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アッツ島は玉砕で、キスカ島は撤退できたのはなぜ?
jkpawapuroの回答
- jkpawapuro
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まずアッツ島キスカ島への進出は、南方作戦の陽動として行われました。 これがミッドウェーの敗北により日本軍はアッツキスカにおける戦略的価値を失います。 その後徐々にアッツキスカに対する航空偵察、ときには空爆が増え圧力がかかってきます。この時日本軍は必要のない島なのだからすぐに撤退させればいいものを、まだ米軍の上陸作戦を経験していないのでどうしていいかわからずアッツ島守備隊をキスカ島に派遣しアッツ島には本土から米川部隊2,650名を派遣するという形で増援を送っています。 この部隊が米軍の上陸作戦で全滅となり、日本軍は初めて撤退作戦を発動させます。 つまりアッツ島がなぜ玉砕したかとなると、初の米軍の上陸反攻ということで適切な対応ができなかったから、キスカ島の撤退作戦がなぜ発動されたかとなるとアッツ島守備隊が全滅したから、キスカ島の撤退作戦がなぜ成功したかとなると天候に恵まれた幸運と木村昌福少将の慎重かつ適切な指揮が成功したからといえるでしょう。
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