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哲学の役割と可能性
- 哲学の役割と可能性について考えてみましょう。
- 哲学は利益を追求するものではなく、人々の人生感や世界観を形成するものです。
- 現在の多様な宗教の中で、哲学が人々に示唆を与える必要があるのではないでしょうか?
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>哲学で何が出来ると思いますか?その可能性と考えをお教えください。 ⇒テーマがテーマだけに、またまた長くなりますが、ご一読いただければ幸いです。 現代人は超高度な文明化社会を現出した。文明化そのものを咎め立てするのではないが、文明の高さに比べて文化度が低すぎるのではないか。我々が進歩だと妄信して精出してきたことが、実はとんでもない愚行、自然を冒涜する反逆だったのかも知れない。いや、よく分からないが、少なくともそういうことに思いを致してみることが必要ではないだろうか。その意味で、我々が事態の原点に戻って考え直し、人間として「本当の幸福」を追求するのに最も頼みとなるのが哲学とその機能だと考える。 現代は、地球と人類の終末的危機状況である。理性偏重の弊害の結果、つまり、人間が中途半端に頭がよくなったことの結果かも知れない。哲人(オルテガら)の「生-理性主義」が言うように、「理性は生の一形式、一機能に過ぎない」。だからといって、理性を捨てようというのではない。人間的未来のためには、生-理性を尊重しつつ、世界と生の哲理・理法を考えようというのである。 (1)主体的個人主義を標榜し、異分子と共存する心性を維持し、相互互恵の精神的スタンスに立つ。(2)科学的進化・専門分化を注視しつつ、その連携・調整・体系化・統括に意を用いる。(3)経済については、成長一辺倒でなく、循環経済的な手法を積極的に取り入れる。(4)異文化間・国際間の関係では、可能な限り、国家・民族・宗教等に代表される集団としての建前や役割に固執せず、「生身の個人的存在として」交渉・協定を志向する。 こんなことが、(大上段に構え過ぎたかも知れませんが、何せ今は地球は一体ですので)人間的生の理念として掲げ得るのではないかと思います。いずれにせよ、肝心なのは現代人特有の頭脳や理性を、知識だけでなく、むしろ「知恵」に活用することではないでしょうか。 以上、(当初の半分に切りつめましたが)長々と失礼しました。
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- a_hona
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そうですか。哲学改革でもなんでもして、ぜひ多くの方々を救ってあげてください。あなたは現代の哲学者たちと違って、ひとの苦しみの分かる方なのですから。 ちなみ尋ねますが、36年間、存在性思想をもって、どれくらいの人を救うことが出来たのですか? 十億人くらいでしょうか。
お礼
36年前から考え始めて 一応形が出来たのが15,6年前。それから宣伝と不毛な議論に明け暮れて 世は私を認めず どれくらいの人を救えたかって・・・一人か二人 いや自分さえ救えてないのが現状かもしれませんねえ。 当たり前の話しか世の中に通らんわ 偽善者ぶった麻原二世 そんな感じでしたかねえ すみません 私が死んでも認められないかもしれません。誰も救えないかもしれません。 どうもありがとうございます。
- a_hona
- ベストアンサー率21% (95/444)
難しいのは哲学だけではないですよ。物理、化学、文学、社会学、歴史学、数学、工学、、両手では数え切れない沢山の学問が、難しいものです。初歩は殆ど誰にも理解出来ますが、大学で学ぶほどのことは、大概素人には理解できません。科学にしても、大衆向けの科学誌(ニュートンなど)などで解説されなければ概要を掴むことさえ難しいでしょう。仔細を知るとなるともっと難しいです。 自分自身で考えることは大切ですが、他の人と会話して思索に磨きをかけていくためには、自分自身で考えるだけで無く、他の人の考えまでも理解できねばなりません。ユリガダイさんがとりあえず哲学書を読めというのはそういう意味でしょう。 先哲の考えは参考ではなく、人類共通の資産であるのです。その資産の上に、僅かながら自分自身の考えを積み重ね、また多くの批判に晒して研鑽するという地道な努力をしているわけです。 諸研究には費用がかかると言います。そして結果を出すのはその内の何%でしょうか。しかしだからと言って研究費をケチっては、知識の集積は滞ります。