神に抗え

このQ&Aのポイント
  • 神に抗え!神が人間を作り出したのは、自分を崇拝させるため。
  • われわれは奴隷で良いのか。神を超え、新たなる存在として君臨しよう。
  • 神の意志に抗い運命に抵抗し、真の自立を目指そう。そのとき人類は地上を永久に支配する。
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神に抗え

神が人間を作り出したのは、自分を崇拝させるため。 自分の光を強めるため。 そのために我々は苦しみを与えられ無力を感じ、 神様助けてくださいと言わざるを得ない状況に陥れられているのだ。 われわれは神を賛美するための奴隷で良いのか。 何故自分の意思で生きようとしないのか。 自分を崇める者に永遠の命を与え、 崇めない者に不幸を与える。 そんな存在の操り人形で良いのか。 神を超え、新たなる高次元の存在として君臨し、 世界を導くべきは我々ではないか。 神の意志に抗い運命に抵抗すること。 神が人に与えた苦痛、恐怖、絶望を乗り越えるのだ。 それが真の自立であり生き残る手段である。 そのとき人類は新たなる高次元生命体として地上を永久に支配する。 そう思いませんか。

  • sohcon
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質問者が選んだベストアンサー

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  • 0fool0
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回答No.20

>先の私の発言にも論理的矛盾はたくさんあると思うのですが、 乳離れしていない害毒をまき散らしてしまう私のレベルに合わせて 回答していただいたということでしょうか。 論理が破綻している事は、無知・蒙昧なだけで問題ではないです。 それを振り回すのが「害毒」です。 知らない事を間違っている事を、尋ねてくる(質問する)方には何も問題はありません。 其の心のうちに「己」の「欲」に踊っている者が問題です。 先ほどの文意には「それ」はありませんでした。 >神と書いたのは自分の状況の延長線上にある運命。 その運命に抗うには激しい苦難が伴い、さらには自分自身の中に怠惰の心があり、それが運命を打破する上で大きな足枷となる。 それに負けるなと。 この場合突っ込むとすれば、神と運命の同一視位ですが、別に其処に興味は無いですねぇ・・ 定義の問題になってしまいますので、感じ方は人それぞれでは? それを他に押し付けるとなると問題ですが。

その他の回答 (20)

noname#210533
noname#210533
回答No.21

ニーチェっぽいですね。 神は、一部の圧倒的な力を持った人間が、 自らをそう呼ぶように名乗ったものですね。 余りにも哲学的に考え過ぎると、人の姿をした、 人の人格を持つ神、などというマンガを本気で 考えるのがバカバカしくなるけれど、持てる者と 持たざる者のあまりに遠いその距離は、「崇める」という 保身、及びご利益頂戴、の射幸心を生みました。 だから、一介の農民からしてみたら、豊臣秀吉は 「太閤」という「神」と同義語だった。 一介の農民の人生には、意思を持つ究極の存在、を 人間以外のものに求めようもなかったでしょうね。 翻って、私たちはどうでしょう? 遠くアラブの国々に爆弾を落とす無人機は、衛星経由で 操作され、要員は交代しながら不眠不休でゲーム感覚で 無辜の民を笑いながら殺していきます。 私が殺される側なら、この無尽平気・・・違う、無人兵器は、 ある種「神」と同義語になります。 それは自分を滅ぼそうという明確な意思であり、その 禍々しい姿のロボット機を破壊した所で、その邪悪な 意思を絶やすことには、全くならないのですから。 不死。 そういう見方をすれば、この矮小極まる私達、名も無く 顔さえない私達地べたの弱者は、あなたが仰る通り、 自分こそが自分を支配する「マスター」でなければ ならないと思います。 付け加えて言うならば、矮小なものはいくら背伸びしても 矮小です。 だから、手を携えて群を成すこと、その群れが単なる 烏合の衆ではなく、頭があり、手足があり、統率された 全体で一個の生き物のように振る舞えるように・・・ 結局ここでも新たな「神」が生まれるだけですね。 カリスマとか英雄とか、呼び名は変わるけれども。 すると、もう一つ。 取るに足りない矮小な自分を、空気で膨らませるような 空疎なことはせず、自分の大きさと立ち位置と、出来る事を 弁えて、あるがままに生きる事。 他人の考えや価値観を排斥してじぶんを守ろうとすることも 一つの道ではあるだろうけれど、大抵のことは、ウンウン、と 拝聴して頭の中の引き出しにしまえば済む程度のことばかり。 たまに起きる、大きな事態に備えて、非常時にこそ、一時的に、 必要とされた時だけ、「神」に変貌出来れば良いのかも知れません。 自ら名乗る神、ならざりし神は、約束の地、約束の時にいずこより 来たりて、業を為し、いずこへと去るものでしょうから。 神について考えることは、自分の矮小さ、無力さと静かに向かい合う こと。 そんな気もする今日この頃、皆様、いかがお過ごしですか?

