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占いに頼る人は決断力や責任感が無いのでしょうか?
自分で決めたくないのでしょうか?
質問者が選んだベストアンサー
占いをする人は、 占いに依存して占いの結果がよくないと決めれない。 自分がやろうと決めていて、時期などが良いかを確認する(最適な時期を選ぶ) 2パターンに分かれると思います。 占いの使い方によって決断力や責任感の有無は変わると思います。
その他の回答 (5)
- nazonouranaishi
- ベストアンサー率43% (13/30)
これは、 「OKWAVEに頼る人は決断力や責任感が無いのでしょうか? 自分で決めたくないのでしょうか?」 と、 同じですね。 占いとは、主に主観による予想や、 予測行為自体を指す総称で、一般名詞です。 その意味では「医療」や「社会保障」「法律」 「経済」「大人」「異性」「公務員」「OKWAVE」 などと同じで、 誰もがその人なりに使い、頼っているものです。 なんの予想も立てずに、決断する事が、 決断力がある事になるのかは、甚だ疑問ですし、 責任感があるからこそ、様々な予想に、 エネルギーを使う場合も、あるでしょう。 本当に責任感も決断力もなく、丸投げで頼る場合もあれば、 全て自分一人で抱え込み、誰にも頼らず信用しないのが、 良い事なのかと言えば、これも異論はあるでしょう。 使い方も頼り方も、人それぞれなら千差万別。 ケースバイケースとしか、言い様がないと思います。
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ご回答ありがとうございます。
- 96megabrown
- ベストアンサー率16% (262/1573)
他人の意見がないと何も決められないし、 なんの根拠もないことを信じてしまうほど 心身衰弱した状態にあるんでしょうね。 逮捕された犯人の犯行当時、心身衰弱状態だったなんてよく聞きますよね。 そういう状態なんでしょうね、危ういですね。 そういうのに依存してる人には近寄らないほうが身のためです。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- Chibi-kko
- ベストアンサー率39% (93/237)
背中を一押ししてほしいんじゃないですか? 皆さん自分に都合の良い結果しか受け入れないように思えますし。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7249)
理屈がほしい、ていうのが人間にはあるのです。 ゴルフボールがうまく飛ばない、なんていうとき、グリップがまずい、肘をこう曲げるとコースはこうなる、なんていう理屈を聞くと納得するんです。 要するに、原因があって、その結果こうなるんだという論理があるとほっとします。 その指摘に対応した動きができるようになれば、問題は片付くということになりますから。 これはなんでもそうで、事故がおきたら原因を調査します。そしてその原因が論理的にその事故につながるのであればほっとします。 対策がたてられますから。 人間の思考法は大体そうなんです。 現実がこうこうである、だけでは納得しない。 米がうまい、というのでも、ここは水がいいから、とか土壌のせいだ、で納得するわけです。 自分の不運だとか不幸に出会ったとき、うまくつなげる原因とかそこにもっていく論理が見つからないと納得しません。 何も悪いことしていないのに、というようなブレーキみたいな概念も入ってきて不審になります。 このとき、たとえば4代前の先祖が女を責め殺したようなことがわかると、ああその呪いかということで論理が成立したように思いたがる。 何かがたたっているとか、つきものがしているなんていうのは、安心することです。 安心するわけないじゃないかという理性的なツッコミはあり得ますが、原因があって結果がつなげる論理があれば一応ほっとするのです。 さてここからですが、人間と言うのは、論理を求め、論理が得られ了解すると、結んでいる原因も結果も事実だと思い込んでしまうところがあるのです。 別に過去の怨念の話でなくても同じです。 未来にこういうことが起きるということを、語り口で信用させる。 たとえば、日本がほろびる、なんていうことを語っても誰も信じません。 しかし、地球温暖化で水面があがり、陸地のどことどこが消滅し、その間に何と何の生き物が絶滅し、経済は不安定になって無意味な戦争となり、・・・というような筋立てで話すと、全部が真実のようyな気がし、日本も絶滅するだろうと思うようになりませんか。 ここの論理はおかしくないんです。 しかしそういうシーケンスで進むかどうかについては誰も判断はつかないはず。 それが一気にいわれると、芸術的に整合した予告をされているように感じます。 つまり、風が吹けばおけ屋がもうかる、です。 占いというのはそういうときに価値観判断にわりこんでくるものです。 よーく考えて、その原因だと思うことが事実と認定できるか、は飛んでいます。 論理があってその論理に幻惑されるわけです。 占い師は、何かを予言するときに、すぐに実現しておかしくないことを数ステップ用意し、つないで見せます。 縁談がダメというときは、こういう家庭騒動がおき、それに対処しようとしてこういうことをしたことが裏目にでて、みたいに、起きていないことを並べたてます。 その論理でいうと、確かに風が吹いておけ屋がもうかってしまうのです。縁談は断ったほうがいいことになる。 それで縁談をなしにしたら、本当にそうなったかどうかなんて誰も確かめられません。占い師は正しかったと言う記憶になります。 仮に占い師を信じないで結婚してうまくいったら、占い師がどういったなんて忘れてしまいます。 結論をいいますが、人間は論理が欲しいのです。 論理をたててくれたら、それは学者でも医者でも占い師でもいいのです。 論理がたったら、ほっとするのです。
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ご回答ありがとうございます。
- E-1077
- ベストアンサー率25% (3258/12620)
占いに来る人はほぼほぼ自分の中で結論は出ているように感じています。 最後の一押しをしてもらいたいという状況で来ることがほとんどです。 背中を押してもらいたい、自分の考えに理論的に言い訳というか裏付けが欲しいという要求があると感じています。 占いはある程度、右か左か、イエスかノーかという、二者択一の状態まで突き詰めておくのがほとんどなんです。 これからどうすればいいでしょうか・・・という質問には、こっちの道はこう、こっちはこう、リスクはこう、こうすればこうなるみたいだけど、どうするのかはあなた次第と、最後はやっぱり突き放します。 だって、占い師だってその人の人生を同行することは出来ませんよ。最終決断はあくまでも本人なのですから。 自分で決めたくないから占いに頼るという人はものすごく稀ですね。 責任感の問題ではないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- donguri_boy
- ベストアンサー率28% (653/2293)
上手くいかなかったときに「占いの通りにしたのに...」って逃げ道を作っておきたいのでしょう。 つまり、責任逃れの他人任せですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。
お礼
ご回答ありがとうございます。