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諦めたらどうなる?諦めないと、どうなる?

絶望は愚か者の結論であると、昔ラジオ人生相談で言っていました。 諦めたら どうなるのでしょうか? 諦めなかったら どうにかなるでしょうか? 最近戦争の特集や70年談話を聞いて これじゃあ行けないと思うのですが。 じゃあ何とか成るのかと言うと 15年以上活動してきましたが 自信はないですねえ。 なんか鰻でも食えて、ビールでも飲めたら それでいいかこの夏は(両方無理(^^ゞ ) と言う様な弱音が出て来そうです。 どうなんでしょうねえ?我々が頑張れば少しは何とかなるのでしょうか? それとも我々は思考停止の葦になる運命なのでしょうか?? 貴方は何の為に どういう気持ちで哲学をやっていますか?

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noname#210533
noname#210533
回答No.12

回答をどうもありがとうございました。 でも、違うよ。 Bさんもあなたも同じ誤りの虜囚だと思う。 故に盲目で、哲学者足りえていないのだと 思います。 他者の思考が理解できない、ということにも、 理解できないから受け入れられない、ということにも、 あなたやB氏なりの、生きて来たこだわりの歴史があるの でしょう。 だから、いくら議論しても無駄なので話しません。 理解しようとしない者に、いくら話しても無駄だからです。 そして、それはそっくりそのまま、あなたの嘆きの 理由になっている。 せめてその程度のことは、理解して戴ければと思います。 あなたが、あなたの思考を否定する考え方を受け入れ られない限り、議論にもならないし、他人にあなたの 考えや価値観が受け入れられることもありません。 あなたが受け入れない様に、誰も受け入れないんです。 対話にならないから。 話し合って理解し合うと言うプロセス、自分以外の人間の 思考や価値観を取り入れることで、より豊かになる、という プロセスを認められずに、自分を他人に認めさせたい、と 個人的欲求を「真実」にすり替え続ける限り、それは あなたが他人にあなたを押し付けたいだけだし、それは 他人に対して、自分の考えや価値観よりもあなたのそれが 優れていることを認めて、自分を捨ててあなたを受け入れろと 言ってることに他ならないのです。 そこに、神だとか真理だとか、善だとかと、一見社会が 普遍的に従うべき価値観を、私はガイドしているだけだ、と かのB氏も固執して話していましたが、それが既にすり替え なんです。 社会に置ける価値観やものの見方は、無数の意見の趨勢が 動的に変化しながら暫定的に、その時代、その地域、その 現状に合わせて「とりあえず」決められるものです。 個人が恣意的に決められるものでは、ないのです。 (まあ、現実には声の大きい者が人の耳目を集め、  趨勢を決めることは多々ありますが。それは現実論  なので今回は省きます。) 社会が、無数の考えや視点、論理や価値観の中から、 取捨選択を行い、一つの「有為な見解」として 認められたものが、その時点のスタンダードして 公示するもの、そこで初めて人々がものごとを 判断する際の手掛かりの一つ、公器の一つとして 人々に扱われるのです。 世に認められて初めてオリジナル作品として 扱われる、ということです。 決して個人が決めるものではありません。 あなたの意見も一つの意見。 だが、それは全てあなたの個人的見解でしかありません。 それ故に、断じてあなたの見解は哲学などではない、と 私は思います。 思想としても未熟に過ぎる、というのが正直な感想です。 バカにしているのではなくて、余りに小さな個人的感想を 繰り返し連ねただけに見えるからです。 慧眼、と思える一行さえ無い、と思えるものを、どうして 自分の生きて来た中身を排して差し替えたりするものですか。 自分がどれだけちっぽけで、取るに足りない存在なのか。 それは肉体的な事だけでは無くて、その人生も思考も全て、です。 決して自虐的な卑下を強いているのではありません。 私も、そして誰もが、自分を等身大以上に巨大なものだという 錯覚を起こしてはならない、と申し上げているのです。 「自分こそが高次の理解を手にした尊厳者だ」と、 勘違いをしない様に、いつも自分が見えていなければ ならない、ということが言いたいのです。 もしあなたが哲学的な思考を純化させたいならば、です。 自分の個人的欲求や憤懣を、哲学と混同せぬ為に、です。 自分を見失うと、時にその視点は歪に歪み、他人を 巻込んで大きな事件や問題を引き起こすからです。 あなたや私は、真実というパズルのワンピース? いえいえ、砂浜の、一粒の砂に等しい。無いも同然。 その一粒の砂が、他の砂も皆同じ砂だ、だからいっしょくたに 扱って「大きな視点で」テツガクしなければならんのだ、と 言い募りながら、実はその眼は、眼前に広がる砂浜も、その 向こうに広がる海原も、映してはいないのです。 他人を「所詮人間はこういうものだ」と、勝手な決めつけで、 その人をあるがままに、静かに、そして豊かに、「観る」事さえ 放棄しているまなざしでは、その無数の者達の差異や、共通点、 その二つが織りなす無限とも言えるものの見方や捉え方の バリエーションに思いを馳せることも適わなくなるのです。 