• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:唯物論以外のあなたの世界観を教えてください)

唯物論以外の世界観とは?

このQ&Aのポイント
  • 唯物論以外の世界観を教えてください。物質の存在や心や神についての考え方など、異なる視点があるのか気になります。
  • また、自然科学の成果を受け入れているのか、それとも異なる見解を持っているのかも知りたいです。
  • 唯物論では解決できない問題があるのかも興味があります。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.5

唯物論ではなく、識が根源であると考えます。そして、「Aが存在する」とは「Aが認識されうる」と定義します。 >(1)あなたの世界観では物質は存在しますか? 物質は人によって認識されうるので、存在します。自然数など数学的対象も、人によって認識されうるので、存在します。 >(2)物質に基礎をおかない物質以外のものがありましたら教えてください。 自由意志による意思決定です。 >(3)自然科学の結論(成果)は受け入れてますか? とりあえずは受け入れます。認識されたものの関係の叙述が自然科学だからです。 ただし、自然法則は、その法則がどんな状況でもあてはまると証明されたわけではなく、いまだ反証されていない仮定にすぎないので、「とりあえずは」受け入れるということにしかなりません。 >(4)唯物論で考えるとどうしても解決できない問題がありましたら教えてください。 唯物論は、(確率的であれ)決定論になりますが、人の意思決定を決める原因、つまりアルゴリズムは、実質、認識不可能です。特定のアルゴリズムを見たとたんに、そのアルゴリズムを無視した行動をとることができるからです。だから、正しいアルゴリズムでなかったことになります。よって、認識不可能なアルゴリズムを想定しなければばらず、これは、神秘主義に陥ります。唯物論は、人の意思決定については、神秘主義になります。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。すごく興味深い回答だと思いました。 >唯物論ではなく、識が根源であると考えます。そして、「Aが存在する」とは「Aが認識されうる」と定義します。 >>(1)あなたの世界観では物質は存在しますか? >物質は人によって認識されうるので、存在します。自然数など数学的対象も、人によって認識されうるので、存在します。 人間の認識は間違うことがありますよね。そして後になって正されたり。 そうすると間違った認識をしていた時に存在していたものは、その後認識が新しくなった時に消えて、新しく認識されたものが存在するようになるといことでしょうか。 私は存在は認識の影響を受けない気がするのですが。 また、別の例で考えてみます。 100年前にiPhoneは存在しないですよね。今、私たちはiPhoneを認識できてiPhoneは存在しています。 そうしてみると「認識されうる」とはその時点で認識できるかどうかが問題ということですよね。 では、今年新しい新種の生物Xが発見されたとします。その生物は100年前の時点では認識できなかったですよね。 しかし、100年前にその生物Xは存在していたかと言うと、普通は存在していたと考えるべきでしょう。 ただ、人間が認識していなかっただけです。そう考えると認識と存在は別の話の気が私はします。 >>(2)物質に基礎をおかない物質以外のものがありましたら教えてください。 >自由意志による意思決定です。 なるほど、これは難しい問題だと思います。自由意志は存在するのかしないのか昔から議論が行われていて結論はないようです。 >>(4)唯物論で考えるとどうしても解決できない問題がありましたら教えてください。 >唯物論は、(確率的であれ)決定論になりますが、人の意思決定を決める原因、つまりアルゴリズムは、実質、認識不可能です。特定のアルゴリズムを見たとたんに、そのアルゴリズムを無視した行動をとることができるからです。だから、正しいアルゴリズム>でなかったことになります。よって、認識不可能なアルゴリズムを想定しなければばらず、これは、神秘主義に陥ります。唯物論は、人の意思決定については、神秘主義になります。 これも大変興味い問題だと思いました。確かに唯物論だとサイコロの目のようなものでも物理的なパラメーターを決めてやれば次に何がでるかわかることになりそうです。ですがそのパラメーターの数はものすごく数が多くてとても計算できそうにない気がします。ですから表面上は確率的におきているとみなしてもいいと思います。人間の意志に関しても何らかのアルゴリズムと考えることもできそうですが、さきほどのサイコロとは比較にならないほどの無数のパラメーターを指定する必要がありそれはとても計算できそうには思えません。例えば脳細胞の配置やシナプスのつながりなどです。そして表面上は確率として取り扱うしかないように思えます。人によって回答が違うのは過去の経験の違いもあると思います。 さらに、この問題ではアルゴリズムを見たとたんに(アルゴリズムを知るということにより)その人のアルゴリズムは見る前のアルゴリズムから変化しています。違うアルゴリズムですから違う答えになるのも別に問題ありません。 この問題は自由意志の存在の有無とつながりそうですね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (7)

