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アッツ島は玉砕で、キスカ島は撤退できたのはなぜ?

あずき なな(@azuki-7)の回答

回答No.2

キスカの退き口は偶然と必然が重なったすえの撤退です 指揮官の木村大将が見事だったとしか言い様がありません キスカは濃霧のさなかを突いての撤退でした 何度かキスカに近づく度に霧が晴れてしまい それでも木村大将は諦めず 部下の「このままキスカ湾に突入すべきです」という進言に「帰ろう…帰ればまた来ることができる」と言う名言を残し作戦を断念しました そして霧が出る最後の日と言われる7月下旬に最後の作戦を決行 哨戒に当たっていた米艦隊はレーダーでキスカ付近に船影を発見 そこに一斉射撃しますが それは岩礁がレーダーに映ったもので 米艦隊がそっちに気をとられてる間に木村艦隊はキスカ湾に突入 わずか50分で撤退作戦を終えました 上陸した米兵が見たのは島に残されていた3頭の犬だけです 疑心暗鬼になった米兵は同士討ちで30名の死者を出しています このキスカの撤退はルーズヴェルト大統領をもってして 「木村程の軍人を私は知らない あれだけの軍人が居ながら何故日本は我々に負けているのか… 」と呟いたと言います アッツは最初から撤退するな と命令が下っていました キスカもそうですが 木村大将は兵の命を重んじて撤退作戦を敢行しただけです

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