自分はどうしてテツガクしたいのか、という個人的な動機、 所詮、個人的欲求でしかない物、について、きちんと世界と 混同しない様に掘り下げ、弁えることがとても大切です。 あくまで、個人的な欲求充足が満たされずに鬱憤を言い募って いるだけなんだ、ということを曇りなくきちんと理解出来て 始めて、他者が見えてきます。 何が同じで、何が一人一人違うのか、について理解出来る、と いうことです。 他者を自分と同列で、それでいて全く異なる存在として、 きちんと理解出来て始めて、その集合である「社会」に ついて、極端に歪んだ像を結ばずに、意識の網膜に 捉えることが出来るのです。 そして、社会を大きく歪まずに観ることが叶って初めて、 時間軸も善悪も、価値も、ほどいてしまってから、その上の 高次の視点、意味なり、連なりを探る視点が自由に飛翔 出来るのです。 他人を理解することを拒絶して生きてきてしまった人は、 必然的に独善的であり、妄執的であり、故に孤独です。 真に孤独である人が、自らについて徹底的に深く掘り下げて 思索を巡らせるとき、そこには哲学も生まれるでしょう。 でも、中途半端に「真実を自分こそが理解している」という 歪なまま年老いて固まってしまった妄執は、何を掘り下げる ことも出来ず、さりとて他者と手を携えて社会に善行を施す こともせずに、鬱々と自分のプライドと闘うだけで生涯を 終えてしまうのです。 殆ど観客のいない、独り芝居の最中に、似たようなセリフを 堂々巡りで呟きつづけて、社会の誰に見とられることも無く 死んでいくのです。 無念を抱いて、です。 本当の哲学が、無念を抱いて死んだりしますか。 それはただの、個人的な望みに過ぎない。 しつこいほど繰り返してしまいましたが、何も あなたをシャクフクしたくて書いている訳では ありません。 言っても理解してくれないだろうあなたに対して 書いたわけでもないのです。 あなたのご質問を通してで恐縮ですが、同じように 個人的欲求を社会正義とか哲学とすり替えてしまい、 そのことに真摯に向かい合えない人々が数多くいます。 それらに共通の回答として載せさせて頂き、当分 これらがごっちゃになっている質問に対しては 回答を差し控えようと思ったのです。 色んな人が、解答欄も見ていることを知りましたから。 あれもこれもグチャグチャに混ざったままで いくら考えてもテツガクになどならない、と思う。 もっと純粋であって欲しいと願って、この巨大な Q&Aデータバンクに意見を書かせて頂きました。 あと20年もすれば、AIが自動的に膨大な これらのビッグデータを読込み、検索を超えた 自律思考の「思考要素」として再利用してくれる でしょう。 場所を貸して頂きどうもありがとう。 今回の回答は、私の単なる個人的目的があって 書きました。 私なりの内的な回答ルールがあって、一つのけじめを 付けたかったんです。 あなたの解答欄に書くことによって、です。 私は哲学者などではない。 でも、哲学的な思考は、純粋な好奇心によって 自由に飛翔するべきものだ、世を憂いて 現代のソクラテスを気取ることなどでは 断じてない、私はそう思います。 混同してはならない。 それではカオスのままだ。 美を愛でるように、純粋に形而上的な思考を遊び、 好奇心という羅針盤に指南されながら航海せよ。 現世の事は、現世の事として思考せよ。 自分が何者かを、常に問うことを忘れずに。 という、個人的見解でした。 どうもありがとうございました。 これにて、この意の質問に口を閉じることに 致します。 サンクス。 最後に一つ。 質問者さんではない、別の「権利者」に。 「これを削除するなら、私はあなたを嗤うだろう。  そして、ここを去るつもりです。潮時、と。」

yuniko99
質問者

お礼

なるほど。ラセンカイダンさんの気持ちはよくわかりました そうお思いになるのが普通だと思います。現実にそうです。皆そう思うようです。 私は何を書いたらいいでしょうか。大変失礼いたしました、勉強させていただきますと 謝る事しかできませんね。 全く残念ですが ラセンカイダンさんを納得させるほどの説得力はないと思います。 申し訳ありません。またのお越しをお待ちしていります どうも大変ありがとうございます。

yuniko99
質問者

補足

とほほ。これがベストアンサーとは・・・

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その他の回答 (13)

noname#260418
noname#260418
回答No.15

>不毛ですか。 なにを得られましたか? 同じ質問をくり返していますが。 >みなさんのお気持ちを伺いたかったのですけどね いままで回答を見ていましたが、 解りやすく説明してくれてる回答者の 意見を受け容れようとしてないように 思いました。 >仰るには、私は私らしく、諦めずにやって行けばいいという事の様で 人に訊くまえにやる人はやります。 >ありがとうございます。出来るだけやってみます。 ここはまだ運営側が管理していますが、 Twitterなど、他のネットは容赦ないです。 国際情勢について発言するなら、きちんと 調べてからにしたほうがいいと思いますよ。