  • ga111
  • ベストアンサー率26% (247/916)
回答No.8

>仏教の考え方ですね。私の中で唯識論と唯心論と観念論がごちゃごちゃになりそうです。 唯識は少々、もしくはかなり難しいです。私の引用先の最初の20%くらいはすべて理解する必要があります。 >ga111さんは唯識論で世界をとらえていらっしゃいるのでしょうか。唯物論とはなんか排除しあう理論の気が私はします。 実際には、唯物論で生活していますけど、唯識は唯物論を包含しえる、と思っています。 無意識と意識の関係など。ある個人の脳の活動状態(脳生理学)、無意識と意識の関係(行動心理学)などは、唯物論でかなり説明できる部分があります。 しかし、脳の活動状態を知るには大掛かりな装置が要りますし、心理学は専門家の判断が必要です。現実的には、いちいちそういった解析をするわけにはいきません。あなたや私の認識や意識的行動、無意識は唯物論だけでは知ることができないと思います。

stmim
質問者

お礼

再び回答いただきましてありがとうございます。 やはり唯識論は難しそうですね。 私たちの意識を現在の唯物論(自然科学)では明らかにできていないのは仰るとおりだと思います。 精神的な病気も脳の神経伝達物質の作用の不全ということもわかってきましたし、好奇心に関係する遺伝子も特定されました。唯物論に沿った研究は日々激しい競争の中で行われています。私は研究が進展していけばやがて唯物論で人間の精神が説明されるようになる日が来る気がしています。 唯識論はまだ人類にいろいろな知識がなかった時代に考えられたものです。現代ほど知識があったら、そうした考えは生まれたのかなあと思います。 反論ばかりになってしまいすみません。この質問をしたのは私と違う考えの人の意見を聞きたいということです。ga111さんの意見を聞けたのはありがたいと思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • ga111
  • ベストアンサー率26% (247/916)
回答No.7

唯識論、という世界観がありますね。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98 優秀な科学者は、自然科学の結論(成果)をすべて受け入れているのではなく、過渡的にそれらの結論を受け入れている、、、という部分があると思いますよ。 なお、唯識論と唯物論は排除しあうものではないかもしれません。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。仏教の考え方ですね。私の中で唯識論と唯心論と観念論がごちゃごちゃになりそうです。 ga111さんは唯識論で世界をとらえていらっしゃいるのでしょうか。 なるほど自然科学で言っていることの大概は仮説が確からしくなっているだけですものね。哲学をする時は自然科学の結果だからと言って無条件に受け入れてはいけないと書いてあった哲学入門書を読んだことがありましたのでお聞きしました。 唯識論はすべては空であって心にも実態はないという話ですよね。唯物論とはなんか排除しあう理論の気が私はします。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.6

#4の者です。 >人間ぐらいの大きさの現象と量子論はあまり関係ない気がします 人間も、量子(超弦)でできています。 「人間」という存在はなく、量子によってなる階層現象性(~クォー ク~素粒子~原子~分子~細胞~個体(脳))を、表面的に捉える 事で、存在的確定性が派生している=あなたの言う通り「人間ぐら いの大きさの現象」における「確かな存在」となっているのです。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 人間が素粒子から構成されているということはその通りだと思います。ですが、どんなに素粒子から構成されていても、大きさが違いすぎてもはや量子効果は人体では無視できるのではないかというのが私の考えです。 psytexさんは量子効果が人体でも作用しているとお考えなのですね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.4