裕福だからこそ、大学を維持出来ているといっても過言ではないでしょう。また、最先端の研究が、一般レベルにまで汎用化されるには時間がかかります。そういう意味でも、大学の研究室というのは一般市民のレベルとはギャップがあるのでしょう。 そしてそれよりも注目すべきことは、世間一般の人たちは、別に智の探求などには大して興味がなく、大概は、好きな異性と好きな生活と、好きな仕事と、好きな人生を手に入れる事が主眼にあるのではないかという事です。 哲学が難しい所為で、一般の人々に哲学が浸透しないのではないということです。 端的に言えば、哲学を求めていないのです。ユニコさんが、哲学などなくてもいいのでは?というのは、実に哲学を必要としていない多くの人々の見解なのです。 世の中に、知者、賢者は少ないかもしれない。少ないかも知れないが、居ない訳ではない。その様に見て、しかも気持ちの萎えない人が、明るい道を行くのだと思います。
お礼
人々はアニメや映画や本等を通して人生のいい話を探しています。 私はある新聞のコラムで哲学教授が書いたエッセイ集を読んでいますが ハッキリ言って面白いです、ウリガダイ氏の話も面白いですよ ところが事もあろうに これだけ人々が苦しんでいるのに 哲学は役に立たなくてもいいのだ と言う。冗談じゃない 草の根分けても人を救わねばならないのに その気楽な有様は何だろうか?頭がおかしいんじゃないだろうか? 宗教改革があった様に哲学改革が必要です。哲学を人々のために役立てるのです 哲学はただの趣味ではない。大変な可能性を持った考えなのです 国が学生達に考えさせない対策を取った。それで子供たちは考えなくなった。 その結果が今の哲学・思想・宗教離れです。 明るい道を行くのは結構ですが その明かりで苦しむ人を照らして上げて下さい。 どうも大変ありがとうございます。
- urigadai2013
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さっそく、哲学なんて知らない木偶の坊から反論が来たな? 相変わらず、減らず口の絶えないヤツだ。 「あたしゃ人助けをしようと思っているんですから、道楽でやっているんじゃないんですからねえ」 ・・・・・というが、だったらそのロクでもない空っぽの頭でデタラメを言ってそれを哲学と勘違いするよりも、ボランティアでもやって、被災地を助ける方がよほど人助けになるんではないか? 「大学でたくさんの予算をもらって教授とか、助教授とかたくさんいて、人のために役立つものではない」 ・・・・・というが、助教授なんて昔の言葉、今は准教授というんだ、知らないのか? 日本で哲学をやっているの大学しかない。 大学を中退したあんたがイチャモンをつけるようなものでもない。 あんたは一体、何のために大学に行ったのだ? 卒業できなくて、除籍されたから、大学に恨みがあって、そういう憎まれ口を叩くんではないか? 口惜しかったら、論文でも書いて大学に提出して、もう一度復学させてくださいとお願いしたら? もっともそんなデタラメじゃ、誰も相手にせず、一笑に付されてお終いだろうが・・・・・・ 「へえー、そんなでいいんだ。哲学って、そんなに役に立たないものなんだ」 ・・・・・・そうだよ、哲学って役に立たないものなんだ。 そこに哲学の他の学問にはない独自性がある。 もし、何らかの役に立つものだったら、哲学でなくて科学や物理学をやればいいんだ。 そっちの方が哲学よりも、もっともっと役に立つ。 「人生に寄与する、地に足のついた、現代社会に向き合った、知は力なりという哲学をしようよ」 ・・・・・そんなことは大学で哲学を教える人たちがいうことで、哲学にシロウトの、自分勝手なことを言っている、デタラメばかり言うあんたの言うようなことじゃない。 自分が大学の教授よりも、もっと偉い哲学者だとでも、尊大に思っているのか? そういうのを自己肥大症という。 また「井の中の蛙、大海を知らず」と言う。 自分がサルのお山のてっぺんにいるボスザルとでも思っているんだろう。 しょせん、サルはサルだ。 「私が独自の哲学を始めたのが36年前、哲学の知識だけ取り込んで、偏見やドグマや権威を排して、ゴータマ・シッダルタのように考えた」 ・・・・・36年間も哲学をやって来た、その挙げ句がシッダルタとは呆れちゃう。 シッダルタは哲学者なんかではないぞ。 36年間も哲学をやってきたのに、カントもヘーゲルもフッサールもウィトゲンシュタインも知らないという訳か? ああ、何というムダな36年間だということだ! それでようやく分かったよ、なぜあんたがデタラメばかり言うのか理解できなかったが、今にして分かった、要するにあんたは「オカルト」ってことだろう? 