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理性?

hikaricomの回答

  • hikaricom
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回答No.14

》》自己犠牲は、善なのか、悪なのか。 補足しますね。 より多くの生存を助けるというのは他者を助けなさいという強制を含むものではありません。 自己犠牲というのは、非常にネガティヴな感情であり、そこには懺悔?や他者への見せしめというような自己への暴力によって他者への非難を多少なりとも含んでいます。 人と世界との関係性をつぶさに分析してみると、4つの要素に区分けることが出来ます。 それは自己、家族、組織やグループ、そして人類です。人間は生存を目的として生きています。私たちの目的は生存です。この4つを生かしながら私たちは生きています。しかし、どれを優先すれべきか?という問いはナンセンスで、どれもが同等の価値を有しています。同等? 家族を助ける為に死ぬとか、会社の為に死ぬといった行為が有益か否かは、みなその時の自己決定に委ねられますが、生存を助けるとは、何も生き死に限っていっているのではなく、1.2.3.4とそれぞれが同等の価値を持っています。というのも個人と個人との関係、個人と家族との関係、個人とグループとの関係、個人と人類との関係といったように、全ては、個人の世界を形作っているものです。 お年寄りに席を譲るのはなぜでしょう? それは、自分の方が丈夫であり、より負担の多い立場の人の荷を軽くして上げることの方が相対的により生存を助長することになるということです。 父親が大変な仕事を抱えることになるであろうポストを引き受けるといった場合、出世の為に生まれたばかりの乳飲子と妻を置いて3年間エジプトに赴任することが善かどうか?出世、高い収入の話を犠牲にして断てしまうか?妻を一緒に連れて行くか?選択肢は一つではありません。 その選択肢に於いて何もが、最も善となる選択肢であるかは、その時どの選択肢が最も生存的かで判断されると言うわけです。 その個人の決定に於いて、より多くの生存を助ける(その人個人の持つ世界の中に於いて)ことは、その人にとって限りなく生存であり、限りなく善なのです。しかし、もしそれが自己犠牲と判断するならば、その人の世界は個人の領域にのみ留まっている状態を示すことに他なりません。分かりやすく言えば、その人は、自分のことにあまりに固着している状態であり、責任の範囲が他に及んでいないことを示しているのだと言い換えることが出来ます。

kurinal
質問者

お礼

hikaricom様、ありがとうございます。 >「より多くの生存を助けるというのは他者を助けなさいという強制を含むものではありません。 自己犠牲というのは、非常にネガティヴな感情であり、そこには懺悔?や他者への見せしめというような自己への暴力によって他者への非難を多少なりとも含んでいます。」 ・・・なるほど「自己責任論」ですが、 こうしてみると「自己責任論」とは、強者にとって、とても都合が良い・使い勝手が良い。

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