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いい加減な気持ちが神を拝むのである
山田 太郎(@f_a_007)の回答
- 山田 太郎(@f_a_007)
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× 人は、そのいい加減さゆえに神に祈り、願い、拝むのである。 〇 ある者は、そのいい加減さゆえに神に祈り、願い、拝むのである。 「(私の知っている)人は、そのいい加減さゆえに神に祈り、願い、拝んでいる。」とは、あくまでも質問者の視点からある特定の人々のある特定の側面を取り出した感想でしかない。それは、その分析と総合のレベルから明らかに単称判断の域を出ていないことは明らか。「人は」という主語の前に「すべての」という言葉をつけても、つけなくても、同じことである。「人は」と言う主語で語られる場合は、以下の述語が「すべての人に共通に見出される事象」でなければならない。つまり、全称判断で語られるべきは本質の判断に限定されるべきである。個人の感想は、いかに「人は」という主語で語っても本質を語ったことにはならない。なぜなら、個人の感想には分析はあれど総合はないからである。付言すれば、総合という手続きを経ていない判断は、所詮は、単称判断にすぎない。個人の感想であれば、「ある者は、そのいい加減さゆえに神に祈り、願い、拝むのである。」と表現すべきである。特に、恣意性が強い感想であれば、なおさらである。 と、主語の使い方が今ひとつシックリときませんね。
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