日本赤軍の印象と歴史

このQ&Aのポイント
  • 日本赤軍とは、昭和時代に活動した過激な思想集団であり、あさま山荘事件やよど号ハイジャック事件などを引き起こしました。
  • 初期には世間の支持を受けていましたが、その後の過激な行動により世間の支持を失いました。
  • 赤軍関連のニュースの流れや世間の受け止め方はテレビ番組では十分に伝えられておらず、当時のニュースを生で見た世代の人々の印象を聞きたいと思っています。
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日本赤軍の当時の印象

どうも、昭和の終わりごろ生まれたものですがちょっとした質問です。 良く、昭和を振り返る番組で「あさま山荘」や「よど号ハイジャック事件」などが映像として出てきます。 子供のころから、事件の背景はともかくとして、映像は繰り返し見てきていました。 小学校の終わりごろには、これらの事件が日本赤軍と言われていた過激な思想集団の起こした一連の事件というのを、理解してきました。 その後、さらに成長して、この赤軍という組織が当初は世間の支持を受けていて、その後に、過激な行動から世間の支持を失っていったというお話を聞いて少し驚きました。 またそれから数年して私も社会に出てくるようになりました。 ニュースの内容ももう少し分かる様になりましたが、昭和を彩った様々な事件でも、この日本赤軍関連のニュースの流れや、その時々の世間の受け止め方というのが、どうであったのかという感想の部分がテレビ番組からは抜けている感じがして、どう受け止めていいのかが分かりません。 ですので、当時ニュースを生で見てきた世代の方々に聞きたいのですが 1.赤軍という言葉やその行動をいつごろ知って、そのときはどういう印象でとらえていたのでしょうか? 2.彼らの印象が変わったとしたら、いつ頃、どの事件からだったのでしょうか? 私の世代だと、オウム真理教とかの事件を同じように話す時は来るのでしょうが、 後の世代に語り継ぐという意味も含めて、それぞれの方の思い出を語っていただけたら幸いです。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#224207
noname#224207
回答No.5

>この赤軍という組織が当初は世間の支持を受けていて 一般社会では支持されてはいませんでした。 共産党員や社会党員で過激思想を持った連中がが支持していただけです。 むしろ、国内で支持されないことから過激思想を持った学生が海外の組織と連携するようになりました。 結果としてイスラエルの空港でマシンガンを乱射するということをやりました。 世界的な無差別テロの嚆矢です。 イスラエル問題などに何の関係もない日本人が行った無差別殺人ということで世界的な注目を浴びました。 この連中と日本共産党員の一部が合流して生まれたのがご指摘の事件を起こした連合赤軍です。 1.年代層や学生と社会人とでは時差がありました。 学生層は早くから知っていました。 当時の学生運動は、現在のSEALDsとは違い極めて行動的といいますか攻撃的でした。 内部も主義主張で中革派、革マル派などと分裂していて、内ゲバと呼ばれる角材や鉄パイプなどを用いた殺傷沙汰を頻繁に起こしていました。 どこの大学でも各集団毎の勧誘が盛んに行われていました。 ご指摘の事件に先立ち、東大紛争のような学園紛争や新宿駅を占拠したベ平連主催のフォーク集会などがあり社会人にも影響が及んだことからこの延長線上のことと認識されていました。 過激な学生運動としてはむしろ成田空港建設反対の三里塚闘争の方がはるかに社会人には知られていました。 あさま山荘事件に先立ち京浜安保共闘が起こした真岡銃砲店襲撃事件の印象があり、あさま山荘事件も当初はその類と認識されていました。 赤軍などという言葉すら認識されていませんでした。 一方で三島由紀夫の楯の会による自衛隊襲撃三島の割腹自殺などがありその方が遥かに社会人の注目を集めていました。 2.一般社会の印象が変わったのではなく、ご指摘の事件で広く知られるようになっただけです。 1960年代1970年代の学生運動や共産党過激派による事件は時代の風潮が強く影響していますので、単発的に個々の事件に関する情報だけでは誤解が生じますので御注意下さい。 現在の左派系の人達の説明と一般社会人による説明では相当に乖離があります。 しばしば共産党員の関与があるのは、日本共産党が党是として暴力革命を排除しないことが深く影響しています。 オーム事件とは背景が全く違います。 同列で考えられるのは無理があります。 下記のような書籍がありますので一度目を通されることをお薦めします。 誰も「戦後」を憶えていない「昭和30年代篇」 鴨下信一著 文春文庫 思想としての全共闘世代 小阪修平著 ちくま新書 連合赤軍「あさま山荘」事件 佐々淳行著 文春文庫

