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日本の火縄銃

fumkumの回答

  • fumkum
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回答No.8

火縄銃の日本伝来についての現在の通説は、慶長11(1606)年に書かれた『鉄砲記』を基にした説です。これは種子島久時の依頼により書かれたとされる伝来記ですので、種子島氏の功績を顕彰することも目的なので、誇張等があるとされますが、種子島氏の資料を使っていることも確実なので、鉄砲伝来に関する基本資料となっています。さらにアントニオ・ガルワンの『世界新旧発見史』も基本資料として扱われています。 『鉄砲記』では、 *天正12(1543)年に外国船が種子島に来着した。 *船の中には西南蛮の商人が乗っており、その頭は牟良叔舎と喜利志多佗孟太の二人であった。 *中国人の儒生の五峯が筆談で応対した。 『世界新旧発見史』では、 *1542年に、中国船が日本の島(島名は記載されてはいません)に漂着した。 *アントニオ・ダ・モッタ、フランシスコ・ゼイモト、アントニオ・ベイショットの三名のポルトガル人が乗船していた。 現在以上の記述から、 *船主を中国人の五峯とする中国のジャンク船で漂着した。 *ジャンク船に3名のポルトガル人が乗船していた。そのポルトガル人の持参した鉄砲が伝来した。 *中国人の五峯は、・倭寇の頭であり、海賊の頭である王直であろうと想像される。 とするのが、通説です。 さらに、ヨーロッパ側の資料である『日本教会史』・『回国記』などにも、年次・人名などの違いがあるものの、同様の記述があるとされています。 ・倭寇=後期倭寇の参加者には日本人(真倭)は少なく、ほとんど中国人や高麗人であったとされます。 鉄砲(てつはう)の最初は、元寇時に元軍が用いた「てつはう」で、導火線のついた鉄製の球の中に火薬を詰め、点火後投石器で発射するもので、火縄銃とは異質のものです。また、爆竹についても、鉄砲と記載された日本の資料があるとされ、これらが中国から火縄銃(鉄砲)が伝わったという誤解が生じたとされています。種子島での伝来以前に、北条氏、武田氏など東国大名が鉄砲を用いたとの記述がありますが、それらの記述も、上記のような鉄砲だったとされています。 また、種子島の伝来についても、主体はポルトガル人ではなく、中国人の五峯(王直)であるとの説も存在します。 ところで、日本に伝来した火縄銃は、ヨーロッパで一般に用いられていた緩発式点火方式の火縄銃とはタイプが違い、瞬発式点火方式のマラッカ型と呼ばれる火縄銃に分類されています。緩発式点火銃は、ヨーロッパ・インドなどで用いられ、肩に付けて発射する銃で、火挟(火縄を挟んでおく金具)と引金が連結しており、引金を引く速度に、火挟が火皿に当たるまでの速度が連動します。これに対して瞬発式点火銃は、東南アジアで用いられ、頬に付けて発射する銃で、引き金を引くと、バネによって瞬時に火挟が火皿に当たるようになっています。瞬発式点火銃は命中精度が高いものの、安全性・操作性に劣るとされ、狭隘な地形での使用に適するとされています。これに対して緩発式点火銃は逆であるとされています。一口に火縄銃といっても違いがあり、日本に伝わった瞬発式点火銃は、その中でも特殊で、スペイン型と言われる狩猟用の頬付けストックを持ち、加圧式火挟を持つマラッカ型の特殊な火縄銃とされています。そのため、中国で使用されていた火縄銃とは異なるとされています。なお、ストックの頬付け式と、肩付け式のストックの形状と、使用地域の違いについては、二、三日前のBSで放送していました。 以上、参考まで。

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