回答No.19

みたび。 http://okwave.jp/qa/q8589879.htmlというのがありますね。 信仰精進はただ漫然と宗祖の言う通りにするのではなく、宗祖も予定している通り展開し付加することにより歩めるものでしょう。 草原の草が風になびくがごとくに大勢に従うだけが人間ではなく、創造者や創造の原理が予定しているものではないでしょう。 素直であると同時に、自己の展開付加は宗祖が期待しているものであります。 異端こそが真の道です。 何世紀も同じ内容なんてそんなのは俗界の強制でしかない。 異人である必要はないが、奇人変人は求道者の当然のあり方でしょう。 そうして求めていくのでしょう。

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.18

回答No.8です。お礼とかを拝読しました。 神にどんなに抗ってもそれは神の中のことですからね。 自己(神)の内なる人間のなすこと見ること、經驗することを人間が楽しみ喜ぶ。それは神も楽しいでしょうね。

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.17

こんにちは。  神がもしいるとしたら、人類に自ら主体的に歩ませてくれているのではないでしょうか。 「矛盾に満ちた現実の中で極限まで人事を尽くした先で神を意識する」ということはあると思います。それはもてあそばれているというよりは、人事を尽くさせてもらっているという感覚でいいような気がします。甘えでもひいきでも差別でもなく。そして、神が存在するしないに関わらず、実人生の中で人間として人事を尽くすというのが大事なのではないでしょうか。

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。 人事は尽くしたいですね。

  • 0fool0
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回答No.16

>上述そもそも書いたのは、現在、自分自身現実上の修羅場に立たされており、自ら奮い立たせるために書いています。 なるほど、得心しました。 中々、質問も難しいモノです。 楽しみましょう。

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。 先の私の発言にも論理的矛盾はたくさんあると思うのですが、 乳離れしていない害毒をまき散らしてしまう私のレベルに合わせて 回答していただいたということでしょうか。

  • 0fool0
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回答No.15

私の発言は、能く人を「エグリ」ます。 始めから其れを目的に発言する事は余りありませんが、論理の破綻を見れば切り込みます。 何故なら破綻した論理を振りかざす者は、不当な解釈と害毒を世に撒き散らすからです。 別に私が正しいと主張する訳ではありません。 私が破綻していれば、私が害毒を撒き散らしている訳ですから、改めます。 私を論破すれば良い。 人権だ命だWEBだなどは何の意味も無い。 茶を濁すだけの事しか出来ぬのであれば、何の意味を此処に求める? 真剣に楽しみたいだけです。

sohcon
質問者

お礼

ふうむ、非常に難しいですね。 そもそも何か意味を求めて書き込みしたわけでも真剣に楽しみたいと思っているわけでは ないのですが、それを言ってしまえば議論から逃げているとなってしまいますよね。 上述そもそも書いたのは、現在、自分自身現実上の修羅場に立たされており、 自ら奮い立たせるために書いています。 神と書いたのは自分の状況の延長線上にある運命。 その運命に抗うには激しい苦難が伴い、 さらには自分自身の中に怠惰の心があり、それが運命を打破する上で大きな足枷となる。 それに負けるなと。 以上が本音ですが、私の書き込み時代が「害毒を撒き散らしている」のであれば、 私の発言は世の秩序を乱しているとしかるべき宛先に報告していただいても問題ございません。

回答No.14

あはは、なにを言ってるんですか(^^) いいですか、我々人間が神を超えるなど無理です。 あなたが今生きているのも全ては神の御意志によるもの。 人はあくまで霊長類の進化版にすぎない。 我々は神の手の上で踊り狂う猿。 発展だなんだと神に勝とうする。 無意味なのだよ(^^) また、従うのもさらにおかしい。 我々人間と神は本来、独立した存在。 上下関係はない。ただし世界は神のものさ(*^^*)

