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古文書で橋料とは

ichikawa2017の回答

回答No.3

ご質問の文章だけでは、誰が何の目的で作成した文書なのか分かりません。 一般的な説明になります。 江戸時代の橋は大まかに分けますと、幕府や大名が架けた橋と住民が架けた民間橋がありました。 江戸ではそれぞれ御入用橋、町橋 京大阪では公儀橋、町人橋と呼ばれていました。 民間橋の場合は、架設費用や維持費を賄うために渡橋料を徴収していました。 江戸では俗に銭取り橋と呼んでいました。 京都の伏見では、観月橋、京橋、肥後橋、直違橋、常円橋、六地蔵橋、などが公儀橋でした。 その他には 三条大橋、三条小橋、白川橋、五条大橋、中立売橋など周辺を含む総数107ほどありました。 公儀橋の場合は架設料は幕府が負担していましたが、橋の維持管理費は橋の周辺の住人が負担していました。 大名領の橋としては現在も日本三大奇矯と呼ばれる岩国吉川藩の錦帯橋がありますが、吉川藩は橋催相(はしもやい)という税を身分を問わず取り立てて橋の維持費に充てていました。 つまり、ご質問の文書の橋料というのが、架設費用なのか、維持管理費なのかがよく分かりません。 伏見は京橋と橋を特定しているようですが淀ノ橋は料の多寡からして複数の橋が推定されます。 蛇足 江戸時代の身分の区分は境界が曖昧でした。 幕府では武家は士と卒に区分けされていました。 この他に郷士と呼ばれる人がいて、身分は百姓ですが日常的に帯刀が認められていました。 藩によっては上士下士と区分けしていました、 明治に入って士族と区分された際にこの卒や郷士、下士に相当する人も士族としましたので、混乱を招いています。 江戸時代には武士と言う言葉は特定の身分を意味することから日常的には使われていませんでした。 「お侍」という言葉が使われていました。 町人は城下町や主要市街地に居住する人を指し百姓は城下町外に住む人を指していました。 身分は百姓でも茶店や旅籠、鍛冶、大工などを経営する人がいました。 漁労営林関係者も身分は百姓でした。 税は百姓に対しては年貢と呼ばれる米を主体とする物納が基本でした。 漁労関係者は浦役と呼ばれる金納がありました。 これも個人単位ではなく村落単位でした。 町人の場合は冥加金と呼ばれる金納でした。 これを徴収していたのは町人の自治組織の町役人でした。 京大阪では惣年寄、町年寄と呼ばれていました。 町役人はこの他に町を運営していくのに必要な費用を徴収していました。 ご質問の橋料も文書の性格によってはこの諸費用の可能性があります。 幕府の架橋費用は、実際はお手伝い普請と称して大名に押しつけていました。 ご質問の文書が大名家関係のものであれば橋料もこのお手伝い普請の費用の内訳という可能性もあります。 特段参考文献はありませんが、各用語の説明がネットにあります。

hyoro37
質問者

お礼

有り難うございました

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