日常的な生活の結果として、感覚的に『自分の外に物体があり、 二次的に心が生じる』と感じる事を、「素朴唯物論」と呼びます。 そうした考えによれば、そうした外に独立して存在する物体は、 原理的に分析し測定する事が、「存在を確定する」事だと考え られている。 しかし、量子力学の不確定性原理において、空間的な位置を 確定しようとすると、そこに何があるかを意味する運動量の 確率性が無限不確定に発散します(位置(S)と運動量(St)、 時点(T)と質量(Ts)の2対がそれぞれ相補的な不確定性を なす)。 それは、物体が依存している時空において、時間軸(時間的 流れ=記憶(自我仮説)=過去=超光速)と空間軸(空間的広がり =予測(時空仮説)=未来=光速下)の、感受表面(量子相互作用 (認識可能性)=現在=光速)からの相補分化(階層現象性の 表面的定性化による非光速性)しており、その仮想的延長に おいて直交軸を成しているという事だ。 量子論的世界像において、有限的な存在性は認識する事で 生じており、心=宇宙であって、唯物論の基盤である物理の 極限において「唯物論=唯心論」に至ったと言える。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。すみません。お答えに対する否定になってしまいますが、私の率直な考えを申しますと、人間ぐらいの大きさの現象と量子論はあまり関係ない気がします。量子の効果を論じるには人間の大きさがあまりにも大きいと思います。 以下の物質波の式から野球の球の波長を計算すると10^-30(m)となります。 (波長)=(プランク常数)/(質量×速度) 電子の大きさが10^-15(m)ですからそれより10^15分の1の大きさです。そうするとさすがに無視していいのではないでしょうか。素粒子物理の大きさでは正しくても日常の大きさのものにそれをあてはめるのは無理な気がします。 これはもちろん私はそう考えるというだけのことです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • wiz0621
  • ベストアンサー率42% (182/430)
回答No.3

