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想像の翼を広げる

昨年のNHK朝ドラ「花子とアン」には、この言葉「想像の翼を広げる」という言葉がしばしば出てきて、このドラマのモデルになった作家村岡花子の造語かと思っていたのですが、いま読んでいる五味川純平の小説「戦争と人間」(1965-82年)にもこの言葉「想像の翼」が出てきます。戦前からよく使われていた言葉なのでしょうか?そうだとすれば、外国(西洋)から来た言葉にちがいないと思うのですが、この言葉の語源はどから?ご存知の方教えてください。

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  • dayone
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回答No.4

興味深い御質問ですね^^ 村岡花子がモンゴメリの原書 "Anne of Green Gables" を初めて知ったのが、 1939(昭和14)年とした場合、下記URLのとおり、 既に大正期の書籍・新聞の一部には用例があるようですから、 村岡花子と原書 "Anne of Green Gables" と「想像の翼」とは 切り離して考える必要がありそうです。 〇青空文庫 ◎「方則について/寺田寅彦」(初出:『理学界/1915(大正4)年10月1日)』 …疑って活路を求めるには想像の翼を鼓するの外はないのであろう。… http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/42705_23761.html ※最後尾の「(大正四年十月『理学界』)」を含め下から17行目。 あるいは、「Ctrl+F」→検索:(キーワード)「想像の翼」にて、位置を御確認下さい。※ 〇神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ新聞記事文庫 ※1911(明治44)年10月~1945(昭和20)年1月の間の代表的記事の切抜収集。※ ◎新聞記事文庫 住居問題(1-046)/大阪時事新報 1919.1.20-1919.2.6(大正8) 都市生活の不安((一~七・九~十四・十六・十八) 大阪市の住宅問題 (十一) 理想郷 痴人夢を説くと云う、予は一日想像の翼を大空に搏ちつつ理想の都市を瞰下して見た、… http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10060012&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE ◎新聞記事文庫 交通(02-087)/大阪朝日新聞 1920.5.29(大正9) 日伊空中連絡 …、飛行機の翼は詩人の想像の翼の馳するが如く馳するわけには行かぬ。… http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=00104431&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE ◎新聞記事文庫 都市(9-129) 東京朝日新聞 1923.11.4-1923.11.6(大正12) 都市計画と政治 (一~三) シー、エー、ビアード (一) …、終には折角の想像の翼もその羽も剪み切られて了うのが常である。 http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=00748576&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE あと、気になるのが下記などの「空想の翼」。 ○『黄昏/白柳秀湖(武司)/如山堂/明42.5』 「驛夫日記」<103/158>(188頁2行目) 私は空想の翼を馳せて、… http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/887147/103 ※(初出:『新小説』1907(明治40)年12月)※ ○新聞記事文庫 石油(01-067) 福岡日日新聞 1913.12.3-1913.12.5(大正2) 石油の時代(上・中・下) (中) …将来の戦争に就ては種々空想の翼を拡げて… http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=00107746&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE ○新聞記事文庫 労働問題(15-001) 大正日日新聞 1920.5.11-1920.5.21(大正9) 労働の危機 (一~十二) 中沢臨川 二 …、決して誇大な空想の翼を以てせずとも想像するに難くないことだ。 http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=00794282&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE ○『時・処・人/岸田国士/人文書院/昭11』 「或る村の素人劇團」<71/189>(126頁10行目) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1222010/71 …、自由に空想の翼をひろげ、…(一九二八・一〇) ※(初出:『悲劇喜劇 創刊号』1928(昭和3)年10月1日発行) 上記「驛夫日記」の中の「空想の翼」が、 「想像の翼」と無関係に偶然生まれたとは考え辛いため、 どうやら1907(明治40)年12月より以前に遡る必要がありそうです。 明治期のシェイクスピアの翻訳ならば、 真っ先に浮かぶのは坪内逍遙、そこで既出の「ヘンリー五世」の翻訳関連を 少し調べてみましたところ、 〇『叢書全集書目.第1輯/東京古書籍商組合企画部監修/東京古書籍商組合/昭和6-9』 「沙翁全集」<12/25>(19頁下段) 沙翁全集/坪内逍遙訳 全四十冊 四六判洋 早稲田大學出版部発行 第三十編 ヘンリー五世 (同・五)※(昭和二・五) 第卅八編 ヘンリー五世 三部 (同・六)※(昭和三・六) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1214697/12 残念ながら坪内逍遙翻訳の「ヘンリー五世」は昭和期の様子。 もちろん、それ以前の随筆・評論などで坪内逍遙の可能性は残りますが… 次に、明治期のシェイクスピア翻訳情況から覗いてみましたが、 〇明治翻訳文学全集 《新聞雑誌編》 ・第1巻 シェイクスピア集 I ・第2巻 シェイクスピア集 II ・第3巻 シェイクスピア集 III http://homepage3.nifty.com/nada/page022.html 残念ながら上記には「ヘンリー五世」が無い様子です。 由来候補の筆頭がシェイクスピアの可能性大としましても、 果たして何時?翻訳は誰?となりますと、 なかなか先には進めません(><) ほか、論文などにあたりますと、 シェイクスピア「ペリクリーズ」第三幕の中にも「想像の翼」の訳語があるようですが、 "Making, to take your imagination,… "などと "wing(s) "が無いことと、 時期・訳者が不明のため可能性小。 また、フィリップ・シドニー「ニュー・アーケイディア」にもあるようですが、詳細不明。 以上 中途半端ではありますが 少しでも疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^

