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幸せな死に方とは?幸せ、死とは?

koosakaの回答

  • koosaka
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回答No.3

死とは? 幸せとは? と言いますが、私はまだ自分が死んだのを一度も見たことがありません。 他人や肉親が死んだのなら、何度か見たことがあります。 他人や肉親が死ぬんだから、自分も同じように死ぬんだろうと思って、他人の死と自分の死を同じものだと考えているのかもしれませんが、他人の死は生物として死、少なくとも私から見た死です。 ところが自分の死は自分で見ることができないのですから、私から見た死というのは私に関しては例外です。 とすると残るは生物としての死ですが、私の死もある意味では生物としての死であるとともに、何と言っても意識としての死です。 その意識が消滅することを私は死と考えています。 そして意識というのは基本的に私にしかありません。 他人にも意識があるのかもしれませんが、私に見えるのは他人の肉体とその振る舞いでしかありません。 私たちは他人も自分と同じ意識を持っていると考えていますが、それは自分の持っている意識を他人の身体の向こうに「投げ入れたもの」「投影」したもので、私の意識にほかなりません。 だとしたら、意識というのは、私にしかない、私一人のものだと言っても、そんなに間違いだとは言えないと思います。 そして意識というのは終わりがありません、終わりがないというより、終わりを意識できません。 たとえば、私が生きている限りはどこまでも意識があり、私が死んだら、死後、それを振り返って、ああ、あそこで自分は死んだのか、あそこで意識が無くなったのか、と確かめられるかもしれませんが、死とともに同時に意識が消滅しますので、死の瞬間というのを意識できません。 たとえば、あなたは自分が生まれたのを自分で見たことがありますか? また、自分が誕生したのを意識していますか? たぶん、小学校高学年になんとなく、自分が存在している、生きていることを意識しだしたのではありませんか? でも、その意識がいつ生じたのか、何年何月何日の何時に意識が始まったのか、分かりませんよね? それと同じで、私たちも自分が何時何分に死んだかなんて知ることはできないのです、もし、知ることができるとしたら、それはあなたの肉親であり、子供たちです。 あなたは、いつの間にか死んでいた、という形で死ぬのです。 気が付かないうちに。 私は自分以外の人間はたいてい死ぬけれども、もしかしたら自分だけは例外で、死なないのではないかと思っています。 私は親戚の人の死にざまを見て、「まだまだオレの番ではない」、と思いました。 人間は他人の死を見て、誰もが私と同じように「まだ、オレの番ではない」と思うものなんではないでしょうか? つまり、自分だけは例外だと、たいてい思っているのです。 つぎに、幸せというのは主観的なもので、何が幸せかは人それぞれです。 汚いボロ屋に住んでいたって、住めば天国というように、幸せです。 お金がいくらでもあっても、けちん坊の周りには誰も近寄らず、不幸せだということもあります。 子供がたくさんいて、喧嘩が絶えず、こんなはずではなかったと不幸を感じる人もいれば、子供がたくさんいて、にぎやかで、おじいちゃん、おばあちゃんと孫に囲まれて幸福を感じる人だっています。 歩いていて、1000円を拾って、今日一日、幸せを感じる人もいれば、高価なブランド品を買いそびれて不幸を感じる人もいます。 幸・不幸はその人が何に価値を置くかによっていろいろ変わってきます。 お金に価値を置く人はお金がないと不幸を感じ、人と人とのきずなに価値を置く人はお金がなくても、人のきずなさえあれば幸福だと感じる人もいます。 幸福は人それぞれ。 私は一人でコーヒーを飲みながら本を読んでいる時が一番、幸福を感じます。 でも、人によってはそれを幸福と思わない人もいるでしょう。 スポーツをやったり、恋人と散歩したり、友人と談笑したり、そういう方が幸福と思う人もいるでしょう。 だから、人の数だけ、幸福もあります。

hayyuji9401010
質問者

お礼

ご回答のほど、 ありがとうございます。

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