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.13

神への不満は、君に教えを与え、君を信じ込ませた「人」に由来する。 君達のそんな信仰は神に通じるためでなく、その「人」に隷従するためであろう。 その「人」に対する憎しみから、神にまで逆恨みをしているのが君たちだ。 そんな事をしていては、神と通じる事は無いだろう。 教えが問題なのではない、君たち自身の穢れ切った信仰心もどきが問題なのだ。 私は神から糧を得る信仰あるものだ。 君達は「人」から餌をもらっているだけの奴隷だ。 自分自身を自分で養う事が出来ずに、「人」に求めてばかりに君達は自由という自助を放棄した愛玩動物だよ。 真の人間は君達に愛を手向け、慈悲を持ってエサを与える。 君たちにとってそれが救いであり、喜びなのだ。 そのようにして社会では支配する者が生まれ、幸いかな民主主義の日本では君達はすべての奴隷なのだ。

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。

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回答No.12

>その論理でいくと、あいつは普通の人間の思考をしていないから命を奪っても良いよという議論になりませんか? で、いやいや命を奪って良いなんて一言も言ってないよとその人が言えば、何甘えてんのってことになりませんか? 命のやり取りをしているならそれでいいでしょうが、この場は議論ですよ?(あぁ、議論も不味かったかな?) 貴方は私の言に人権を傷付けられるほどに「傷付き」命に影響するほど「追い詰められ」たのですね? 貴方の言う「破壊」は「殺戮」なのですか? 私は「存在(理由)」や「思考・思想」の破壊者だと思ってましたよ。 貴方の想像する「破壊する者」とは一体何を破壊するのですかねぇ? 私は貴方の命等を的に掛けてはいませんよ。 貴方の稚拙な論理を的にかけているのです。 ですから対抗策としては、私を論破すれば良いだけです。

sohcon
質問者

お礼

どうですかね。 WEB上の発言にいちいち気にとめる必要もないという思いと、 例え小さい事でも侵害行為は許さないという思いがありますね。 貴方がそうというわけではありませんが、何にせよ「それなら死ねよクズ」みたいな 発言が多いので、それを容認するのがWEBの世界かもしれませんので、あまり敏感になるのは 発言する上で良くないかもしれませんね。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.11

>貴方は自分の基本的人権を犯し今後も犯す危険性のある人間と交流したいのですか? ん~~~? 破壊者を欲しがる位で、人権を守って欲しいと言うのは変ですよ。 どういう風に壊して再構築して欲しいかなんて、ただの甘えん坊です。 不動の自分を自分で構築すればいいだけです。 大体貴方は他人の意見に対しての発言では問題が無く、自分に対しては問題があると言っていますよ。 そろそろ乳離れをした方がいいです。

sohcon
質問者

お礼

こんにちわ。 何度も回答をありがとうございます。 > 破壊者を欲しがる位で、人権を守って欲しいと言うのは変ですよ。 その論理でいくと、あいつは普通の人間の思考をしていないから命を奪っても 良いよという議論になりませんか? で、いやいや命を奪って良いなんて一言も言ってないよとその人が言えば、 何甘えてんのってことになりませんか?