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noname#260418
noname#260418
回答No.14

yunikoさんは誰が誰にたいして、 なにをこのままではだめだと仰ってるのでしょうか。 回答者のお礼文にいきなり 国際情勢が混ざったり 論点がずれてなにを質問されているか 分からないのです。 誰だって救えるものなら救いたい気持ちはあると思うのです。 人が苦しんで死ぬ(ことになってますが)ことや治安の悪化を喜んでる人はいないと思いますよ。 「争い」と「死」から人間が 逃れることはできないのと思うのです。 人がいれば争いは必ず生じます。 「死」は人間(生物)の宿命です。 「天寿を全うする」という言葉がありますが、 「全うする」は最後までやりとげることを意味しています。 なぜ存続にこだわるのでしょうか。 存続させたいからアイディアはないかと何度も質問されてますが、度がすぎれば押しつけになります。 全員が苦しみながら死ぬわけではないと思うのですが、 yunikoさんの質問文を読むと 前提に人が苦しんで死ぬことを焦っているようです。 戦争をいいと思っている人はいません。 何十万人殺したとありますが、 殺された家族にとっては世界でたった一人の家族です。 部外者が数を引き合いにするのは不遜な行為です。 自分たちだけではどうにもできないことってたくさんあるのです。 それを分かっているからこそ、口にしないのではないでしょうか。 なにかしらアイディアが欲しいとお礼文にありましたが、 平和をおもうyunikoさんの気持ちは否定できません。 ひたむきさが伝わってきて、 変わらないでほしいと思うくらいです。 過去の戦争や未来のエントロピーより、 実存する困っている人たちに目を向けてほしいと思います。 アイディアがないのに行動しても意味がないと仰ってましたが、 今のほうが不毛だと思わないのでしょうか。

yuniko99
質問者

お礼

不毛ですか。みなさんのお気持ちを伺いたかったのですけどね 仰るには、私は私らしく、諦めずにやって行けばいいという事の様で ありがとうございます。出来るだけやってみます。 どうもありがとうです。

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  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.13

勉強しても何にもならない、無駄だったと思うならば、それは実は勉強でもなんでもなかったのです。学びを役立てれず、その果実を得られなかったのは当人に至らぬところがあったからに他ならない。勉強や学問が無駄なのではない。 出来ないことをしようとするのは愚か者です。出来ることで、しかもためになることをするのが賢者です。 諦める?一体何を?世界は休まず回っていると言うのに。そんな暇があるんですかね。 諦めるなんてことは、何かを一所懸命になそうとした人が自分の限界に至ってすることです。何も為していない人がすることではありません。 私は世界を救おうなどとは思わない。しかし他人の一生を諦めようなどとも思わない。人類を信じていると言えば語弊があるやもしれないが、心のどこかでは信じている。それは諦めではない。 あなたは言う。もう諦めたほうがいいのかなと。自説を理解してもらおうと躍起になるのは諦めてもいい。しかし、世の苦しみに見舞われている人たちのことを諦めるべきではない。自分の手は彼らには届かないかもしれないが、だからと言って諦めては全てが終わる。諦めず、しかも自分に出来ることを為す、それが、しっかりしているということではないですか。

yuniko99
質問者

お礼

何と申し上げていいのか・・・言葉もありません。 五言絶句です「すみません」私が悪いんです 私が至らないばっかりに・・・ 申し訳ありませんでした・・・どうもありがとうございます。

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  • bekraf
  • ベストアンサー率42% (16/38)
回答No.11