すべての前提は不完全のまま存在しているというのが私の世界観です。 完全であることは存在の条件ではないと思うのです。 不完全、といっても土台のない海の上に人間は立つことができませんから そこで初めて前提という舟を建造するわけです。 多くの前提は、人間社会を支えうるほどには強固なものですが それでも前提は混沌の海に揺蕩う舟に過ぎず 足を踏み外したり、海を覗き込んで足を滑らせたり、 あまつさえ穴をあければ多くの人間は溺れてしまうでしょう。 ですから、人間は"ある程度の場所"をもって、引き返し、 あえて結論と呼んでいるわけです。 (1)特に唯物論は矛盾しないので、物質は存在していると考えています。 もっとも、私の考えでは唯物論は大きく強固な船の一つですが、 それでも絶対に沈まないということはありえないとも考えています。 ある致命的な不完全性を抱えているためです。(後述します。) (2)元も子もないですが、「空間」は物質じゃないですよね。 あるいは質問者さんの考えでは「空間」は「存在」していないのでしょうか。 空間を物質で説明しようという試みは面白そうではありますが。 (そして物理学上、物質は折りたたんだ空間、という仮説もあるでしょうけれど) 素直に物質と空間が存在している、とした方がシンプルですし、 同様に、人間が分離して認識している非物質(空間・情報・時間など)を あえて物質に集約して説明することに意義があるとも思えないのです。 (3)自然科学の結論と成果は受け入れていますし、 一定の確からしさを持っていますが 地球はマルではなく楕円で将来的に線形になったり、 生物は進化しない(自然淘汰されない) こともあるという自然科学の帰結はおいておくとしても、今後は変更するかもしれない。 自然科学とは、確証性の原理によって"ある程度の状態を結論として" とりあえず担保されたものに過ぎないのです。 (4)いろいろあるでしょうけれど、最たるものは 自然の斉一性の証明が帰納法でできないこと(グルーのパラドックス) ではないでしょうか。唯物論と自然科学の前提はここに極めて深刻な 不完全性を抱えているのです。 すべての事象は突き詰めればまったく底の見えない海を探るようなものであって、 最初に書いた通り、溺死の可能性を高めるものです。 自然科学とは、確証性の原理によって、その海に舟を浮かべる行為そのものであって 同時に絶対ではないことを自認してしまっているのです。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。大変興味深い内容でした。 面白かったです。この回答をいただけてよかったです。 ただ、仰っていることは私が考えていることとあまり変わらない感じがしました。 wiz0621さんは厳密で慎重ですが、私はおおざっぱで単純に考えているだけのような・・・ それが違うのでしょうけど。 >すべての前提は不完全のまま存在しているというのが私の世界観です。 前提というのがもともと「○○が正しいとすると」というものですから前提自身が正しいとは限りませんよね。 >不完全、といっても土台のない海の上に人間は立つことができませんから >そこで初めて前提という舟を建造するわけです。 なるほど、納得します。 >(1)特に唯物論は矛盾しないので、物質は存在していると考えています。 >もっとも、私の考えでは唯物論は大きく強固な船の一つですが、 >それでも絶対に沈まないということはありえないとも考えています。 仰ることはわかります。そうするとwiz0621は今どこにおられるのでしょうか? どの船の上におられるのでしょうか?あるいは海の上ですか? 私でも「科学で言っていることは本当に正しいのですか?」と聞かれれば「最も確からしいと思うけど、本当に正しいかどうかはわからない」と答えると思います。ですが日常生活ではいちいち「科学は不完全かも」と考えていません。例えば、外を歩いていたら「急に重力がなくなって宇宙に放り出されるかも」なんてことは心配しません。何かを前提にして生活していると思います。それがwiz0621さんが仰る船なんだと思います。wiz0621さんも何かの船に(おそらく唯物論の船に)乗って生活されているのではないですか? >(2)元も子もないですが、「空間」は物質じゃないですよね。 >あるいは質問者さんの考えでは「空間」は「存在」していないのでしょうか。 >空間を物質で説明しようという試みは面白そうではありますが。 >(そして物理学上、物質は折りたたんだ空間、という仮説もあるでしょうけれど) >素直に物質と空間が存在している、とした方がシンプルですし、 >同様に、人間が分離して認識している非物質(空間・情報・時間など)を >あえて物質に集約して説明することに意義があるとも思えないのです。 すみません。単純に私の考え抜けでした。物質でないものとして、空間と時間は考えることにします。 情報は定義次第のところがありそうです。 確かに何も存在しない空間には「空粒子」が埋まっていると考えるのも面白いかもしれませんね。 あるいは物のあるなしは量子化された空間の状態の違いなのかもしれません。 >(3)自然科学の結論と成果は受け入れていますし、 >一定の確からしさを持っていますが >地球はマルではなく楕円で将来的に線形になったり、 >生物は進化しない(自然淘汰されない) >こともあるという自然科学の帰結はおいておくとしても、今後は変更するかもしれない。 >自然科学とは、確証性の原理によって"ある程度の状態を結論として" >とりあえず担保されたものに過ぎないのです。 なるほど、仰るとおりだと思います。 >(4)いろいろあるでしょうけれど、最たるものは >自然の斉一性の証明が帰納法でできないこと(グルーのパラドックス) >ではないでしょうか。唯物論と自然科学の前提はここに極めて深刻な >不完全性を抱えているのです。 >すべての事象は突き詰めればまったく底の見えない海を探るようなものであって、 >最初に書いた通り、溺死の可能性を高めるものです。 >自然科学とは、確証性の原理によって、その海に舟を浮かべる行為そのものであって >同時に絶対ではないことを自認してしまっているのです。 科学で主張していることは「結構確からしい仮説」ですものね。 科学が完全かと言われればそんなことはない。ですが科学以外に確からしい手法というのも他にない気がします。確かに今「○○の法則」のように言われていることも未来永劫正しいとは限りませんよね。 正しくなくなったらその時点で、その時点にあった新しい法則を考えればいい気がします。 斉一性の話は勉強になりました。ありがとうございます。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.2

 (1)物質は存在します。  (2)もともとある心や神を物質である人間は感知するので、“発生”ではないと思います。  (3)受け入れます。  (4)唯物論では「精神」は語れません。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。物質があるから心や神が発生するという私の考え方とは違いますね。 唯物論で精神を語るのは今は難しいですけど、そのうち出来るようになる気がしています。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.1

