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唯心論の心は性質、唯物論の物の性質 同じでは?

日比野 暉彦(@bragelonne)の回答

回答No.11

 ★ (No.8お礼欄) 性質という言葉が適当でなければ このように精神を構成している質を何と言って来たのでしょうか?  ☆ 身と心 身体と精神。  精神は 身体の神経組織を基礎として持たれるハタラキのことです。  大きくは 記憶行為と知解行為と意志行為の三つに分かれます。それぞれにハタラキがありそれとしての特徴を持ちます。  性質というのは その特徴のことです。  記憶は むろん意志によってこれこれを覚えておこうという意志的な振る舞いをも含みますが・そして記憶が薄れることもありますが 記憶という行為能力が言わば勝手に 知識や情報を秩序立てて整理するハタラキです。  記憶行為が勝手に働くという特徴があります。性質と言えば性質です。  この性質を もっぱら精神の中核として捉えることは一般にしません。  もし仮りに精神なり存在なりのことを 《性質》と呼ぶとしましょう。  けれども そうしたとしても 自然科学の得た研究成果は何も変わりません。呼び方を変えるだけです。  どうしてそういう問題に手間暇を費やすのでしょう?  何を目指していましょうか?

yuniko99
質問者

お礼

前に書いたと思いますが 確かに性質と呼ぶにしてもハタラキと呼ぶにしても 言葉の問題があります。ただそれが何を意味しているか 存在が性質とは書いていませんが 働きとすれば何の働きか?と言う事になります。 物質の働きでしょうか? エネルギーの働きでしょうか?性質の働きでしょうか?力の働きでしょうか? どれが一番妥当で 一番良く言い表しているでしょうか? 性質というと一つの質であると読めます。(英語では違うでしょうが) 物質と性質はどういう関係にあるか? これはまだ公言はできませんがこの式 物質=エネルギー+性質                   電磁波等波動=エネルギー+性質 ヒッグス粒子で説明された重力も物質のエネルギー+性質です。 性質という言葉はこのように様々に違う物質の持つエネルギーや力を説明できます。 ハタラキと言うと 何の働きかいちいち説明しないといけません。 今まで説明して来なかったのだから 言葉がその意味を持ってないのは仕方ないのです。 私は始め「存在性」を説明しようとして考えていたのです。その中で精神の有り様が分かったように思うのです。 精神の中核として言ってる訳でもありません。精神の質を言っているのです。 どうも大変ありがとうございます。

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