存在性という変な言葉も「オカルト」、そして「性質」という変な言葉も「オカルト」、それでようやく分かったよ。 「性質といえば今まで属性として軽く扱われてきたが、実はそこが盲点で、性質こそが真理に沿った実現の仕方をするもので、唯物論から一歩進みでるカギだった」 ・・・・・と言っているが、性質といったら、物体の属性のことで、それ以外に性質の意味はない。 「そこが盲点で・・・・・」と言っているが、盲点はあんただ、盲点というより「オカルト」の亡者だ。 そんな自分勝手な解釈は誰にも通じない。 まあ、哲学なんて36年間、やったこともないんだろうから、無理はないが・・・・・ 「そこで性質が脳で精神(心)を実現していることが予想される。それ以外には考えられない」 ・・・・・性質は物質の属性、その属性でしかないそれがどうして脳で精神(心)を実現していることが予想されるのだ? まさに「オカルト」そのものだ。 前にも言ったが、脳は神経繊維・ニューロンと化学物質・シナプスのネットワークで、そんな中に精神(心)なんて存在しない。 どうしてそんな脳の中に、精神(心)を実現していることが予想されるのだ? バカも休み休み言ってもらいたい。 「生命として、存在は生存競争をして淘汰によって存在性を極めて行くが・・・・・」 ・・・・と言っているが、ダーウィンは自然界に生存競争があるなんて言っていないし、淘汰があるとも言っていない。 それを言ったのはスペンサーの社会進化論で、淘汰という言葉も誤訳で、ダーウィンはそれを「自然選択」と言ったのだ、 それにダーウィンは「進化」なんて言っていない、「変化」と言ったのだ。だから「変化論」というべきだ。 あんたはダーウィンを誤解をしている。 「人間に限らないが、存在が目的であり、存在が価値であり、存在が意味の根拠であり、存在がすべてだからだ」 ・・・・・というが、存在は前にも言ったように存在者(物)とは違い、目に見えず、感覚もされない、抽象的な概念だ。 その抽象的な概念に過ぎない存在が、どうして目的であり、価値であり、意味の根拠であり、すべてだということができるのか? バカバカしい! 哲学を知らないと、そんなにもデタラメを言うことになるのか? 実に悲しいことだなあ、そう思わないか? 今からじゃ手遅れだが、そんなことを言うヒマがあったら、1冊でもいいから哲学書を読んでみたら? そんなデタラメはいっぺんに吹っ飛ぶぞ! このOKウエイブを見ている閲覧者もきっとあんたの言うことに呆れていることだろう。 私もあんたのいうことのデタラメさに呆れているが、OKウエイブを見ている閲覧者を代表して、あんたのデタラメを告発せざるを得ないから、こうして時間を割いて回答している。 ありがたいと思いなさい! ちなみに私はヤフーの知恵袋で、哲学の問いに答えているが、カントでもヘーゲルでも、フッサールでもウィトゲンシュタインでも、学生の質問に詳しく回答してベストアンサーをいつも貰っているぞ。 このOKウエイブには、どうしたわけか、レベルが低いのか、ぜんぜんそんな質問が出てこないが・・・・・ ここまで回答したのだから、あとはOKウエイブの担当者がこの回答を削除しないのを願うばかりだ。
お礼
悲しいねえ。貴方はOKWaveでは尊敬されてきた哲学者だ と思っていたが 何ですか?その哲学の鎧を説いたその姿は?どこぞのヤンキーと変わらないじゃないか 徳もなければ愛もない。役に立たないんだ それがどうした って どれだけ多くの人が世界中で苦しんでいると思うのですか? 確かに私はバカです。知能指数も低い。しかしその私をして考えに駆り立てたものは この世の不条理に苦しむかず知れぬ人々だった。思春期の子供たちだった。 何とかしなくては このままでは誰も救えない。真理を照らさなければ問題は解決しない それは確からしく思えたのですよ。 多くの文学者、思想家、宗教家、政治家、ボランティアをする人達が 何とかしようと何十年も前からやって来た。 その命を賭した気球に対して 役に立たないものだ。存在とは空虚で内容がない。 何ですかそれは・・・ これ以上書いては行けないかもしれないので書かないが 貴方の知識が必要とされてるのだから 惜しみなく与えて下さい。 どうもありがとうございます。
- a_hona
- ベストアンサー率21% (95/444)
そう言えば、哲学の起源の一つにスコレーと言うものがあるそうです。スクールの語源であり、その意味は余暇だそう。 余暇を活かして色々のものに洞察を向けて、知恵を働かせてきたギリシャ人は凄いなと思います。その余暇を生み出してきたのが当時の奴隷制であったというのは矛盾することですが、現代の我々も、余暇を余暇と侮らず、それを活かせるような生き方をしたいものですね。 言いようによっては道楽、暇潰しかもしれませんが、その暇こそが、人間らしい活動、知恵の営みを支えていると言う事なのでしょう。
