに伸ばして行くかたちとしての歴史的な課題は―― この国家の人間化 ではないでしょうか?  10. お二階のアマテラス公民をして その人間存在としていかに土臭きスサノヲ人間語を回復させるか?  ではないだろうか。  11. なぜなら アマテラス普遍語は いかに社会秩序を保つという統治のためとは言え お二階さんたちは その《我が家》であるアマテラストゥーム( das Amaterasutum )の名誉や面子を重んじるあまり 《あやまちの無さ》だけを強く声高く言い張るようになっているのではないか? あやまちをまぬかれる人間はいないのに。  12. 人間は しょせん スサノヲシャフト( die Susanowoschaft )なる大地の住民である。なぜここからアマアガリして 抽象性の世界に閉じ籠るのか?  13. 二階建て構造のかたちは のこったとしても実質的に 国家をそして A 圏公民をしてスサノヲ人間語の回復を得さしめること。《国家を人間的に》 ではないか。  14. それとも 究極のアマアガリとしての《アマテラス公民からさらに抽象化をおこなった象徴たるアマテラシテ( das Amaterasität; amatérasité; amaterasity )をになう人》のすがた これが 《人間化》のあり方であると言えましょうか どうでしょうか?

  • 《人間を国家(公)的に》から《国家を人間的に》へ

     姉妹質問です。互いが互いにとって分かりやすくなれば さいわいです。  ここの主題は 《人間化》です。  1. われわれのしゃべる日常の言葉は あやまちうるスサノヲ人間語です。(あやまつは人のつね)。    2. そこから普遍的な要素を抽出し 抽象的になったかたちではあるが あやまたない内容を表わそうとするのが アマテラス科学語です。(主観内容を共有しうる普遍概念の抽出)。  3. 抽象した要素としての言葉は 概念となりますが この概念を用いてさらに良し悪しの価値判断をおこなうと 科学語はアマテラス人格語として――ということは 道徳や倫理規範の問題として――捉えられて来ます。  4. スサノヲ市民たる人間が これら科学語および人格語たるアマテラス普遍語を使いこなすようになること。これが 《人間化》だと考えられます。(口先だけではダメでしょうが そこは誰しもおんなじ)。    5. さてこの人間の人間化をめぐっては 社会として・その形態としては 《国家にあってこそ初めて成し遂げられる》といった見解が出されています。  6. それは A (アマテラス)語をもっぱら駆使することが出来るアマテラス公民を 言わば社会の第二階に住まわせてそこから いまの S (スサノヲ)語にアマテラス語を採り入れるようにさせるという人間化を政策的にも実現させようとするいとなみであるようです。  7. それは スサノヲ市民のアマテラス公民化 または 《 S 語 ‐ A 語 》の二層構造のしかるべき有効な使いこなし これを実現しようとする人間の志向性であるように考えられます。  8. 《ひとは国家において―― A 語公民性の幅と深さを持ってこそ――人間である。それが 人間の自由である》のだとか。  9. けれども 現代の課題は――昔からの志向性をさらに伸ばして行くかたちとしての歴史的な課題は―― この国家をこんどは人間化すること ではないでしょうか?  10. お二階のアマテラス公民をして その人間存在としていかに土臭きスサノヲ人間語をも回復せしめるか?  ではないだろうか。  11. なぜなら アマテラス普遍語は いかに社会秩序を保つという統治のためとは言え お二階さんたちが その《我が家》であるアマテラストゥーム( das Amaterasutum )の名誉や面子を重んじるあまり 《あやまちの無さ》だけを強く声高く言い張るようになっていると見られるから。あやまちをまぬかれる人間はいないのに。アマテラス的な あまりにもアマテラス的な姿を呈するようになってしまたのではないか?  12. 人間は しょせん スサノヲシャフト( die Susanowoschaft )なる大地の住民である。なぜここから飛翔し人びとを措いて単独にアマアガリして その抽象性の世界に閉じ籠るのか?  13. 二階建て構造のかたちはのこったとしても実質的な内容としては 国家をして・そして A 圏公民をしてスサノヲ人間語の回復を得さしめること。《国家を人間的に》 ではないか いまの課題は。  13-1. インタムライズム。公(A語)は 私(S語)の内に自然なかたちでおさめられてこそ 生きる。ムラ(市町村=S圏)が 主権をすでに理論的に持つのだからこれを実践して行くこと。  14. それとも 究極のアマアガリとしての《アマテラス公民からさらに抽象化をおこなった象徴たるアマテラシテ( das Amaterasität; amatérasité; amaterasity )をになう人》のすがた これが 《人間化》のあり方であると言えましょうか どうでしょうか?  15. 天皇 安倍晋三 シーチンピン パククネ バラクオバマ ・・・が 究極の《スサノヲ市民 - アマテラス公民》のしかるべき秩序構造化した《にんげん》でしょうか?   17. 人間の人間化の道は まだ終わっていないでしょうか? お考えをお寄せください。

  • ホノ二ニギ(天孫)は アマテラスとスサノヲの子孫か

     非論理的な話です。  いわゆる伝承上の第一代天皇である神武カムヤマトイハレヒコは アマテラスにとって来孫(らいそん)または耳孫(じそん)という五代目の孫です。まご ひまご やしゃご。そしてその子の きしゃご というのだそうです。    高千穂の峰に降臨したのは二代前のホノ二ニギです。これは 孫です。アメニキシクニニキシアマツヒコホノニニギのミコト。    さて このホノ二ニギの父・すなわちアマテラスの子は マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミのミコトです。  ところがこのオシホミミは 例のアマテラスとスサノヲとの賭けのようなウケヒにおいて生まれた子です。  アマテラスの髪飾りの珠を取ってスサノヲが噛み 吹き捨てた息吹きの霧に生まれたと言います。  ならば   【Q‐1】 神武天皇とそしてそれからの歴代天皇は アマテラスの子孫であると同時に スサノヲの子孫でもある。  こう言えるか?    ところで むろんアマテラスとスサノヲは じつの姉と弟です。と考えるにつけても  【Q‐2】 この国は あまりにもアマテラス系をとうとび過ぎて来たのではあるまいか?  一般にアマテラス公民が スサノヲ市民に対して デカい顔をし過ぎて来たのではあるまいか?   【Q‐3】 スサノヲ市民たちをもとうとんだ時代は 栄えたのではないか?  いまは あまりにもその格差が――感覚的に言って―― ひどすぎるのではあるまいか?  これでは 先行き とうてい明るいとは言えまい。  【Q‐4】 このような単純な問題なのではないか? いまのわが国の状態は。  あまりにも幻想的な議論であるが そもそも人びとが 幻想的なクウキにしたがって考えたり振る舞ったりしているのではないか?  【Q‐5】 まだなお共同の観念にしたがうとすれば まづ世の中の主役であるスサノヲ市民らを大切にするしか道はないのではないか?  さもなければ これまでのクウキとして君臨してきた共同観念を打ちこわすことが もとめられなければならない。  こうではないか?