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戒名があると、あの世でも死ぬのではないか

戒名があるとあの世でもこの世と同じようにもう一度死ぬのでは。あの世で死んだらこの世に戻ってきますが、それが墓碑に刻まれた戒名とどんな関係があるのか。戒名がなければ静かに死んでいられるようにも思いますがいったいどういうことでしょうか。

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回答No.5

「戒名」というのは世俗の人間が出家した時につける「法名」のこと。 例えば「空海」も「最澄」も、世俗の本名じゃない、出家した後に貰う「法名」。 ところが日本仏教は最澄の唱えた「天台本覚論」で、人間はもともと仏性を有しており、世俗の人間も潜在的には仏性を有していると言ったものだから、出家しなくても、あの世に行った時に「悟り」を得られるように「法名」を与えることになった。 それが「戒名」の起源。 日本仏教は、修行しなくても、死ねば誰でも仏になれるという。 とんでもない邪説だ。 仏教の宗祖・ブッダはそんなことは言っていない。 人は修行をして初めてブッダになるので、ブッダとは「悟り」を開いた人のこと。 ぜんぜん修行もしないで、何で死ねば仏に成れるものか? そんなデタラメを言っているのは日本仏教だけ。 今や「戒名」は檀家制度が有名無実になったのと引き換えに、唯一金稼ぎになっている、財源。 坊主が、ちょっと「戒名」を書いただけで、なんで何百万も取るんだ。 坊主丸儲け、というが私も母親が死んだとき、生前に戒名をもらい、戒名料もすでに支払っているのに、僧侶の代が変わったと言って、生前の戒名料とは別に改めて戒名料をいただきますと言われ、では「おいくら支払えばいいのか?」と聞いたら、「お心持次第です」というから、50万円を包んで支払ったら、あとから、カンカンになって怒って、到底足りないという。 唖然としたね。 で、最終的に200万円を支払ったよ。 腹が立って、しばらく収まらなかった。 「戒名」なんて、クソくらえ!という気分。 だから最近は「戒名」なんてつけない人が増えてきた。 「戒名」をつけないというと、檀家寺の僧は「お経をあげられません」というに決まっているから、その時は葬儀屋に派遣の僧侶を依頼してお経をあげてもらえばいいのだ。 どこの宗派であろうと、お経をあげてくれる。 僧侶は「戒名が無いと地獄に堕ちますよ」と脅かすが、そんなことがあるもんか。 ありもしない、あの世を持ち出して庶民を脅かす僧侶は暴力団も顔負け、ヤクザな連中だ。 ぜんぜん労働をせず、世の中に「寄生」して、それで食っている、とんでもない連中だ。

kaitara1
質問者

お礼

ご教示ありがとうございます。医者や弁護士など、いわばお客の弱みに付け込む隙のある職業に共通の暗い面なのかも、とも思います。救われるどころか苦痛の源泉になりうるという実に皮肉なものですね。

その他の回答 (4)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.6

kaitara1様、こんばんは。 例えば「こんなだったよ」 「戒名なんて不要」というのは、信教の自由の問題ですね。

kaitara1
質問者

お礼

戒名が不要であるというよりも、この世を去ってまでなぜ名前が必要なのかという素朴な疑問でした。自分としては、死ねば生前の男女老若美醜貧富などのあらゆる差異が消え皆同じとなるという素朴な期待を持っています。名前を持つというのは差異につながりますからおっしゃるように、私は戒名なんて不要ということになりますね。

  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.4

戒名はお布施の口実であると思っています。戒名は宗派の特徴が現われているので法要もその宗派で行なわれるのが普通です。僧侶もお金が無いと生きてゆけませんので、葬式での現金収入とその後の法要での現金収入を確保しているのです。 三宝と言って仏教には仏・法・僧が必要項目です。僧侶が居ないと仏教が成り立たないからです。聖徳太子の十七条憲法にも書かれています。親から受け継いだ宗派に属する私にはお布施に違和感がありません。宗派とお寺の存続を望んでいるからです。親の戒名も特別なものではありませんし、自分もそれで良いと思っています。 お金が無ければ少ないお布施であっても問題はありません。葬儀もつつましく行なえば安くつきます。身寄りがなく、いきなり火葬場で葬儀をする姿も見受けられます。 あの世である浄土を重んじる宗派もありますが、私はあの世が存在するとは思っていません。私が仏教をうやまうのは三宝の法に関心があるのです。その法には戒名のことは書いていありません。貴方の質問も法から見ると意味のあることではありません。

kaitara1
質問者

お礼

ご意見うかがえて、ありがとうございました。

noname#214454
noname#214454
回答No.2

そもそも戒名といのは、江戸時代の寺請制度試行に伴い、各宗派の坊主が金儲けのために作った制度で、それ以前に一般的に他界した人に付ける名前というのはありませんでした。世俗から出家して坊主になるときに名前を変えるという意味合いで、改名したのが戒名です。 戒名によって、他界した人の行く末が決まるなんて、生臭坊主の企みに過ぎませんし、戒名によって、あの様でどうなるか誰も判断できませんし、それを証明できる人もいないでしょう。

kaitara1
質問者

お礼

形式化しているだけに逆らいにくいという一面もありそうですね。いずれにしても、子孫を苦しめることはやめるべきですね。ご教示ありがとうございました。

  • g0721475
  • ベストアンサー率16% (81/478)
回答No.1

生き物には全て遺伝子が受け継いで生きています。 今生きている自分や貴方はこの世だけです。 広い宇宙の中にあの世は有りません。 戒名は仏教(人が)が考えた事、現在は本名を書 いていたり、お墓さえ待たずに海や山に散骨する 家族が増えています。結論として、将来を考え生 きている人が困らない様に考える時代です。

kaitara1
質問者

お礼

基本的には私も同じ意見です。ご回答ありがとうございました。

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