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  • 《非在》なる神をどうして理解できないか

     § 1 不在と非在  たとえば ○○さんご在宅でしょうか? と尋ねて いえ あいにく○○は不在です。といった会話があります。  けれどもこのとき《不在》だと言っても ○○さんは どこか他のところにいるはずです。  すなわち 《存在(在宅)と不在(留守)》とは互いにこの同じ時空間――《宇宙》としましょうか――にある或る人の存在についてふたつのあり方を表わしています。また それだけのことです。  ところが もし《非在》と言ったらそれは何を表わすか? 《存在に非ず》とは どういうことか?  § 2 不在でありうる存在は 《感じる・考える》の対象となる  在宅と留守とのあり方を交互に変える○○さんなる存在については 見ることも触れることも声を聞くことも出来ます。つまり 《感じる》ことが出来て さらにその知覚を 概念で認識して《デカイ》とか《だが声は小さい》とか言葉で表現し得ます。  さらにあるいは その小さな声で言ったことが妙に気に成ってその内容について《考える》ことをもおこなう。  では 《非在》とは 何のことか?  感じることが出来るのか? 考えることができるものなのか?    § 3 《非在》とは 想定である  《非在》とは 存在・不在なるこの世界(宇宙)をこえたところに想定したものです。  世界の合理的な理解としての経験法則――たとえば これがあればあれが生じるといった因果関係――から自由な場(ないしチカラ)を想定して名づけたものです。  この経験法則としては ○○さんは 在宅であれば会社には不在であるということを示します。家と会社とに同時に存在することは出来ない。という世界です。  あるいは ○○さんであって 同時に別の人たる△△さんであることは出来ない。あり得ない。という世界です。  《非在》という想定は このような居たり居なかったりする経験存在を超えた場としてなのである。  § 4 《非在》という想定が 神のことである  《存在が有るでもなく無いでもない》。《この原因でその結果が生まれるといった因果律に支配されない》とは どういうことか?  ということは 《どこにも有るのではなく どこにも無いのでもない》とすれば 当然のごとく――このささやかな人間の知性で考えるに―― 《因果律に支配されない出来事が起きる》ことを 想定として表わそうとしている。  ここにもあれば 同時にあそこにもある。  という存在(つまり非存在という別個の場 つまりお化け)のことを 人間は想定することができる。想定して来た。《神》として。  § 5 神は 人間やモノについて言う《存在》とは 別個の場として想定されている。すなわち 《考えるや感じる》の対象ではない。  非在なる神は したがって あまねくそのチカラがはたらくという意味で《遍在》だと 人間の理性では推し測られた。あるいはしまいには 全知全能なる存在ではないかと。  この神は すでに存在の有るか無いかで推し測る宇宙の次元を超えているからには 《感じる》ことも《考える》ことも出来ません。  出来たと思っても それが合っているのかどうかが 人間には分からない。考えて分かったというのは この経験世界における思考や想像によって得た補助線――神を理解するための補助線のこと――を言っている。神本体ではあり得ない。  それゆえに・あるいはそれでも 分かったと宣言する人が出て来ても ほかの人においても納得することが出来るかどうかは分からない。(だから分からないながら ある程度の人数の《賛同者やさらには崇拝者》が出る余地はある)。  § 6 神を受け容れるかどうか。受け容れるというのは 《考える》でもなく《感じる》でもなく 《信じる》と言う。  この神は その想定として受け容れるかどうかは ひとの自由である。ひとの選択にまかせられている。  ただし《受け容れない》と選択した場合も 神という想定じたいは 消えることはない。《感じる・考える》を超えている非在を どうして人間が消すことができよう。  だから 神とわれとの関係は 受け容れたと受け容れないとに分かれるとき それらは《有神論と無神論》とに分かれたことを意味する。  一般に有神論は 神を信じると言い 無神論は 神を信じないと言う。  すなわち後者は 《無い神を信じる》と言うのにひとしい。  《信じる》というのは 《感じる・考える》を超えた《非在》とわれとの関係をあらわす言葉である。  § 7  信仰とシュウキョウ  《信じる――または わが心なる非思考の庭としての動態――》は 信仰としてありうるが この神をオシエとして《考えるや感じる》の対象にすることは――それが シュウキョウである―― いただけない。シュウキョウはその起こりからして 思考に非ざるものを思考したオシエを 信じるという自己矛盾である。  § 8 この神をどうして理解できないのか?

  • 神に対し「汝」とは!?

    訳文の参考にするため、古代エジプトを舞台にした翻訳小説を読んでいて、ある訳語に違和感を抱きました。 主人公が神(ここでは多神教の神なので対象はその都度変わります)と対話する際、神に対し常に「汝」と呼びかけているのです。 「汝」は一般的に目下の者に呼びかけるときの言葉と解釈していましたので、すぐに辞書で調べてみたのですが、やはり目下を呼ぶ語としか書かれていません。 自分より上位の存在、超越的存在である神に対し、「汝」という呼びかけがはたして相応しいのか。皆さんはどう思われますか? 仮に主人公が神を自分と対等の存在と考えているとして、対等の者に対して「汝」は使えるでしょうか? また「汝」でないとすれば、神に呼びかけるに相応しい言葉としては、どのようなものが考えられるでしょうか?「神よ」とか「神さま」ではなく、「あなた」の代わりになるような言葉で思い当たる方がいらっしいましたら、よろしくご教示のほどお願い申し上げます。

  • 「神」を否定する

     初めまして。 大学一年で、理学部の者です。  哲学の講義に於いてディペートを行いました。 テーマは「『神』は存在するのか?」  哲学の基礎知識が無い人学生ばかり集まっていた(?)ので、後半はテーマとは違う方向になってましたが、汗。  神は存在する→科学的に存在しないことを証明されていない・無限者なので、発見されない  神は存在しない→科学的に証明されない・(コスモスの)世界に「神」という言葉が存在していること自体が否定そのものではないか?  自身としては、神の存在を否定する側です。    神は存在するのでしょうか? また神は存在しないのでしょうか?  勿論、神は存在する・しないの問題ではなく、信じる・信じないの問題とは思いますが。  無知者なので、(自分で調べても)分からない用語があれば質問する場合がありますので(その時は、解説を御願いします)。