statecollege
質問者

お礼

ありがとうございます。これは詳しいですね!なるほど、「赤毛のアン」以外でもたくさん使われていたんですね。すでに、別の方から、シェークスピアにこの言葉の原型があるという回答がありましたが、納得です!五味川純平はかならずしも「赤毛のアン」を読んで、この言葉を「戦争と人間」で使ったわけではないということがよくわかりました!

その他の回答 (3)

回答No.3

No.2です。お礼ありがとうございました。 「想像の翼」という語が、NHK朝ドラの中で、村岡花子が「赤毛のアン」に出会う前に使われているのは、脚本家の茶目っ気ですね。こういう手法はよく使うと思いますが、あのドラマの登場人物の一人、「朝市」も、ドラマの直後の番組「あさイチ」からとったと、脚本家自身が話していました。「あさイチ」という番組の冒頭で、直前の朝ドラの感想を出演者が話すので、それを意識したとのことです(笑)。村岡花子とアンのイメージを重ね合わせるために「想像の翼」という言葉を意識的にセリフにしたわけです。「腹心の友」も同様ですね。 松本侑子という翻訳家が、「赤毛のアン」の新訳をしているのですが、その人の著書に「赤毛のアンに隠されたシェイクスピア」というのがあります。私は読んでいないのですが、もしかすると、「想像の翼」が「ヘンリー五世」からの引用であるかどうかが書かれているかもしれません。 http://www.amazon.co.jp/%E8%B5%A4%E6%AF%9B%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%81%AB%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%94%E3%82%A2-%E6%9D%BE%E6%9C%AC-%E4%BE%91%E5%AD%90/dp/4087745112 五味川純平「戦争と人間」に関しては、おっしゃるように、年代的に「赤毛のアン」の出版後なので、これを読んだ可能性は十分あると思います。一方、五味川純平は東京外語大の英文科を卒業しているので、そこでシェークスピアを学んだ可能性や、ほかの英米文学作品からとった可能性もあるかもしれませんね。資料がないので、この辺は何とも言えません。