私の世界観は、根本敬先生の「犬小屋発豚小屋行き」という一言で表されるものに非常に近しいものです。つまり、糞の中で生まれてゲロの中で死んでいく、という清々しく健康的な思想であります。物質も心も神も自然も、膣腔と直腸の僅かな隙間程度の差しかないものと考えます。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。根本先生というと漫画家ですよね。おじさんが出てくるやつですよね。どんなマンガなのかなあ。 あまり細かいことを考えてもしかたないということでしょうか。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 唯物論でしか考えられない

    世界は最終的には物質、空間、時間といったものに還元されると思っています。 私は徹底的な唯物論者です。 だから、人間の心や思考なども最終的には物質で解明されて、人間は一種のロボット・機械であることが証明されるでしょう。 この考えは変ですか? 唯物論では解明できないことがある、あるいは唯物論は間違っているなどの指摘がありましたらお願いします。

  • 唯心論? 唯物論?

                     唯心論 唯物論 人間は精神である、精神は性質である、人間が性質であるという考え方から行けば  (神経伝達)物質等の性質などが複合して人間の精神 意識(性質)を形成しているわけで  唯心論でいう心も実は自然の中の性質から出来ており  唯物論でいう人間は物ではなく性質が本質なのだと言うことが分かると思います  これによって唯心論と唯物論の統合が図れるのではないでしょうか?

  • 唯物論、共産思想と死後の世界

    唯物論、共産思想と死後の世界 オカルトチックなタイトルで申し訳ありません。 唯物論と、死後の生命「観」を調べています。 唯物論は、生まれる前の自己、死んだあとの自己をどうとらえるのか、 知りたいと思っていいます。 キリスト教だと人間は神によって創られ、死後は天国か地獄へ。 仏教だと、永遠の輪廻を繰り返す。 唯物論は生まれる前の自己、生まれてのちの自己をどうとらえるのでしょうか。 特にマルクスや現代共産主義の唯物論的発想を知りたく思いますが、 それ以外の唯物論でもかまいません。 よろしくお願いいたします。

  • 唯心論の心は性質、唯物論の物の性質 同じでは?

    もっと絞り込みます 私は唯心論の心・精神は性質で出来ていると考えるに至りました。 その性質とは唯物論で言う物質の性質と同じもの、同質のものです つまり脳という物質や脳波・神経などの電気信号等の現象の性質面が精神なのです。 この考えで唯物論と唯心論がつながって人間や世界が分かります 他にも色々考えがあるのですが 何処かおかしいでしょうか? にわかに信じがたいでしょうか?

  • 世界観について

    世界観はいろいろあると思います。極端な話、世界は培養液の中に入った脳がみているバーチャルリアリティかもしれません。しかし、普通は、常識的なというか、自然科学的な世界観で考えていると思うのです。 哲学的な話をするときに、自然科学的な世界観のことを何と言えばよいのでしょうか?唯物論でしょうか? 現代の哲学においてもっとも有力だと考えられているのは、どのような世界観でしょうか? あるいは哲学では、有力な世界観をこれ、と決められないものなのでしょうか?

  • 唯物論しか信じられない苦しみ

    日本では霊が見えるとか見えないとかの話には懐疑的で、たぶん多くの人は眉唾物として話を見聞きしていると思います。霊能者などがテレビに出たり本を出していますが、どれくらいの人があの人たちを信じているのでしょう。 知り合いで息子さんをなくした方がイタコによって息子と話をしたと涙ながらに話していましたが、本当に100%信じているのかなと思いました。人間とは弱いもので、苦しみの中にあるときは懐疑心も何も捨て去り、目に見えないものにすがるのでしょうか。真実かどうかなどはどうでもよくて、すがった人の心が救われていればいいのでしょうか。 東大病院の矢作医師が人は死なないという本を出していますが、あの本に救われた方もたくさんいるのではと思う一方で、矢作医師が何らかの精神疾患を罹患していて幻覚や幻聴を見るようになったという可能性も否定できないのではないかという思いも抱いてしまいます。 日本では通常には見えないもの、本人にしか見えないものが見えると大真面目に語ったら、精神病と言われてしまうこともありますよね。 IQが高い人ほど唯物論しか信じられないと思うのですが、どうなのでしょう。 私は中立で、目に見えない世界を信じたいけれども信じられない、宗教の戒律などは人々をうまく統制するために作られたものだと感じることが多いです。 絶対に騙されないという気持ちが強いですが、それが心から信じるものが何もない状況にだんだん近づいてきている気がして悲しいです。 時には騙されたものが勝つこともあると思うのです。(本人が向上するために教えならば) 唯物論しか信じられないことは苦しみですか? 親戚の大学教授だった人が病に臥せってから毎日題目を唱えるようになったと聞きましたが、それは不幸なことではないのでしょうか。 本人の心が穏やかになるのならそれは哀れではなく救いの道になるのでしょうか。 死や深い悲しみの前にはある意味正気をなくすことが必要なのでしょうか。