>そんなに恐ろし国ですかねえ? 僕はロシアの方が恐ろしいし アメリカも恐ろしい しかし、生きたまま人間の皮をはぎ取ったり、何か、本当に人間なのか?と思ってしまいます。。 アメリカは世界の警察の皮を被った「戦争推進国家」で、ロシアも確かに恐いですね、いつ裏切られるかわからないですから。 >アメリカは20世紀から無茶苦茶に殺しまくって来ましたからねえ 世界の警察が そんな 人間を虫けらの様に殺しまくって 9.11で自分たちがやられたら10倍返しでも気がすまない。 ですね。う~ん。。「敵を愛さない」「隣人を殺す」と「自国民も殺す」「自国民もモルモットにする」「戦争したくなったらでっち上げる」などなど、列挙してもしつくせませんので、親安保は戦争推進国家追従型でとても嫌ですね。。 この国は戦争なくして生きていけないのでまた次も似た様なでっち上げ絶対しますしね。。 また米兵も目玉くり抜いてましたしね。 >そのアメリカについていくというのだから 日本もどうかしています はい。。そうですね。 談話が薄っぺらに聞こえます。 >中国とアメリカの橋渡しをするのが日本の役割ではないでしょうか地理的にも、民族的にも。 何か・・・もう既に、中国アメリカ間で戦闘機を売買してますし、あっちはあっちでもう既に仲良くやっているみたいです。。 ご病気なのですね・・・ その様な時にキツイ物言いを致しまして申し訳ありませんでした。。 ご自愛ください。。

yuniko99
質問者

お礼

これはどうも、ご挨拶まで、ありがとうございます。 日本は米中ロが一同に介する場所ですから中露と敵対する訳にはいきません 最悪代理戦争とかやらされたら堪りません。戦場になるのも御免です 米中露が納得するよな思想を提示する事は出来ないのでしょうか? 思想が同じなら、あるいは結びつける思想なら 役に立つのではないでしょうか。 日本は思想が活発じゃないので残念ですが。 どうもありがとうございます。

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回答No.10

>諦めたら どうなるのでしょうか? 楽になります。 >諦めなかったら どうにかなるでしょうか? おもしろい人生に成ります。 >我々が頑張れば少しは何とかなるのでしょうか? 我々を主語にして質問してはいけません。 我、あるいは汝を主語にして質問する癖をつけましょう。 >それとも我々は思考停止の葦になる運命なのでしょうか?? 我々を主語にして質問してはいけません。 我、あるいは汝を主語にして質問する癖をつけましょう。 >貴方は何の為に どういう気持ちで哲学をやっていますか? 物理学や生物学、大脳生理学などが難解で良く理解できないので、哲学で誤魔化しているところです。 人類の遺産になるほどの哲学はできしませんが、じぶんの人生をよりよくする程度のインサイトを得られることがあります。

yuniko99
質問者

お礼

我々と一緒にはできない。分からない人が分かる人に聞くんだから 我々を主語にしてはいけないと言う事でしょうか? 自分の役には立つとはもいます。ただそれだけでは・・・ どうもありがとうございます。

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  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.9

私は、ユニコさんは勉強をすればいいのだと思います。夜間大学にでも通ったりして。勉強して、力をつけて、少しでも世の中の役に立って、それで気が晴れるのではないでしょうか。志あれば年齢など関係ないですよ。大学が無理でも、何かしら筋道を立てて、本腰入れて勉強すべきです。 私は哲学の知識などほとんどありません。知らぬふりを通すわけではありませんが、自分の力で世界に貢献し、世界平和をもたらそうなどとは考えていません。 しかし、ユニコさんは違うのでしょう?あなたの応答を読んでそのように思いました。 私の場合、何のためにといえば、自分のためにです。自分の人生を納得行くものにするために、学ぶのです。

yuniko99
質問者

お礼

勉強をすればいいなら 私は大人しく大学で勉強しておりました。 しかしそれでは無駄だと分かったので 大学をやめて試作を始めているのです。 私は質問をしておりますが それは私の考えを補うためです 私の考えはもうほぼ出来上がっています。もう一丁上がりです 所がそれを断片的にでも理解した人は今までに・・・4人くらいしかいません 何でこれだけ考えて書いてるのに分からないのだろうか?絶望的だと諦めかけているのです 私のことは置いといて a_honaさんが諦めるのかどうかを聞かせてください。 諦めて欲しくないのは山々ですが 人それぞれ考え方があるので 思想信条の自由です。どうぞご自由にお決めください。いや決める必要もないのですが 刻一刻と人々が死んでいく現代に それを救おうという気持ちが少しでもあるなら・・・ どうもありがとうございます。

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  • bekraf
  • ベストアンサー率42% (16/38)
回答No.8