お礼
余暇を活かすのには賛成です。余暇があるから悪循環からも抜け出せるのかもしれません ワーキングプアとかも 良く考えたら廃業できるなら廃業して 仕事を変えた方がましですねえ。 ただ哲学は役に立たないのだと 苦しむ人々の気持ちも知らないようなのは如何なものか? 哲学には人を救う能力があると思うのです。それを活かさないなんて 道楽三昧もいいとこです。 どうもありがとうございます。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10023/12546)
「お礼コメント」をありがとうございました。 >ちょっと気になったのが「生-理性」や「人間適生の理念」と言う言葉ですが >生は大切だと思いますが、存在ももっと大切だと思います。 ⇒お説ごもっともです。 言い方を変えれば、「自己の生を生くるべく生きて」はじめて、人間的生やそれに対する当為や理念のことも意識に浮かんで来ようというものです。 さらに敷衍すれば、「人間愛」は「自己愛」のもう1つの側面でもある、と思います。 自分を愛せないものが、何で人間を愛せましょう。逆に、他人や他民族を愛せないもの、他者に思いを致せないものが、何で「本当に」自分を愛していると言えましょう。 真の個人主義は、「真摯に自己を生き、自己を愛するように他者を愛することである」と言えるかも知れません。いかがお考えでしょうか。
お礼
確かにそうだと思うのですが、じゃあ自分はどうかと言えば なにせ昔の人間ですから 自分を責めるあまりに自己否定なることもありますねえ 雨ニモマケズ が自己否定かどうかは分かりませんが あの様に生きれないことを 残念に思います。 > 真の個人主義は、「真摯に自己を生き、自己を愛するように他者を愛することである」 と言うのは聖書から来てるのでしょうねえ。私も高校時代、配られた聖書を読んだので その様になれたらなと思います。 貴方の仰るは全くその通りで、哲学以前に 倫理的に卓越しているのではと思います。 どうも大変ありがとうございます。m(_ _)m
- urigadai2013
- ベストアンサー率37% (92/244)
そういう質問は、哲学を知らず、哲学書なんか読まない人間がするものではない。 他の人が質問するなら、まだ分からないでもないけど、哲学にまったく無知なあなたが、そういう質問をすると、私などはお腹がひっくり返って、笑いが止まらなくなる。 哲学は古代ギリシャで、フィロソフィーとは「知を愛する」と言われ、何かの役に立つとか、ためになるということを目的に始まったものではない。 純粋に知識を求めること、それが哲学。 だから何かのためにとか、何かに役に立つとか、そういうことを考えるのは不純に決まっている。 そんなことは改めて質問するまでもない。 「もともと哲学は農夫にもあったし、漁師にもあったし、女性にも男性にもあったと思います」 ・・・・・と言っているが、だったらあんたに哲学なんて無いのはどういう訳か? 自分に哲学があると、思い込むことなら、農夫にもあるし、漁師にもあるし、女性にも男性にもあるでしょうが、だけど「あると思い込む」ことが哲学なのではありません。 それはちょうど、あんたが自分の考えていることを哲学と勘違いしているのと同じです。 哲学をよく知っている人間である私からしたら、あんたの言っていることは哲学なんかではなく、ただのデタラメ、デマカセでしかありません。 哲学と思想は違うから、農夫や漁師や、女性も男性も、人生を生きているからには思想を持ち、その思想によって生きていることは事実でしょうが、だからと言って、哲学をしているとは言えません。 哲学をやるためには専門的な知識と訓練が必要です。 「生きながら考えたことが哲学になり、己の人生観、世界観になったと思います」 ・・・・・というなら、それはあくまでその人の人生観であり、その人の世界観でしかありません。 本人だけなら、それでもいいかもしれないけど、他人にはそれでは説得力がないし、それでは個人的であり、普遍的な客観性を持たない。 普遍的な客観性を持たないでは、それを学問とは言えません。 個人の主観的な思想・信条を知ることが学問ではないのですから。 だから「それから哲学が学問になって・・・・・・」とは言えません。 哲学は思想と違うので、個人の思想・信条とは別に発展したのです。 個人の思想・信条の延長線上に哲学という学問があるわけではない。 だいいち、哲学は人生観だとか、世界観だとか、そんなことのためにあるのではない、存在とは何か? 