• ベストアンサー

唯心論の心は性質、唯物論の物の性質 同じでは?

日比野 暉彦(@bragelonne)の回答

回答No.17

 それほどお疲れでもないようでしたら 少しづつまいりたいと思います。  真理は:  ★ (No.16お礼欄) 明瞭な理  ☆ だとすれば まだまだ部分的なのでしょうが自然科学の明らかにした《理》やあるいは変わり得る内容としてですが社会科学の《理》と このいまの《真理としての理》とは どう違うのでしょう?  もし真理の理と経験科学の理とが 全体と部分との関係だとすれば  ★ 現実が全てではあると思うのですが  ☆ の《現実》とそして《真理》とは 同じもの(こと)であるとなりませんか?  そしてそのときには 《存在》も《性質》も この《現実=真理》のことだとなりませんか?  その内のどれだけの部分が明らかになっているかの違いを持って。  ★ 性質はそのような理に従っているということです。  ☆ というとき この《理》が 性質や存在と同じことになって けっきょく《存在やその性質は 存在自身や性質そのものに従っている》ということになりませんか?

yuniko99
質問者

お礼

質問がよくわかりませんが まず真理というものはまだ明らかになっていません 多くの人が真理を求めて色んな説を、仮説として立てているだけです ですから自然科学の明らかにした理というものは まだ真理とは言えません。 社会科学の理もそうです。法則と言ってもそれほど確かとは言い切れません。 真理としての理はまだ人間には分からないのです。 エネルギー保存則も エントロピー増大則も完全ではないと思います。 超ひも理論や超弦理論も そう考えると法則に説明がつくという訳で 実際に最ミクロの世界がどういう法則になっているのか まだ考え中です。 従って以下のお答えも違ってきます。 現実=真理ではないです。現実はエネルギーと性質で出来ており 真理はその理を人間が明白にしたらという話です。 最後のお答えに返答するなら そうではないです と言うしかありません。 どうもありがとうございます。

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