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神はなぜ自分の存在を明らかにしないのか?

皆さんこんにちは。 私は宗教、哲学にまったくの素人で、また無宗教でも ありますが、神の存在は信じています。 しかし、私の思っている神というのは、私を護って くれるだけの近くて、小さい、守護霊的な存在なのです。 宇宙規模のすべての創造主の神の事とは違うのですが、 その創造主の神について、教えていただければ幸いです。 神は自分(神)の存在を人類に知らせたいのでしょうか? それとも隠したいのでしょうか? キリスト教などの信者の方が、神の存在を皆に説いている はずなので、前者だと思うのですが、それなら神はなぜ、 自ら地球上のすべての人類に姿を見せるとか、声を聞かせる とかして、自分の存在をアピールしないのでしょうか? 何卒よろしくお願い致します。

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  • ベストアンサー
  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.32

No.28です。 >その矛盾があっても、その宗教を信じている信仰者は >どうしてなんだろうと思ったりもしました。 統計を取ったことが無いので想像でしかないのですが、真実を見せられても、間違えたことに固執する特徴を持つ人の性格は” 頑 固 ”なんじゃないか と。 私の性格も頑固ですが、他の頑固者とちょっと違い、間違えていたと理解した途端、今までの主張を撤回するという勇気と柔軟性は持っているつもりです。 http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND40004/index.html 中島みゆきの <世情> 『包帯のような嘘を見破ることで、学者は世間を見たような気になる。』 <包帯のような嘘> うまい表現ですね。 そして、とても悲しい詩です。 嘘という包帯を巻かないと、疼いてしょうがない。 妄想という包帯を巻いたところで、疼きは消えない。 何が原因でうずきを感じるのかというと、死の恐怖 じゃないか と。 おかしいですよね。 人は死んでも天国か地獄で永遠に存在し続けると主張する宗教を信仰している者が、何死を恐れるのでしょう? 肉体を持たないので、肉体による苦痛も無いし。 死んだら脳の活動も停止するので、この世を作り出していた脳が停止すれば、この世も消える。 「あーー この世が消えた。困った~」と認識することも無い。 生まれる前の状態になるわけです。 生まれる前、何か不自由ありました? 無かったでしょ? 死の恐怖という妄想を起こしているとき、理性を働かすことが難しくなる。 人間の理性は静かなところで発生する。 暴走状態のときには発生しない。 そしてペテン師は人の恐怖心を煽ることで、相手に妄想を起こさせ、他人を自分の思いのまま操ることが可能だと知っている。 ある人は、「神なんて信じない」というインスピレーションがひらめいた。 身震いしたが、その疑惑はどうしても消せなかった。 しょうがないから、ほんの1秒だけ、神を信じないというメガネをかけることにした。 すぐ メガネを外せばいいとして、ちょっとだけためしでそのメガネをかけてあたりを見回してみた。 眩暈がした。 「地球がどうして空中に浮いていられるの? 私達は猛スピードで宇宙を移動しているって、、、とても危険だ」(ちなみに地球は時速10万キロで移動している) 超危険スピードで突っ走っているわけで、このままでいったら宇宙のはじっこから落ちちゃう!!! 冷静に。 「そうだ 学校で教わった。重力と角度運動牢が、私達が太陽の周りを旋回し続けているんだった。」 ふーーーっ。 現実を認識できれば、時速10万キロの物体に乗っているのは危険じゃない。 と、いろいろ現実をつきつけたところで、幻の痛みが消えない人もいるかも。 うずくという人の包帯を解いて、「痛みは幻です。」と本人に認識させないと、「その恐怖は幻である。」と2000年すぎたとき理解したとしても、別の妄想はいくつもあり、消していかないと妄想を生み出す根源は残り続け、妄想を生み出し続ける。 本人が、「このイメージは現実じゃない 幻なんだ」と1つ1つの妄想を現実で消していけばいいんじゃないか と。 ほら 癌細胞があっちこっち転移していた場合、一箇所だけがん細胞を消しても、駄目でしょ? 一箇所 2000年に地球は滅びる は現実滅びなかったことで、1つのがん細胞は消えたが、他 あっちこっち転移してますから、そこらも現実という薬で消滅させないと いつまでも病み続けるしかないんじゃないか と・・・・

その他の回答 (33)

  • takimagu
  • ベストアンサー率30% (10/33)
回答No.34

仮に神と呼ばれているモノが存在しているという前提で回答したいと思います。 神が存在を明らかにしない理由~ に対する現実的な回答として、以下の四つがあげられます。 1-A 神は自己の存在を明らかにする必要がないと考えている 1-B 必要があると考えるが何らかの理由でできないでいる 2-A 既に明らかにしているが、単に人類が気づいていないだけ 2-B 既に明らかにしていて、人類も実は気づいているが自覚していないだけ の4つがあげられます。もちろん大雑把にですが。 どれが正しいかは人類の永遠のテーマとなるでしょう。

rin00077
質問者

補足

皆さんたくさんのご回ありがとうございました。 おかげさまで、参考になるご意見をたくさん聞かせて いただきました。 神を信じる、信じないは別にして、それに対して 皆いろいろな考え方、とらえかたがあり、すべての 回答者さんが正解であるのには間違いないのですが、 システム上、2人の人にしかポイントは入れれません。 私の独断と偏見で選ばせていただきますので何卒 ご容赦くださいませ。 また、最後のほうは個々にお礼を入れておりませんが、 横着ながら、まとめてのお礼とさせていただきます。 まことにありがとうございました。 またよろしくお願いいたします。