こんばんは。 私は哲学なんて難しい事はよく解りませんが。。 以前、日本は戦争してもいいのか?の質問に2回、回答いたしました。 あの時、私はネットで、 中国に侵略されればどういう目にあうか。 無理難題を押し付けられ、その理不尽に刃向かえば、目を覆うような虐待、暴力、虐殺にあう。などを目にして、恐怖と焦りしかありませんでした。 この危険が迫っているのに、皆、何を悠長に構えているのか?! 中国は尖閣を間違いなく取りにくる。 沖縄、五島も中国領だと言い出す。 反日デモも言いようのないまで過熱して、中国政府は黙認したまま。 情報も本当かどうか判らない。 でももし、まだ知らない人がいたら?? そんな中で回答していました。 今読み返してみると、世論誘導に見事にはまってます。 この世論誘導法と恐怖を使った洗脳トリックから冷静に思考できるまで時間がかかりました。 その節は口調も強く、無礼な発言がありましたことをお詫びします。 申し訳ありませんでした。 >どうなんでしょうねえ?我々が頑張れば少しは何とかなるのでしょうか? それとも我々は思考停止の葦になる運命なのでしょうか?? 少しは何とかなります。絶対に。 洗脳民主主義だって一応は民主主義です。国民の意向の大半がNOに傾けば、やがて変わります。 世論誘導により洗脳された人々が気付けば徐々にまともになっていくはずです。。 あなた方反対派の発言から、思い出すことも、気づくこともあるのです。 賛成派が発言から、一理あることに納得するのです。 一度に変えられない事も、徐々に変えていく事は可能です。 チャンスはまた来ます。 コツコツ妙な洗脳を解くこと、声をあげることなどなど自分にできる範囲でやっていくしかないです。。

yuniko99
質問者

お礼

中国ですか。あまりかも怖いですよ。中国は元々は何度も戦争を繰り返して やっと治まっていたのに、アヘン戦争で人権を蹂躙され 共産主義革命(武力革命)をやって粛清して競争原理を取り入れて・・・ そんなに恐ろし国ですかねえ? 僕はロシアの方が恐ろしいし アメリカも恐ろしい アメリカは20世紀から無茶苦茶に殺しまくって来ましたからねえ 世界の警察が そんな 人間を虫けらの様に殺しまくって 9.11で自分たちがやられたら10倍返しでも気がすまない。 キリスト教国とか言って「敵を愛さない」「隣人を殺す」怖しい国です。 そのアメリカについていくというのだから 日本もどうかしています 中国とアメリカの橋渡しをするのが日本の役割ではないでしょうか 地理的にも、民族的にも。 私も自分に出来る範囲でやっているつもりですが なかなか思うに任せません どうもありがとうございます。

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回答No.7

意志があるところ、充足はある。 流されて生きるのは楽だが、それは肉体の奴隷。

yuniko99
質問者

お礼

流されて生きるのは趣味じゃないけど 意志あるところに充足がありますかねえ? あればいいですねえ。 ぜひ頑張りましょう。 どうも大変ありがとうございます。

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  • stmim
  • ベストアンサー率24% (57/236)
回答No.6

yuniko99さんの考えでは未来は既に決定されているのだから、悩む必要はないですよね。 諦めるか、諦めないかも決まっているし、頑張るかどうかも決まっている。 悩むことをやめて気を楽にしたらいかがですか?

yuniko99
質問者

お礼

そうは行かない事も決まっていれば、悩むことも決まっているのです。 そして僕はちょっと出かけるわけです。 どうもありがとうございます。

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noname#210533
noname#210533
回答No.4

思索は、それ自体がとても面白い興味の尽きぬものです。 旅をする旅人は、旅が無為だと思わずに進む。 さもなければ、一歩も歩いたことにならないから。 世界がどうとか、何をすべきかと言うのは哲学とは 違うことだと思います。 それは、思想、でしょう。似て非なるものです。 思想に殉じたいなら、政治活動に身を投じる事です。 何も立候補しなくても、政治に参加する方法はいくらも あります。 そうして、自分の得意分野なり、主なテーマなりを 決めて、余り大風呂敷を広げずに、地面に足の着いた 思考をすることです。 自分に出来ることを、です。 自分は取るに足りないちっぽけな存在であり、死んでも 大した名も残らない、と達観して政党活動やボランティアに 参加すれば良いと思います。 名を成したい、何か大きな成功を得たいと思うのは、それは 哲学では無くて、ただ無為に生きて来た人の夢想に過ぎません。 超人願望の、一形態です。 本当の自分探し、とかいう奴です。 その路線で生きたいのならば、醜いまでに意欲的に活動すれば 良い話。 安全地帯で活動もせずに社会がこうあるべきだなどという 独りごとを呟いて人生を消費することは、哲学でも思想でも 無い、と思います。 何事か為さざらんと、その身を投げ打ち行動し、結果を出さねば 諦めるも何もない、最初から何もしていないに等しい。 それを「そんなことはない、正しい論理は人々が認めるはず」と 固執する限り、他人から見ると存在しないも同じということに なってしまうのです。 頑張ってなど、いないと思う。 正に、思考停止の葦のつぶやきだと思います。 哲学は、思考を楽しむもの、思想は顕すもの、 そう、思いませんか? ちなみに、愚か者の結論、という言い回しは ニッポン放送で午前11時からの人生相談で 相変わらず言ってますよ(^^)

yuniko99
質問者

お礼

そうですか まだやってましたか 息が長いなあ 敵わない^^ しかしですねえ ソクラテスは毒杯を飲んだのですよ 何でだと思いますか?そこに命をかけても守るべき理があったからでは? 哲学の怠慢が宗教と政治を結ぶ事も出来ずに 人々を迷わせてる事をなんとも思いませんか? まあ仕方ないようですので どうもありがとうございます。

