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満州から引き揚げてきた記録が見たい
祖父母と父が満州からの引き揚げ者です。 祖父は高いし、祖母もかなり高齢になっており、いろいろと戦時中のことを調べております。 熊本へ満州より引き揚げ者の名簿など調べる方法はないでしょうか?
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一般的なことは武田英克『満州脱出』中公新書769(1985)などがご参考になると思います。軍と無関係の一般市民の 名簿なら厚生省か担当していました。 満州引揚資料については、下記の一部も参考になるかもしれません。 http://mokuroku.biwako.shiga-u.ac.jp/WP/No98.pdf 下記にはお望みの資料についての記事があるかもしれません。 http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000013056 祖父母さまの引揚者としての帰着港がわかれば、(満州からなら、福岡か山口県の仙崎でしょう)そこの資料室に問い合わせるのも一方法です。また引揚先の熊本県に資料があるかもしれません。 僕は終戦時、長崎の家の近くに満州から引揚てきた女性が頭は丸坊主、布を強く胸に巻きつけて男装し、ソ連兵のレイプを逃れてきたのを見て、そのご苦労をしみじみ感じました。
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- dottimiti
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満州ではなくてシベリアなので参考情報ですが、下記の本が引き揚げについて詳しかったです。 「生きて帰ってきた男―ある日本兵の戦争と戦後」 小熊英二著 https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1506/sin_k833.html
- SPS700
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#4です。補足です。 今出てきた切り抜きで『読読売新聞』2015年4月4日から数日にかけて、旧ソ連の収容所の名簿などを発表しています。国文学研究資料館の加藤聖文先生がお詳しいとあります。 厚労省に問い合わせるのも一考かと思います。
- whaihansei
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満州は、沖縄県、広島市長崎市とともに忘れてはならない 一般国民が犠牲となった歴史です。 開拓団が多くの県であることから、記録が分散している ようですが、過酷さでは随一かもしれません。 沖縄県・・・・・・日米の戦場になった唯一の県 広島市長崎市・・・原爆という大量破壊兵器による爆撃にあった 満州・・・・・・・独と殺しあったソ連軍兵士による攻撃と占領。 日本軍からの防衛なし。人権もなし。 さらには現地人、中国人・朝鮮人からも略奪 暴行殺戮がなされた。 記録は多数あります。 図書館を調べてください。その他、以下。 満州開拓団http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-manmou-his.htm 同様 http://www.kikokusha.com/images/events/20130203.pdf 事例 http://hizaiji.net/mansyuhikiage.html 被害概要 http://kenjya.org/higai1.html ソ連の暴虐を忘れてはいけません。
- 441moe
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開拓団として渡満したのであれば、 帰国後、開拓団単位で記録残している場合が多く、体験談も残っています。 横の繋がりもありますので、探して下さい。 公の記録は有っても名簿止まりです。 嘗て帰国開拓団用の住宅ありましたが残っていないでしょう。 数部隊の関東軍が、民間人保護して帰国してますが、その部隊の記録有るかもしれません。 体験談で残っている本ありました。 多くの体験談は国、メディアから積極的に抹殺されてます。 満蒙開拓団、引き揚げなど中心に検索して下さい。
- kuzuhan
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引揚者名簿を確認するためには、これらを所管している省庁に確認することになります。 引き揚げについては、軍人軍属の復員が旧陸軍が改組した第一復員省、旧海軍が改組した第二復員省がそれぞれ担当し、一般人の引き揚げは厚生省が担当しました。 そのため、名簿は大きく分けて旧陸軍系統、旧海軍系統、一般の3種類が存在します。これらの名簿はほとんどが国立公文書館へ移管されています。 調査を行う場合は国立公文書館で調査を行うか、復員・引揚についてを引き継いでいる厚生労働省社会・援護局に一度問い合わせてみるなどが考えられます。 名簿は個人情報であるため、これを公開するのはかなり慎重になるので、「単に見たい」では難しくなります。 調査するにも、例えば「引揚港」や「引揚船の名前」などが無いと調べるのも難しいかもしれません。
- trytobe
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どの船に誰が乗っているか、なんてのは管理できる状況じゃない(特に満州なんて、ソビエト軍に捕まってシベリアに送られるか、中国の独立軍にリンチに遭うか、港まで体力と食糧が持つか、という状況で、残留孤児として日本人の子どもが中国の里親に育ててもらったケースも多かったくらい)ので、 熊本の港に着いてから、初めて航海中に亡くなった人数と生きて上陸できた人数が「数」として残っていればよいくらいで、あとは各人の故郷に帰ってからの生存確認とそれにともなう役所での軍人年金などの手続き記録でしか辿れません。