世界は一か多か? なぜ存在だけがあり無ではないのか? 世界は無限か、有限か? 神は存在するか存在しないか? ・・・・・・・そういう非・個人的な問題を考察することが哲学の本来の在り方。 極論すれば、個人の人生だとか、人生論だとか、人生がどんなものか、そんなことはどうだっていい。 「哲学は利益のためにするものではない、誰のためにもするものではない、という風潮になりました。ここで私はここで言いたい。今こそ、哲学が世界の役に立たなければならない、と」 ・・・・・・哲学が利益のためにするものでないのはその通りだが、哲学が世界のために役立たなければならないというのは哲学が世界に役立つための手段でなければならないと言っているようなもので、言っていることが矛盾していないか? 哲学は前述したように純粋に「知を愛すること」だ。 いかなる目的も持たない。 「世界のため」とは哲学は何かの役に立たなければならないと言っており、それは「哲学は利益のためにするものではない」というのと、五十歩百歩ではないか? 利益の代わりに、世界のために、ということはそんなに違わないじゃないか? 哲学はいかなるためのものではない、世界に役立つためでもないし、そんなことは哲学以外の学問のする領域だし、哲学が論じるべき問題でもない。 「今こそ、哲学は世界のために役立たねばならない時代だ」ということは、哲学を知らない、哲学書も読んだことが無いあんたが言うべきことでもない。 それとも、自分も哲学をやっている「端くれ」だと何か勘違いしているのではないか? あんたはその「端くれ」にも入らない、ただの無知なヤカラに過ぎないのに、そんなことを言うのは笑止千万だ。 そんなことをいう自分の顔を鏡に映して、よく見るがいい。 「当方、病人につき・・・・・・」と一見、謙遜しているように見えるが、実際は尊大に構えて、そういう質問をしているのだろう。 自分こそが、哲学を再建するのだという自負心を勘違いして抱いているのだろう? ああ、笑っちゃう! お腹がひっくり返って、おかしくて、笑いが止まらない! こんなことを回答しても、あんたは減らず口を叩いて、また私に反論して来るだろう。 そしたら、どこまでも、ヒマがある限り、あんたに反論するぞ! さあて、OKウエイブの担当者は私の回答を見て、削除するか?
お礼
馬脚を現したか?哲学大先生は? あたしゃ人助けしようと思ってるんですから、道楽やってるんじゃないんですからねえ。 大学でたくさんの予算をもらって 教授とか助教授とか沢山いて 人のために役立つものではない と 汗水たらして働いて 納めた税金が赤字になってまで哲学の予算は支払われているのに 役には立てません。知を愛してるだけですから。 へ~~~ そんなんでいいんだ 哲学って。そんなに役に立たないものなんだ。 そんなんならなくてもいいんじゃない? 人生に寄与する 地に足のついた、現代社会に向き合った、知は力なりという哲学をしようよ と私が独自の哲学を始めた のが三六年前。哲学の知識だけ取り込んで 偏見やドグマや権威を排して ゴータマシッダルタの様に考えた。 色々と明らかになった現代だからより多くの事が分かった。 その結果 哲学界の専門用語とは種をかくす 普通の言葉での哲学を考えた。 物事が存在するにはそれを存在させる無数の存在性として働く無数の性質がある。 性質は今まで「属性」として軽く扱われてきたが、実はそこが盲点で 性質こそが真理に沿った実現の仕方をするもので、唯物論から一歩進み出るカギだった。 そこで性質が脳で精神(心)を実現している事が予想される。それ以外のものが考えられない。 存在性を追求する人類、人間に矛盾する不条理エントロピーの法則(熱力学第二) 人間の未来は永遠を目指す存在にバトンタッチ出来るのか?それとも滅亡するのか? 我々の営為や苦しみや喜びは永遠に向かって活かされ続けるのか?否か? 全ては存在をせめぎ合ってる しかし無機質な存在と生命としての存在と精神の存在がある。 生命としての存在は生存競争をして淘汰によって存在性を極めていくが 人間(精神)は動物の真似ばかりせず 本来の学習、思考、想像、創造等の存在性を磨くべきであって 人間がワーキングプアやブラック企業によって存在の危機に陥るのは良くない。 人間に限らないが 存在が目的であり、存在が価値であり、存在が意味の根拠であり 存在が全てだからだ。 存在を目指してみんなで頑張ろう お~~~!^^ ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