m_matsubara
質問者

お礼

なるほど、豊かになってからの世代の私ですが、当時と言うとオイルショックの前後、というよりほとんどは前の高度経済成長期の話なので、資本主義でも次第に豊かになっていく生活と、将来への希望を持てる社会の中で、共産主義でも真の平和で平等な社会を目指す人達の、世間への乖離とその焦りはなんとなく想像できます。 ですが、結果自分達が正そうとしている世間そのものから乖離してしまったのは悲しい事実ですね。 結果としては、世界的に共産主義は絶滅しつつありますし、受け入れなかった世間自体それが正しかったのですけどね。 いろいろと勉強になりました。 ありがとうございます。 こちらが一番当時の空気感を表していたと思いますのでベストアンサーとさせていただきます。

その他の回答 (4)

  • dragon-man
  • ベストアンサー率19% (2697/13635)
回答No.4

浅間山荘事件はリアルタイムでテレビ報道されたのでよく知られていますが、それ以上に衝撃的だったのは浅間事件の前に妙義山中で行われていた連合赤軍内のリンチと大量殺人です。その凄惨さはオウム事件を越えています。とても人間の所行とは思われない残虐さで、その後に起こった浅間山荘事件より印象に残っています。 http://yabusaka.moo.jp/sekigunjiken.htm もう一つは岡本公三等日本赤軍兵士3人がパレスチナ解放戦線の手先になって起こしたテルアビブ空港乱射事件です。今のISISやイスラム原理主義テロの先駆けになりました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%93%E3%83%96%E7%A9%BA%E6%B8%AF%E4%B9%B1%E5%B0%84%E4%BA%8B%E4%BB%B6 日本赤軍は安保反対運動から生まれた学生運動(全学連)から派生した過激派組織ですが、日本赤軍までは行かずとも、中核派などの左翼組織はいまだに生きながらえていて、その思想が民主党の菅直人元首相などに引き継がれ、政治に良からぬ影響を与えています。最近シールズという安保法制反対の学生運動が生まれていますが、言っていることが似ていて実に危ういですね。日本赤軍を想い出すと悪夢に感じられます。ああならなければ良いがと危惧しています。

noname#221761
noname#221761
回答No.3

60年第安保闘争や東大赤門闘争等を検索して下さい。流れが理解しやすく説明されて居ます。

m_matsubara
質問者

お礼

みんな口々に赤軍リンチ事件の方を浅間山荘よりも大きく取り上げられますね。 でも、私はその事件の事、テレビ番組でも見た記憶がないんです。 三菱重工爆破はドキュメンタリーで見た事があるのですが 凄惨過ぎてテレビ側で自粛しているのでしょうか? 当初はマスコミも赤軍を面白おかしく脚色して報道していた、というのが意外でした。 当時の記事もまた目にする機会があったら面白いかもしれません。 ありがとうございました!

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.2

1.赤軍という言葉やその行動をいつごろ知って、そのときは どういう印象でとらえていたのでしょうか?   ↑ 当時は、東西冷戦の花盛りの時代でして、 世界は米国側とソ連側に別れて対立していました。 それを反映して、日本でも社会主義革命を目指す 左派が活躍していまして、その中でも特に過激な 集団が赤軍でした。 当初は週刊誌などを中心とするマスコミが、 その過激振りをおもしろおかしく紹介していた ものです。 勿論、一般国民は支持などしていません。 2.彼らの印象が変わったとしたら、いつ頃、  どの事件からだったのでしょうか?      ↑ 浅間山荘事件が起こり、その後赤軍の実体が明らかに なってから、タダの過激派から恐ろしい狂った集団 というイメージに変わったようです。 特にショックだったのは、赤軍リンチ事件ですね。 思想が悪いからと、同じ赤軍仲間を次々とリンチして 殺害し、埋めた、という事件です。 被害者は12人に達しました。 次から次へと発見される死体の報道にショックを受けました

m_matsubara
質問者

お礼

みんな口々に赤軍リンチ事件の方を浅間山荘よりも大きく取り上げられますね。 でも、私はその事件の事、テレビ番組でも見た記憶がないんです。 三菱重工爆破はドキュメンタリーで見た事があるのですが 凄惨過ぎてテレビ側で自粛しているのでしょうか? 当初はマスコミも赤軍を面白おかしく脚色して報道していた、というのが意外でした。 当時の記事もまた目にする機会があったら面白いかもしれません。 ありがとうございました!

