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昔の人は小作農でも、もっとサボってた?

昔の人は小作農でも、もっとサボってた? 猛暑の日々が続きますが、今の日本人って昔の人と比べて毎日働き過ぎだと思います。 昔の人なら、こんなに熱暑の日は、田植えなら田植え、治水管理なら管理をその時期や早朝にサッと効率的に済ませて、家でゴロゴロしてたんじゃないかと思うのですが、人文学的にはどうなのでしょうか?

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  • okormazd
  • ベストアンサー率50% (1224/2412)
回答No.4

一般的な民俗学の研究は、豊かな人士による報告で、実情を反映していない面があると思います。豊かな人士は文章にするのは得意だが、実態を把握するという点では、無力なのです。 1950~1960頃まで、日本の農村の実態は、小作農は農地解放でなくなっていますが、農作業の実態は小作でも自作でも同じようなものです。 1. 夏季暑熱の季節 日中の暑熱の時間には労働はしません。早朝、草刈りや田畑の状況見回りをして、不都合があれば処理します。この時期は、1950-60頃までは、短くても午後1時から午後3時までは昼休み「へーらすみ」として昼寝です。スペインその他の熱帯・亜熱帯で広く知られるシエスタです。夕方、日が陰るころまた農作業に出ます。要するに労働に不適な時間帯には労働はしなかったということです。敢えて働けば熱中症になるだけです。現在も暑熱の時間帯は避けます。当然のことです。 2. 「もっとサボってた」 サボってたわけではありません。できる作業が限定されていてそれ以上にはできなかったというのが実情でしょう。できる作業として内職は普通でした。 3. 北陸・東北の冬季 寒冷で作物は育ちません。次期農作業のための準備で、寄り合って縄を綯うなどの作業を共同でします。これはある面では、文化的な生活の基盤になります。

ama1008
質問者

お礼

回答有難うございます。 >豊かな人士による報告で、実情を反映していない面があると思います。 そうですよね。私もそこからもしも小作農の心情がわかるような文献があれば人文学的に画期的だと思い質問いたしました。 「あつすきる、けふはいちにちへーらすみで こんへゐらをつれてうみにつかつる」等と文献が出てきたら面白いですね。 見当たらないということは、日本人気質として大昔から生真面目だった方に軍配がありそうですね。

その他の回答 (3)

noname#215107
noname#215107
回答No.3

兼業農家です(でした)。 今の米作は、ほとんどが機械で作業できるため、米を作るのは農業の中でも最も楽な部類の一つだと思います。 昔はもちろん、トラクター、田植え機、コンバインなどの機械は無かったのですが、 2、30年前は肉体労働の比率が高かったような気がします。 機械にできることも小規模で、稲刈りは後ろをついてあるくバインダーでしたが、脱穀はしてくれなかったので、固定式の稲こぎ機(ハーベスターではない)を使っていました。 今でも、草取り作業などは手作業を伴いますので、昔はとてもサボっている状況ではなかったと思うのですが、現代の5反農家が考えることでしょうかねぇ。 主観による考えなので、何とも言えませんが、昔の人は私の何倍もの体力があったのは確かですよ。

ama1008
質問者

お礼

回答有難うございます。 私事ですが建築現場の仕事で現場の横が田畑で、毎日、農家の方の仕事を観ていました。 暑い中、コンバインやら機械を一日中動かされていて、現場仕事よりキツそうと思いました。 農業ってやることや知識沢山いるのですね。さらに兼業農家だとそちらの経営や知識も必要で大変ですね。 やはり昔の人もサボってる状況ではなかったと。 その土地の土にもよるかもしれませんね。 今より土地柄や環境に左右される時代、ムラ社会にあって神仏を大事にしてた感じを想像しました。

  • pigunosuke
  • ベストアンサー率19% (1063/5529)
回答No.2

灯りが無い時代です、 今の時代のような時間に寝起きはして無いでしょうが 囲炉裏の火の灯りで草鞋を結っていた なんてエピソードは聞いた事があります 作った作物は税として取り上げられて その日に食べる物にも苦心されていたという事なのでしょう ご飯を炊くには薪を割る、 火を起こすのにもコンロなんて無い時代 その日、その日の生活を維持するだけでも それなりに重労働だったはずですが そんな環境で効率的に働く為に、どのような工夫をしていたのでしょうね

ama1008
質問者

お礼

回答有難うございます。 江戸時代後半にはかなり飢饉を除き農民の生活は改善したそうですね。 その日の食べ物にも苦労したという文献は歴史の授業で沢山習いますね。 しかしながら歴史的な文献で残ってるメジャーなものって、飢饉の時の訴状や大庄屋で字が書ける人の備忘録みたいなもので、平時の小作農ってどんな心持ちで生活してたのかな?と思いまして。 「また権兵衛は薪割りサボって握り飯もって海に泳ぎにいったぞ」とか言ってたのかな? 失礼、独り言です。 都市部との連携が成されてきた時代は商品作物や手芸品にもノルマがあったかも知れませんね。

  • trytobe
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回答No.1

その分、内職したり、脱穀とかで機械化できていない作業は家の中でやりますけどね。 囲炉裏があれば、夜おそくまで内職で地方の産物をたくさん作って、町に売りに行けますから。 40℃を越えるが機械化された21世紀を選ぶか、35℃でも珍しかったが電気もねぇ19世紀を選ぶか、どうぞ。

ama1008
質問者

お礼

回答有難うございます。 現代日本はムラ社会が第三次産業に悪影響をもろに与えていますから、 精神衛生的には過去の方がいいのかも知れませんね。 ただ、環境に左右される時代、その分ムラ社会が機能していましたが。 電気もない時代の農民の心情は楽観的だったのか想像だけですね。

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