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哲学を知った所で人間は何を得たのでしょう?
- 哲学を知った所で人間は何を得たのでしょう?歴代の哲学者は人生の真理を追いかけたが矛盾というか誰にも否定されない真理を解き明かすことが出来ないまま月日が過ぎた。人生の答えが哲学で分かったが分かったところで何も人生は変わらない。人間は得たのに変わらなかった。
- ソクラテス以前の哲学者は1つの答えを出そうと必死に答えを探していたが、ソクラテスは自分のことを自分が1番分かっているようで実際は自分自身の問題についての結論を自分で出した回答も答えが間違っていることは多く、自分のことが分かっていないことを知っている人の方が人生の真理に近いと説いた。
- デカルトは「我思う故に我あり」という矛盾がない答えを出した。人生の真理の答えは我思う故に我ありという結論で決着が着いた。けど、人生の真理は分かったがなぜ生きているのだと生きている意味を知りたがるようになった。人生の目的を人生の真理から人生の幸福へと興味が移っていった。
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私は哲学を知りすぎて、「痔(じ)」になりました。 座ってばかりいて。 哲学なんて知らなければよかったと後悔しました。 それだったら、手術して、若い看護師に、お尻の穴を見せて、恥ずかしい思いもしなかったと思います。 それに「抜糸」するとき、飛び上がるほど、痛いんだよネ? ベーコンも、ソクラテスも、デカルトも、ショーペンハウワーも、アランも、ぶっ飛ばせ!という気分です。 この私の「痔」をどうしてくれる(笑)、と。
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- AnataO192
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>哲学で何を得たのでしょう? ・といいますか「哲学者(哲学書)の言葉から何を得ることができたのでしょう?」ではないでしょうかねえ。 答え:「気づき」(気づいたことによって気づき力を得た) …自身が気付いたことはすでに哲学者が気づいて(話して)いたということを得られた(わかった)ので…例えば「やっぱりそうだよなあ」とか思っちゃったりして自身の思考に確信が持てた(例えば生きていける自信がついた)とかではないでしょうかねえ。 自身が何かに気付いた時「そういえばあの哲学者がそんなこと言っていたよなあ、もしかして悟りとはこういうことかあ」などと自己満足できるからいいんでないかと思うわけでして。 …気付いていない自身がわざわざ哲学者の考えを理解しようとしたり真似をして生きててももただのアホのような気もしますけど、まあそれはそれである意味幸せで、よいのではないかと…。 わざわざ…とか前述したけど…まあ、本を読む行いは普通におりこうさんだと思いますけどねえ…。 で、以上のようなことを凝縮した言葉が「汝自身を知れ」だと思うんですが、違いますかねえ。 お邪魔しました。m(__)m
- 雪中庵(@psytex)
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見えている世界は、脳内の思索である。 哲学=存在の意味を深く知る事は、その「世界」を より明確なものにする事だ。 誰でも同じ世界を感じていると思ったら大間違いだ。 無知な人間は、希薄な意識の中で反射的に生かされて いる、お金を入れるとお礼を言う自動販売機に近い 生だと言える。
お礼
みなさん回答ありがとうございます