  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (1978/7397)
回答No.1

 当時、私は小さな子供だったので、詳しい事はわかりませんでしたが、日本赤軍が結成される原因を作ったのは、軍国主義に逆戻りしようとして国民の支持を失った政治家達だったようです。  日本が軍国主義に戻って再び侵略戦争を始めるのではないかとか、米国のアジア侵略の肩代わりをするのではないかとか、国民に危機感が強かった時代で、冷戦下でキューバ危機、ベトナム戦争、ケネディ暗殺など、米国の外交政策が泥沼に落ち込んでいた時代でもあり、米ソ対立の狭間にあった日本の政治的混乱下で起こった事件という認識を持つのが真実に近いと思います。  当時は学生だったら、誰でも火炎瓶の作り方を知っていたり、実際に作ったことがある人が多かった時代で、赤軍派で無くても、大学内の学園闘争で戦った経験がある人は珍しくありませんでした。  一般市民も米国に隷属する色彩が強かった政府に対する不信の眼が強くて、学生が法律を守って整然とデモ行進をしているのを機動隊を乱入させて暴行を繰り返して死者まで出したニュースが流れたり、誰もが政治不信が強かった時代でしたね。  赤軍派の印象が大きく変わったのは、浅間山荘事件やよど号ハイジャック事件でマスコミが騒ぎ過ぎたのと、三菱重工爆破事件で多くの犠牲者を出した頃からで、家電製品の普及が進んで、国民生活が豊かになり始めた頃から、徐々にテロリズム離れが始まったように思います。  当時の日本は、列島改造論を見てもわかるように、国民が衣食住が足りた生活をするのが至上命題で、その為にインフレ覚悟で無理な経済成長を続けていた時代です。国民が貧しければ、冷戦に負けるという米国の危機感があったからで、冷戦が背景にあった事件だったと思います。  それでは、赤軍派の時代は終わったのかと言えば、そうではないように思います。火炎瓶、圧力釜爆弾など、黒色火薬、鉄釘、アルコールなどの手に入りやすい物だけで殺傷力がある武器を開発したのは赤軍派ですし、その技術は国境を越えて世界中に伝搬し、米国で起こったボストンマラソン爆弾テロ事件でも使われています。  赤軍派は中東への影響力も大きかったと言われます。現在のテロ事件は重武装化し、大規模化して、戦争と変わらないものに変貌していますが、何も無いところから、武器を手作りして戦った人達という意味では、大きな影響力を持ち続けているのかもしれません。  もっとも、彼らの存在が大き過ぎて、学生時代は管理統制が厳しくて何も出来なかったように思います。  赤軍派が革命軍になれなかったのは、冷戦下で日本不信が強かったソ連や中国が赤軍派への軍事支援を断ったからで、カラシニコフ銃やロケット砲などの武器を持てなかった為に、革命を起こせなかったのが原因のようです。他の国のように軍事支援を受けていれば、日本の歴史は大きく違っていたでしょうね。

m_matsubara
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私の場合は、ニュースの意味がわかる様になった頃にちょうどソ連が崩壊して、父親が時代の切り替わり点にいる事をしみじみと語っていました。 そういう世代には、敗戦からのその流れは、逆に平和よりに極端になってしまった結果で、今の日米安保が時間とともにその成果を認められた状態を平常に考えている様に感じてしまいます。 何にせよ、赤軍の様な人を殺せる様な道具を使う人々はそもそも最初から世間にも支持されていなかったし その存在は、大きな事件を起こす前には特に世間には知られていなかったのですね。 その方が個人的にも実感を持ちやすいです。 ベストアンサーにしても良いのですが、もう少し回答を集めてみたいので少々お待ちください。

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