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まず初めに無ありきってことか

  「色即是空、空即是色、この世の全ては無であり空である。」 我々が日々見たり、聞いたり、味わったり、感じたりするこの世の諸々の出来事は全て錯覚であり、我々がこれら諸々の出来事を単に階層現象表面的に定性化している、まあ簡単にいえば「いい加減」に認識している結果であり、もともとこの世界は無であり空であるとみなす考え方はいかがなものでしょうか。  

質問者が選んだベストアンサー

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  • aokii
  • ベストアンサー率23% (5210/22062)
回答No.2

人間など、小さな存在であることを、謙虚に知るのは、大切なことです。

hitonomichi35
質問者

お礼

  地球も、その上に住む人間も大宇宙の中の塵に過ぎません。

その他の回答 (6)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.7

人の道さま、こんばんは。 >「簡単にいえば「いい加減」に認識している」 ・・・厳密に認識している人も、居ないではないようで。 >「もともとこの世界は無であり空であるとみなす考え方はいかがなものでしょうか。」 「の、ようなものである」ということで、実際に無や空であるわけではない、と思います。

回答No.6

過去(超光速=記憶=時間の流れ)と未来(光速下=予測= 空間の広がり)が、現在(光速=感受表面での量子相互 作用=不確定性無限(=無)の潜在としての認識可能性)から 相補分化していると考えるならば、「初めに」の始まりは 存在の不確定性(不確定性原理)と認識の不完全性(不完 全性定理)である。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.5

無、というのは概念です。 現実の世界、宇宙に、無、というのはありません。 概念だから、色々矛盾が生じるのです。 ”この世の諸々の出来事は全て錯覚であり”     ↑ それなら、錯覚が存在している訳ですから 無ではありません。 無は、無が存在しているではないですか。 概念だから、このように、自分で創った言葉に 惑わされたりすることになるのです。 そんなモノを考えるのは時間の無駄です。

  • shiren2
  • ベストアンサー率47% (139/295)
回答No.4

仏教の無我は非我が元々で、「私ではない」という意味です。 空は無ではないと散々、死ぬほど言い尽くされたことであって、未だに無だと主張する人がいることに驚くばかりです。 テレビを見て「箱の中に人が居る」と真顔で言われるような気分です。 わかりますかね。

  • ks5518
  • ベストアンサー率27% (469/1678)
回答No.3

空論だけに縛られていたら、いつになっても『悟る』ことはできない。 世の中、『諸法実相』だから。

noname#211733
noname#211733
回答No.1

無であり空であったから それが楽しくない事を神は悟って 有を生み出したのです・・ 元が無だからといって それが基本では無い・・ 人間も 始めは赤ちゃん・・成長して大人になる・・ それが必要な事だから そうなるのです・・ 無だけで良いのなら 神は わざわざ 自分の力を超えてまで ビッグバンを起こす必要は無かった・・

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