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    さて、自らの推論が不愉快で仕方ない。 今回は初めに言っておこう。 継続中の哲学研究での質問だ。 あえて、過去質問は締め切らないでおくよ。 テーマに差異があり広範囲に証言を収集するためだ。 2500年ほど前、人間が人間であることを自覚すると、人の群れの中で特に仏陀といわれた。現代語訳すると「まさに人間である!」とでもいうところだ。 シャカはその手法で解脱した一人だ。 仏教研究で標語的に注目される点は日本人ならいくつか挙げられるだろうから問うまい。 現代哲学に焼き直すと総論は「観念への昇華」だ。 これは私が認識する限り「死の儀式」だ。 自らの生を差し出し、死を学ぶことだ。 私は今、腹が立っている。 この難易度の高い人間としての生存の自覚は、太古は簡単だったのに愚か者イエスが死の儀式として定着させた。 さて、予言者? イエスに予言能力があるか? 実のところ私は人に備わる予言能力を実証した。 その点は、任天堂に犯罪集団審問しろ。 予言能力とはすなわち、自分自身で未来を手にすることだよ。 これは運命を手にするといえるだろう。 社会性において、確立した自己の運命が周囲の人々に波及することでもあり、したがって予言まじない師の言葉をうっかり聞いてしまった人々の運命を取り込み自己が所有する。 これが予言者の資質だ。 さて、イエスは死ぬ必要があったのか? したたかに生き残ってユダヤ王復興すれば、後世に甚大な被害を与えなかった。 マザコンイエスは「死せる神」の伝承で、観念への到達と生存の自覚を、シャカの開拓を覆し「死の儀式」に逆行させた張本人だ。 予言能力のある私は、9.11スポンサー企業任天堂を出し抜いてしたたかに生き残っているぞ! すげ~迷惑だよ。 イエスは無能だ! なぜ?殺人鬼集団につぶされることを望んだ? ユダヤ人を全うした? あるかもしれない。 しかし、殺人鬼集団に栄華を与えたじゃないか! さて、質問文は以上です。 何か慰めてください。 美女は期待しません。 オカマを踏みにじるのが好きです。