  • masaji999
  • ベストアンサー率32% (18/55)
回答No.33

>神は自分(神)の存在を人類に知らせたいのでしょうか? >それとも隠したいのでしょうか? 知らせるか、隠したいというレベルで神は存在していない それはあなたの知るところではない、と思う >自ら地球上のすべての人類に姿を見せるとか、声を聞かせる >とかして、自分の存在をアピールしないのでしょうか? 先にも述べたとおり、自分の存在をアピールするというレベルでは存在していない そして、神の声は経験を詰めば、いつでも聞こえる まだ聞こえないのは未熟な証拠、精進なさい

回答No.31

>あ、人間の能力不足ということですね。 >それで、神には気づかない。ということですか。  違います。    能力が不足なのではなくて、むしろ能力が妨害しているのです。  そして、神に気づきなどあるわけがありません。  わたしとかあなたとかいう自分というものにとっては絶対に  到達できないところなんです。  なぜかといえば・・・たとえれば、神といういわばOSの上に人間という  アプリを乗せているので、人間にはOSが見えないんですね。  そのアプリもOSの規則性の中にあるのでその動きは神なのですが、  人間側からは決して見えないという隠れんぼなんですよ。  OSは圧倒的存在であるにもかかわらず見えないと言うことです。    OSとアプリが多少なりとも同一の層にあるのではないかと思うことは  大きな誤解です。

noname#74145
noname#74145
回答No.30

神の形態は受け止める人間によって様々な種類が有ると思いますので彼らが全て出て来たら人間は混乱してしまいます。 神とは 宇宙そのものである、宇宙を動かす各種法則の事である、人間と同じ形をしていて杖を持っている、八百万の神あらゆる物に宿っている、各々の心の中に存在する・・・・・ 如何ですか、これらが順番にせよ全て出てきたら混乱しませんか? 人間の事を真に思えば出てくるべきでは有りませんね。 第一出てきたら単なるタレントと大差ないでしょう? 誰も確認した事が無いから信じる信じないなど話題に事欠かないのだと思います。 一度現れて人間達がそれに幻滅した場合後がありませんからね。 社会をまとめる為に神を発明した人間の知恵として混乱は避けたい、一度現れたら最後、混乱のきわみです。

  • gungnir7
  • ベストアンサー率43% (1124/2579)
回答No.29

ちょっと、あまりまともな回答がないようなので・・・ 神智学的な立場から回答いたします。 まず、神とはこの宇宙全体のことなのです。 キリストでも仏教でもイスラムでもこれは全て同じです。 一神教の神は宇宙神であり、この世の法則です。 創造神はあまりにも霊的波動が高いので一般世界に降りてはこれません。 (宇宙のエネルギーそのものですから降臨すれば地球は一発でなくなると思います・・・) 当然、神は自分の存在を知らせようとしています。 人間に霊的に成長してもらうことは、この宇宙の発展に寄与するからです。 そこで一人の人間には必ず守護霊がつくことになっています。 また、霊魂団をときおり派遣して人間世界の啓蒙に努めています。 霊魂団の有名な例がシルバー・バーチです。これで検索すれば幾らかヒットします。 さて、現在の人間は知識を得たために霊性が低下してしまいました。 自分の守護霊の声すら聞けないのに高級霊魂(一般的な神)の声など聞けるはずもありません。 守護霊は常にあなたの成長の手助けをしたいのですが、本人には全然声が届かないのが実情です。

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー なるほど。 神は宇宙エネルギーそのもののため 降臨すれば地球が消滅するであろう。 ということですね。 たしかに、私は守護霊の声を聞いたことが ありません。 したがって、それより偉大なものの声を 聞くことは当然不可能ということになりますよね。 ご回答ありがとうござました。

回答No.28

>宇宙そのものが神という感じですか。  違います。    人間が神を前にして何を見ても聞いても何を感じても、  それが真の神であることを人間は知り得ないのですよ。  隠されるのは人間がいるからであって、  神が隠れているのではないんですよ。  だから、人間の勝手な隠れんぼなんです。

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー あ、人間の能力不足ということですね。 それで、神には気づかない。ということですか。 ご回答ありがとうございました。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.27

