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哲学から得られた知恵は何かありますか?

urigadai2013の回答

回答No.7

カント学者の中島義道が「哲学の道場」という本で、思想というのはちょっとした知識があればだれでも思想は持つことができるが、哲学となると哲学のセンスが必要で、滅多なことでは普通の人には哲学はできない、といっています。 そして哲学の問題はたいていその答えが無い、といっています。 では哲学の問題とは何か? というと以下のことを考えることが哲学。 私たちは世界が存在していると思っているけど、哲学はそれを疑う。 世界は存在していないのかもしれない、また、私たちはどうして世界が存在していると思うのか? 世界が宇宙が存在すると存在しないのとは半々であったはずだ、にもかかわらず世界は存在している、これはなぜだ、どうしてなんだ。 世界なんて存在しなくたって良かったはずだ、それがどういう訳か存在している、これは不可解だ、驚くべきことだ。 なぜ、存在だけがあり、無ではないのか? 在るのではなく、無いのではないのか? 存在とは何か? 「ある」とか「いる」ということの意味は何か? そもそも「意味」とはどういう意味か? 「意味」って何? そして私は私が存在していると思っているが、本当は存在しないのではないか? もしかしたら悪魔が私をダマして私を存在していると思わせているのではないか?  私が存在する根拠と理由は何なのか? 何万年間も、私は存在したことはないのに、どうして私はこの時代の、この日本に存在しているのか? どうして私は江戸時代に生まれなかったのか? どうしてアメリカでなく、日本に生まれたのか? そもそも私って何? そしてこの私は誰? 時間は存在するのか、時間は流れるのか、時間は方向性があるのか、時間は直線なのかそれとも円を描いて循環するのか、時間は規則的なのか。 どうして時間についての考えは時代によって、国によって変遷するのか? 時間は一つなのか、多数なのか。 そして過去は過ぎ去って存在しないのに、どうして私たちは過去が存在すると思うのか? 未来は先からやってきて、過去は後ろに過ぎ去るのか、逆ではないか? 意識とは何か? 意識と脳の関係はどうなっているのか。 意識は脳にあるのか、それとも単なる脳の機能に過ぎないのか。 世界は心とか精神で出来上がっているのか、それとも物質によって成り立っているのか? それとも両方で出来上がっているのか? 物質で出来上がっているという人は心とか精神は存在しないというし、心とか精神で出来上がっているという人は物質なんて存在しないという、いったいどっちなのか? そもそも心とか精神って何? 物質って何? 物質なんて、また心とか精神なんて存在しないのではないか? どうして私たちは物質だとか、心とか精神を存在すると考えるのか? 人間以外の動物も意識を持っているのか? 脳を持たない生物も意識を持っているのか? 意識って何? 意識は私だけが持つもので、他人は意識が無いのではないのか? もしかしたら、私が意識を持つ、というのも錯覚なのではないか? なぜ、善と悪があるのか? 何を以て善というのか? 何を以て悪というのか? 善があることの理由と根拠は? なぜ行為には善と悪の二つがあるのか? 人間は性善なのか、それとも性悪なのか? 中島がいう哲学のテーマはだいたい以上のようなものです。 こうした問題に捉われて、一生を費やす人間、それが哲学者だと言っています。 たいていの人は、そんな当たり前のことは考えない、だから思想家はいっぱいいるけど、哲学者といえるような人間は滅多にいない、といっています。 私が昔、ショーペンハウワーの主著「意志と表象としての世界」を読んでいる時に、突然、目の前が真っ白になり、閃光が走り、世界がひっくり返りました。 ヘーゲルは哲学とは「転倒した世界である」といっていますが、ホント、常識がひっくり返っちゃう。 アリストテレスは哲学とは「世界を前にしてそれが存在していることに驚くことにある」といっています。 さらにプラトンは哲学は「死の思索から始まる」といっています。 昔も今も、哲学は「存在に対する驚き」と「死の思索」から始まります。 これまで当たり前のように思われてたきたものが、ぜんぜん、当たり前に見えなくなってしまう。 そして私はみずからに問いました。 「なぜ、世界は存在しているのか?」 「私とは何か? 私は誰?」 「なぜ存在であって、無ではないのか?」 それからの日々、毎日それを考えないことは無くなりました。 その若い時の体験、それが私が哲学に「はまった」原点です。 ところで、あなたはそのようなことを考えたことがありますか? 考えたことが無いとしたら、あなたは思想は持てても、哲学は持てません。 世界が存在していることが、当たり前だと思っているとしたら、哲学をやる資格はありません。 自分が存在していることを疑わなかったら、哲学をやる資格はありません。

yuniko99
質問者

お礼

どうですかねえ。自分で考えて驚いたか ダイジェストを読んで驚いたかは忘れましたが 先生が本を読んで驚いたと言う様な感じで吃驚まではしませんでした その代わり 考えれば考えるほど高揚感があって「確かに地球が太陽の周りを回っている」 と言う事を感じて中学校の恩師に会いに行った事はありました。 今でも哲学ほど面白いものはないと思いますし、哲学ほど絶望的なものはないと思うこともありますねえ。 私が哲学をしてるかどうかはわかりませんが 何とかして答えを探して教えて上げたいと言う気持ちが強いです。 子供たちが苦しんでいます 大人たちも不条理に遇っています。 どうにかして上げたい どうにかならないものかと 考え考え日が暮れる。 最近はちょっともうすぐ決着がつくんじゃないかと それがいい結果か 虚しい最後か分かりませんが そんな感じはしますねえ。 先生が哲学して来て その智慧で人々を助けてくれればいいなあと思います 評価する人も多いし 知識の広さ深さも定評があります。 何とかならないでしょうか?この阿鼻叫喚の巷は? 集団的自衛権とか派遣労働者とか憲法改正とか話題になりますが 我々の信じるべき意志はどの様なものでしょうか? 人を信じて平和外交を繰り広げたら その結果はどうなると思いますか? 政治に首を突っ込むのは邪道ですか? どうも大変ありがとう存じます。

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