  • 人生に意味などないことは明らかで、それ故そろそろ死のうかと思っているのですが

    とても下らない質問です。 お忙しい方は、どうぞ無視してくださって結構です。 さて。 こんな状況を想定してください。 ある理系の高校生がいます。 唯物論的世界観を有する彼にとって、世界は極めてシンプルです。 彼にとっては、科学を前進させること、人の役に立つ技術を開発することのみが、究極的には唯一、真に意義があると思われる命題です。 なぜ彼がこれほど単純な世界観を有しているかと言えば、それは彼がそれまで「自分」や「世界」について真剣に考えたことが一度もなかったからです。 幸い彼は、数学、物理などの理系分野にそれなりの才能があったので、世間では一流大学と呼ばれている大学の工学部に進学します。 大学生活の中で彼は、「哲学」と言うものに初めて出会います。 これがあらゆる不幸の始まりです。 「哲学」と言う名のウィルスは、少しずつ、しかし確実に彼の精神を侵食し始めます。 彼は「哲学書」という書物を読み漁るようになります。 この「哲学」という名の凶暴な悪性ウィルスが、彼の薄っぺらな世界観をすっかり転覆させてしまうのに、それほどの時間はかかかりませんでした。 彼はたちどころにそれまで信じて疑わなかった、「人生の意味・目的」というものを失います。それどころか、今後二度と以前のような意味での「人生の意味・目的」を得ることはできないことを確信します。 これはもちろん彼にとって、受け入れがたい苦難でした。それ故、彼は何度もそれらの書物を読み直し、そして考え直しました。しかし、どのように考えても、存在論的な基盤の上にある西洋哲学からは、人生の意味や目的を見出すことは不可能のように思われました。そして、それを承知でなおもそれら解決不可能な問いを探求し続けるのが哲学だと言うことに、ようやく気付いたのです。 人生の無意味、さらに言えば、存在の無意味に気付いてしまった(と少なくとも当人は思っているようです)彼にとって、残された道は二つしかありませんでした。素知らぬ顔で、残りの人生を過ごすか、あるいは無意味、無目的に耐えながら日々を過ごすかです。不器用な彼がとることができる道は、後者のみでした。それ以来彼は、数年にわたりシューシュポス的な日常に耐え忍んできました。 もちろん、取り付かれてしまった病を克服する努力はしてきました。 論理を超えたところに光があるのではないかという淡い希望にすがりながら、彼は宗教書や文学を読み漁りました。あるいは西田幾多郎や鈴木大拙などと言った東洋の思想も読みました。 一時はそれらによって、絶望を打ち破ることができたように思われました。 しかし、ダメでした。 3年前に、彼はうつ病と診断されてしまいます。 それ以来、投薬治療や認知行動療法などを続けますが、そんなものが効くはずはありません。彼にはそれが誰よりもわかっていました。何故なら彼は、本当はうつ病ではないからです。うつ病だったらどんなに楽だろうかと思いました。うつ病ならば、抗鬱剤で快方に向かいますが、デンマークの哲学者が名付けた彼の病の特効薬は「死」しか存在しないからです。 それ以来彼は、死に対する憧れを抱くようになりました。 夜眠りについて、そのまま一生起きることがなかったらどんなにいいだろうかと思いました。ただし、自殺を実際に行動に移すだけの勇気も、気力も、彼にはありませんでした。 もちろん、彼が自殺を思いとどまってきた理由は他にもあります。それは、家族、友人の存在です。彼が自殺をすれば、友人は猛烈な自責の念に苛まれ、両親は今後一生立ち直れないであろうことは、彼にはわかっていました。それゆえ彼は、それらの人々の為だけになんとか生きているといってもいい状態でした。しかし、忍耐にもそろそろ限界が来てしまったようです。 彼はそろそろ死のうかと思っています。 もちろん彼の死に一握りの悲劇的要素もないことは、彼自身が誰よりも承知しています。 何よりも無意味な死、犬死です。 しかし、彼の悩みが彼固有のものであると思うほど、彼はバカでもうぬぼれてもいません。 それどころか、数え切れないほど多くの人が、同じような問いに悩み、それを乗り越えてきたことを知っています。しかし、数千冊の書物から彼が導き出された結論は、それらの問いを乗り越えることとは、結局妥協によってのみ可能だと言うことです。 ただし、これは彼の結論であって、あなたの結論ではありません。 彼は、レヴィナス風に言えば、少なくとも「他者」を「私」ではない「他者」として認識するだけの謙虚さは持っているようです。 そこで彼は、インターネットと言う媒体を使って、「他者」にたずねてみることにしました。 彼の病を克服する「知恵」を、教えてあげてください。

  • 憲法9条•領土問題•慰安婦問題•戦争

    戦後、約70年になります。 そして、最近国際問題が何かと取りざたされているので1つ私の疑問に答えて頂きたいです。 前もって…稚拙な文章になりますすみません。 さっそく結論ですが、隣国であるロシア・中国・韓国と日本の間の領土問題及び慰安婦問題と憲法9条改正の動きが戦争に向けての計画的な動きだと思うのですがどうでしょうか。 1  領土問題は隣国ならば当然出てくる当たり前な問題、でしょうか?明らかな国際法の違反にも関わらず「及び腰」外交で特段処理できずにいるのはおかしいですよね。 特に強気に出れない理由なんて無いように思えますし、あるならそれはむしろ公表すべきですよね。 2 慰安婦問題は戦後において根拠のない言いがかりや、朝日新聞また河野談話によって産まれた妄言だといえます。 それこそネット右翼と言われる方達だって確たる証拠さえあれば黙り込むのに、未だにそれが出てこないのはなぜですかね。不思議です。 ついこの間も朝日新聞が捏造記事について認めましたね。 3 憲法9条の改正については、まあ解釈の変更?かな?については、そもそもここ何年間かの韓国及びに中国における領土問題が出てこなければ皆さん反対されたんじゃないでしょうか。 中国による漁船衝突事件も手伝ってか、やらなきゃただ単にやられるだけ。 無法者に対する恐怖がこの流れを作ったように思えます。 4 そして一気に飛躍する感じですが、123が全て戦争に向けての準備だとしたらいかがでしょうか。 考え過ぎですか? 逆に短絡的過ぎ? でも慰安婦にしても、領土にしても文面で見れば簡単で白黒ハッキリしてそうなのに、ここまでこじらせて国民感情を操っているのは事実ですよね。 政府としては中国や韓国をほっといて、むしろその行為を助長させる例えば「2」のような事をすれば、他国との対立を煽る事ができ そこにかこつけての9条を考え直す動きはしやすいですし、アメリカとしても日本がきちんと戦える国になった方が都合良さそうです。 こういうことは実際に戦争が起こってからでないと論じる意味などないですが、所詮妄想で終わりますし。 ただもし、国民周知レベルにまで落とし込んだこの国際的問題が、国民感情を操作し最終的に戦争できる国へもっていくまでの布石だとしたら なかなか怖い事ではありますね。 私は最近まで平和が当たり前だと思っていましたが、歴史的に見て戦争をしてない事の方が異常だと思いました。 ましてや国際的なこの時代に。 今も日本にとっては戦争終わってまだ一世紀もたってません。 アメリカなんかはつい最近戦争してますしね。 何時の時代も、何処の国でも「次の」戦争に向けて準備(政治)していると考えた方がしっくりきます。 平和を望むのは実際に戦地に赴く一般市民だけなんでしょうね。 みなさんはどうおもいますか。