回答No.2

こんばんは。 「想像の翼(the wings of imagination)」という言葉は、モンゴメリの「赤毛のアン」の本文中に出てきます。 ・・・she had an uncomfortable feeling that while this odd child's body might be there at the table her spirit was far away in some remote airy cloudland, borne aloft on the wings of imagination. ・・・この奇妙なこどもは、体は食卓にあっても魂は想像の翼に乗って、遠い雲の世界に行っているのではないかという、気味のわるい気持ちにおそわれた。 (村岡花子訳 新潮文庫 52ページ) モンゴメリの作品には、古典文学の引用もありますが、「想像の翼」という言い方は、シェークスピアの「ヘンリー五世」、第3幕のプロローグに出てきます。 Thus with imagined wing our swift scene flies In motion of no less celerity Than that of thought. この箇所の、現代英語訳が次のようになっています。 And so, on the wings of imagination and at the speed of thought, our scene flies swiftly on. かくして想像の翼に乗ってわれわれの迅速な舞台は、 思考の速度よりもなおはやい運行で飛んでゆく。 (大山俊一訳 筑摩書房 シェークスピア全集 第4巻) 今のところ、これが一番古い用例のようです。なお、似たような言い方で、on the wings of inspiration(霊感の翼に乗って)という言い方もよく見受けます。「ソクラテスの弁明」にそういう言葉があると書かれている書物があったのですが、調べたところ、そのような表現にはなっていませんでした。インターネット上には、ほかにもOn the Wings of Freedom、On The Wings Of Love、On the Wings of Dreamsなどがあり、「on the wings of~(~の翼に乗って)」という英語の用法が広く使われているようなので、それが入ってきたものと考えられます。

statecollege
質問者

お礼

たいへん貴重な情報ありがとうございます。NHK朝ドラでは、花(花子)が「赤毛のアン」に出会う前、小学校の代用教員をしているときに「想像の翼」という言葉を使っています。もちろん、これはドラマなので、脚本家が「赤毛のアン」で使われている、モンゴメリーお気に入りの言葉を先取りして用いたということでしょう!五味川純平の小説は村岡花子訳の「赤毛のアン」より後の出版なので、そこからこの表現を学んだ可能性はありますね。語源がシェイクスピアにあるとすれば、別のところからこの表現を知った可能性はもちろんありますが。。。ちなみに、この五味川純平の小説は出版されたのは戦後ですが、戦前の昭和を対象にした小説で、ある情景を描く言葉として出てくるのです。(戦前の人々の会話の中に出てくるわけではありません。)

  • kzsIV
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回答No.1

ドラマ中の「想像の翼」は村岡訳『赤毛のアン』の用語を殊更に用いたものです。ついでに、「腹心の友」「そうさな」の箇所も挙げておきます。なお『Anne of Green Gables』は1908年出版です。 L.M.モンゴメリ 村岡花子訳 『赤毛のアン』 新潮文庫 2008年改訂版 第4章  そのうちにだんだんアンは放心したようにぼんやりしてきて、機械的に食べ、大きな目をまたたきもせず、何もうつらないかのようにじっと窓の外の空を見すえていた。これを見るとマリラは前にもましていらだってきた。この奇妙(きみよう)なこどもは、体(からだ)は食卓(しよくたく)にあっても魂(たましい)は想像の翼(つばさ)に乗って、遠い雲の上の世界に行っているのではないかという、気味のわるい気持ちにおそわれた。だれがこんなこどもを置きたいものか。 第3章 「そうさな、そう思わずばなるまいて」 マシュウはしぶしぶ答えた。 「そう思わずばなるまいですって? 兄さんにゃ、それがわからないの?」 「そうさな、あの子は、ほんにかわいい、いい子だよ、マリラ。」 第12章 「おお、ダイアナ」 やっとのことでアンは、手を組み合わせ、ささやくような声で言った。 「あのう、あのう、ねえ、あんた、あたしをすこしばかり好きになれると思って? あたしの腹心の友となってくれて?」  ダイアナは笑いだした。ダイアナはいつも何か言う前に笑うのだった。 「ええ、なれると思うわ」 とダイアナはありのままに答えた。

statecollege
質問者

お礼

やはり、NHK朝ドラで使われた「想像の翼」は「赤毛のアン」の中にあるのですね。この言葉がドラマではじめて使われるのは、花(花子)がまだ小学校の代用教員のときで、「赤毛のアン」に出会う前ですが、真面目に考えるとちょっと辻褄が合わないのですが、ドラマは「伝記」ではありませんから、それはそれでよいのでしょう。私がもっと興味があるのは、五味川純平がこの言葉をどこで知ったのでしょうか?五味川純平が「戦争と人間」を書いたときすでに村岡花子訳の「赤毛のアン」はすでに出版されていましたから、そこから知ったのでしょうか?あるいはこの言葉が一種の流行語だったのでしょうか?

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