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アッツ島は玉砕で、キスカ島は撤退できたのはなぜ?
Pinhole-09の回答
- Pinhole-09
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北太平洋作戦は早期に計画されました。 日本の北の空防衛のための飛行場建設です。 1942年5月この方面米艦隊は弱く、アッツ、キスカ両島を 占領して見ましたが、キスカは飛行場に不向き、アッツは可能 だが建設は困難でした。 無価値とわかったこの時点で撤退は考えられましたが、未練が あり実行はぐずぐず先伸ばしです。 1年後反攻に勢い付いた米軍は両島奪還を目指し戦艦3隻以下 よりなる強力な艦隊が集結しました。 気付いた我が軍は撤退を計画しましたが、第五艦隊は重巡以下 で太刀打ち出来ず、1943年7月アッツ島守備隊は見殺しに なりました。 キスカ攻撃もすぐ迫っており、危険な撤退作戦を実施です。 濃霧に紛れて島に近付き、接岸時は霧が晴れ、帰投時はまた霧と なんとも幸運に恵まれ成功しました。 運も実力のうちと言います。 司令官木村少将の判断と決断の正しさによるものです。
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