この世界を構成する情報に、哲学や物理学、生物学などといった 境界はない。 ただ、それを扱う(研究する)人間の側の能力の有限さにより、 分担しているに過ぎない。 私は、哲学、物理学、生物学、社会学、論理学など、多くの分野を 学んできたが、それは『多くの分野を学びたい』と思った訳では なく、それらの複合による“1つの世界”を、より深く知りたいと 思ったからである。 さもなくば、お金や出世、虚栄心といった様々な社会的二次情報 の“馬車馬の目の前のニンジン”によって、その場その場で即物的 に流されて生きるようになってしまう。
お礼
1つの世界をより深く知って それからどうしようと言う予定なのでしょうか? 啓蒙でしょうか、事業でしょうか? 世論まで変えたいのでしょうか? 確かに多くな学問は同じ真理を扱ってると思えますねえ 素粒子帝国主義が実権を握るか否か? 先生は研究者なのでしょうか どうも大変ありがとうございます。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
当初、哲学は真実発見を目的としていました。 しかし、真実発見なら、科学の方がはるかに 優れています。 それが哲学衰退の原因です。 しかし、哲学にはもう一つの道があります。 それは人生の指針です。 哲学がやるべきは、人々に人生の指針を与える ことだと思います。
お礼
そのとーりだと思います。人生の指針 そしてその判断材料が必要です。 人生観、世界観が必要なのです。 この世界は進化論的に存在します。 存在性によってエネルギーが態を持ち 物質等になるのです。 科学が扱わない世界と言うのもあります。科学万能主義では倫理が成り立ちません。 どうも大変ありがとうございます。
- a_hona
- ベストアンサー率21% (95/444)
無智無能である故に、智を求める。それが哲学の姿です。 智を得ているならばあれこれと考えることなどないでしょう。 ユニコさんはまるで哲学が智慧の宝庫であるかのように思ってはいないでしょうか。 分かってない者に限って、自分は何某を知っているとか、何某を発見したとか言うものです。そしてそれを問い詰めてみれば、あやふやな見解しか帰ってこない。一方で、自らの無知を知った人は探究者の姿を取る。それこそが哲学する態度であり、それ故に哲学が知識の源泉となるのです。 平和を求めるならば平和学をすればいい。やさしい世界を望むならば倫理を研究すればいい。 哲学の可能性とは、人々に自身の無知を知らしめるだけでなく、それ故に探究の起こるのを示せることです。そうすれば、自律的な人々が増える、そうなれば衆愚政治は起こらない、従って世の中のならいによって苦境に立たされることもないし、自らを苦境に運ぶこともない。 さて、ユニコさんは本当に哲学できているでしょうか。自律的な人間になれていますか?
お礼
しかし人々が何で哲学をしないかというと 哲学が矢鱈難しく考えるからで 哲学の面白さを知れば 多くの人が哲学を嗜むようになるでしょう と言っても哲学とは仰るように考えることであって、過去の哲学者がああ言った、こう言ったというだけの話じゃない そういうのは参考文献に過ぎない。 ソクラテスにしろお釈迦様にしろ、一流の哲学者は自分で考える 自分の頭で考えるという姿勢が徹底している。 哲学は誰にでもあります。それを何処まで掘るかは本人の気持ちによるでしょう せめてそのきっかけを 中高の時代に教えてあげたいのですが 国は学生運動を嫌って そのような思想めいた事を教える事に消極的です。 私が自律的人間かどうか・・・もう年なんでそれ程自立的じゃないかもしれません(^^ゞ どうも大変ありがとうございます。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
yuniko99様、こんばんは。 「悠悠自適」ということかと、思います。
お礼
悠々自適ですか いいですねえ。僕もそれでいいならそうありたいですが 自責の念が強くて・・・ 何とかしなければと 思ってしまいます。 どうもありがとうございます。
- 1
- 2
お礼
成る程正論をありがとうございます。ちょっと気になったのが「生-理性」や「人間適生の理念」と言う言葉ですが 生は大切だと思いますが、存在ももっと大切だと思います。 人間存在は生ではないと考えています。生があって 人間精神、人間存在が頭に宿る その人間存在が今は人間の主体となっていると考えています。 (1)~(4)に関してはその通りだと思います。 自然を作り進化して来るのに、地球は数十億年かかりました それを壊してまで作ったのだから 人間には大きな責任があります。 親の店を叩き壊して 自分の店を建てた様なものです。 そう簡単には立ち行きません。現異世界は問題だらけです どうも大変ありがとうございます。