  • 宗教が戦争を生むのか

    閲覧ありがとうございます。 私が現在、26年間生きてきて、物心ついてからいままで、世界で戦争が止んだことがありませんでした。 小さなころ、ベルリンの壁のニュースを聞き、戦争を不思議に思ったものです。 でも高校などで世界史を勉強して、あらゆる時代・場所で人間の争いがありました。26年なんてものじゃない。 そして、私が出した答えが題のとおりです。 人が争いを止められないのは、その中に変えがたいお互いの真理が根ざしている、つまりは思想信条が関係していると思います。 日本には八百万の神々への信仰、先祖信仰など昔から信仰があり、例えば元日は初詣に行き、葬式は僧侶に来てもらうなど、よく考えればちぐはぐなことですが「普通」と捉えられます。 しかしキリスト教や仏教(日本で広まっている主な宗教と考えあげています)のように、「宗教」に対しての偏見が強いです。 なぜ善い部分は認め合い、取り入れて生きられないのか。 こんな狭い日本でさえ。 悲しくなります…。 政治家が堂々と犯罪を犯す。 それに目を向けている人は何割か。 マスメディアは世の中を、流行を、思考を「洗脳」していることを、気付いているのか。 どう生きたいか。 何をもって、善か悪かを判断するのか。それが信仰によるのではないか。 こんなこと、話題にするのは「重い」と煙たがられる世の中。 哲学を嫌煙するのが今の世の中…というか私たち若い世代です。 ストライキだらけだったろうが、昭和の日本はまだ人間が「生きていた」のでしょう。 宗教とは何なのか。 今、日本人に必要なものは何なのか。 私は、差違を認め、関係を育む、大きな意味での「包み込む愛」ではないかと思うのです。

  • イスラム圏がテロの温床になることの考察

    イスラム圏がテロの温床になることの考察 ここは哲学カテゴリーで、哲学の学問の様式で投稿しています。 政治関係カテゴリーなどの常連さんには勝手が違うと思いますが、哲学は狂人が喚き散らす場でして、好き勝手に喚き散らしてくれて結構です。 一見礼節を逸脱したり、まともな結論を要求していないかのようでしょうが、哲学はそういう場所です。 さて、イランに安倍総理があいさつに行ったら、返事がタンカー攻撃でした。 そもそもイランイラク戦争の時日本はイランとイラク双方と外交関係を結んだ数少ない国でしたが、その当時から中立的立場なのでイランにとっては日本とは敵でも味方でもないというところでしょう。 そして今回は明白な敵対国アメリカの御用聞きだった。 戦前の日本の軍部の独走があったように、臨戦状態のイラクで政府のどの階層が攻撃に関与したのかは定かではありませんが、お上品国家群と違って臨戦態勢の国にはタンカー攻撃くらいは「軽い挨拶」ではないだろうか。 礼節をもって、話は一応聞いたが、本来歓迎する話ではないし、敵対国の御用聞きだったということでしょう。 さて、イスラム圏には気になることがありまして、植民地支配による世界の征服と世界大戦という厄災を招くことで、ヨーロッパルールが、外交と紛争解決の国際ルールとなりました。 キリスト教圏主導の世界の常識とでもいえましょうが、イスラム圏にはイスラムの常識がある。 そのイスラムルールの外交と紛争ルールがあまりにも無視されるとヨーロッパルールではテロと規定される暴走が起きてしまうのではないかという、まあ仮説というか考察です。 例えば何年か前に、トランプが自分の娘におねだりされたからと、シリアの軍事施設に気まぐれでトマホーク50発をぶちかましたことがあります。 戦争といっても、「武士道」「騎士道」というのが昔ありましたが、自らが血を流すことのない「戦い」の古風なしきたりを損なった卑怯で一方的な攻撃を娘のおねだりで仕掛けて、だれもそれに何も言わない国際ルールというのは、イスラムにとって真珠湾攻撃以上ではないでしょうか。 人類史上各地の歴史に語られる、生き死にをめぐる争いの最低限のルールと戦士の尊厳を踏みにじる行為です。 ヨーロッパルールでそれが適法で、イスラムルールで違法なら、むしろイスラムの誇り高さの方を、あらゆる文明国が理解すべきだとも言えます。 政治的には当然そうはいかないでしょうから、ここは哲学で研究課題募集です。