  • 自然を超えた世界について

    一般に科学者は、自然科学が対象としている「自然」、つまり唯物機械的世界、を超えた世界の実在はありえないと考えますか?

  • 進化論

    私は、大学の理系の学部を卒業しましたが 生物系ではないので進化論は、やっていません。 高校でもやった覚えはありません。 アメリカでは、義務教育に進化論が入っているのでしょうか。 最近の、放射線事故で分かった人もいると思いますが、 進化論は、実験不能なので化石の年代測定が誤っているだけ で、崩壊してしまう脆い理論だと思います。 ここまでは、科学の疑問でしたが わざわざ、哲学カテゴリで質問しているのは 進化論という理論自体が人間にとって都合の 悪い理論だと思うからです。 自然淘汰などを主張するならば、人類より 現代の地球に適した生物や人類より優れた 生物、人類より賢い生物が現れたら、 地球の支配権(?)をその生物に譲り渡すということでしょうか。 (私は、それでもいいですが) 私には、キリスト教的な人間だけが特別の存在である という理論のほうが受け入れやすいですが。 アメリカでしつこく、進化論が正しいと主張している人は 何がしたいのでしょうか。

  • 宿命論

    宇宙中のすべての状況がある瞬間に決定されたなら、その後の宇宙の変化、事件はすべて計算により予言できる。我々人間も、物質としては原子分子でできており、感情や意志もこれらの物質や電磁気カに支配されているならば(唯物論が正しいかはいまだ不明であるが)我々も、これらの方程式の解として動かなければならなくなり、我々の感情や生活についても予言できるはずである。我々は、幸か不幸かすべての物体の運動を知ることができないし、計算も実際にはコンピューターの能力不足で不可能である。しかしそれはただ我々が無知であり技術力が足らないからだけのことであり、我々や宇宙の運命はすでに宇宙の始め、初期条件が与えられた(神により?)時に快定されているのである。だから我々がそれを知らないだけのことである。もう我々は誰もこの運命から逃れることはできない。我々は方程式の解にそってただ生きていくしかないのである。これは機械的な決定論であり言い換えれば宿命論である。  この決定論に従えば、時間は神の手にあるシナリオに打たれているページ数にすぎない。すべての物体は人も星もいっせいに、このシナリオに忠実に時間どうり役を演じるしかないのである。 ととある人が書いているのですが、これに対してのみなさまの意見が知りたいです。 暇なときにでも書き込んでください。

  • ダーウィンの進化論は偶然?必然?

    現在、哲学などの人文科学を学んでいると、 「人間は、機械というものを、ある目的を持って作成し、その機械は個々の部品を組み立てることにより、調和と秩序を形成している、だから、自然というのも、超越者(神)が自然を目的を持って創造し、そのため、その自然の中には、調和と秩序という法則がある。」 という類似思考という宗教的ともいえる思考に妙に私は腑に落ちてしまいます。 しかし、現在の自然科学では、神を廃し、その概念を消すため、目的論も否定するのが主流です。ダーウィンの進化論を使って、自然の中の適者生存、自然淘汰の中で、自然は、必然ではなく、偶然、秩序と調和が形成されると。 しかし、果たして「進化」とは「偶然」でしょうか?「必然」でしょうか?

このQ&Aのポイント
  • 宛名印刷Ver25を使っていると、宛名印刷や住所録印刷をすると薄墨みたいになってしまいます。
  • チェックは入っていないのに薄墨印刷されるため、プリンターの問題ではないと思われます。
  • Wordやその他のソフトは問題なく印刷できるため、解決方法を知りたいです。
回答を見る