>しかし、私の神は家庭内なのですが、宇宙規模の神を >信じられている人の理由が知りたかったのですね。 うーーん。 ミームが原因かなぁ? キリスト教においては、人間は神のいいつけを守らず知恵の実を食べてしまい、知恵がついたとしています。 ですが、神は人間に知恵がついたことを怒り、人間を神の農場から追放したとなっています。  「神にいいつけに従って、知恵を備えていなければ、人間は呆けていられたのに。」  「神にいいつけを守らなかったばかりに」  「神のいいつけを守らなかった。これが原罪である」 という原罪の理論を創造した創造主はアウグスティヌス。 私は、「キリスト教徒は知恵の実を食っとらん」と思っとります。 何故なら呆けとるから。 カレーと排泄物の区別もつかないほど呆けとる。 妄想と現実の区別もつかないほど呆けを快楽を希求しとる。 と思っとります。 (って知り合いの口調の影響で、最近 こういう言い方になっとりますが、お許しを。) 宇宙規模。 キリスト教は、太陽は地球の周りをぐるぐるまわっとると主張しとりました。 神がそのようにしたと主張しとりました。 地球の方が動いとると言った人にその説を取り消すように迫りました。 さて、それはいいとして、、、、 あなたは湖に際に立っておるとします。 自然界の中で、とりわけ太陽をウオッチしてみましょう。 太陽は朝、湖の表面からのぼり、夕方湖の表面に下っていって見えなくなる。 時期によっては、湖の表面上をすべるように まるで湖に上を歩くような運行をしとる。 夏が暑いのは、あなたが北半球に住んでおり、地球が太陽の方向を向いているとるから。 夏は太陽が出ている時間が長い。 一番長いのが夏至。 昼と夜の長さが同じなのは、春分の日と秋分の日。 太陽が出ている時間が一番短いのは冬至。 冬至の頃は草木も枯れて生命が死んだようにみえる。 日の出が一番短い日が冬至だが、北半球のどこらへんに住んでいるかで、その日は違う。 あるところでは12月25日あたり。 冬至の頃まで、太陽の日の出時間はどんどん短くなり、それ以降、まるで太陽が生き返ったかのように、日の出の時間が長くなる。 だんだん低くしか上がらなくなるように視覚では見えるわけで、だけど、北極とか南極とかそこに近い地域に住んでいない限り、昼が全く無いってことは無い。 で、あなたが日本に住んでいれば、昼間が一日も無いってことは無い。 冬至の頃は太陽は真上まで昇らず、地上付近を運行していく。 で、だんだん 太陽の昇る高さが低くなっていって、地上すれすれまでになったら、止まる。 3日間止まる。(いや 静止したかのように視覚で見えるだけ) 12月22,23,24日の3日間停止したように見える。 その3日間、夜はというと、南十字座があり、昼間はその南十時座の下に太陽が位置する。 22,23,24日に停止していた太陽は25日になると、南十字座に向かい上昇する。              ● ちなみに南十時座って ●   ●                ● 上と下、左と右を線でつなげば、+にの形になる。 太陽はその下にあり、12月25日になると、その+に向かって上昇し 重なる。 太陽が十字架にはりつけ~。 「イエスは十字架にかかり3日後に甦る」 ちがうっしょ 12月22,23,24と停止して、25日に十字架にかかりに行く でしょ。 伝言ゲームのミス。 でも日の出の時間が長くなったからといって、12月26日は春ってことは無い。 春分以降 春らしくなって、死んだはずの大地に緑が甦るので、復活祭はそこらあたりまで先延ばしする。 で、南半球になると、12月25日あたりは、日の出がもっとも長いことになる。 北半球の冬の時期は南半球では夏だから。 でも、南半球の人だってキリスト教を信仰している人は沢山いる。 はい~  元の話しを知らず、そこから出た創作物語を、真実だと思っているから。 太陽が人間に化けて、人間の女から生まれた? その女は男とセックスしなくても太陽を生んだ? すごいです。 地球外に存在する太陽が、地球の上を歩いています。 太陽はいつから地球より小さくなったんだ? そのそも これ以上近づくと、地球の水分ひあがって生命絶滅するがな。 さて、この創作物語はなにもイエスが最初じゃない。 ホルス(BC3000年)、エジプト。 時間hoursの語源かなぁ? ミスラ(BC1200年)ペルシャ。 アッティス(BC1200)、ギリシャ。 クシシュナ(BC900年)、インド。 眺めると全部北半球の宗教。 陸つながりで、人が移動したとき、太陽崇拝の概念も持っていったってことですよね。 伝言ゲームで、呼び名は違いますが、結局は同じ内容を繰り返している。 でも、伝言していくうち、それが元々なんだったのかまで伝えていかなくなり、表面上のものだけが伝わっていくと、その根拠は?と聞かれても、 「昔から言われているから」 「自分の周りの人が同じこと言っているから」 「大勢の人がやっているから」     ↓ 「だから正しいに違いない」 となる。 何が正しいのか? 北半球のある地点から太陽を観察すると、そうなるってことが? ええ 正しいでしょう。 だから 何? でも 地点によって違うじゃない。 ってことは普遍じゃないじゃない。  すると、「物理的なことと、信仰は違う。」 「我々は聖書を文字通り起こった現象だと信じてはいない。信仰が大事なんですよ」と言う。 わからん。 現実はありえないことを盲信する事が大事? なんのために? 頭が馬で体が鹿の動物がいると信じれば、馬鹿という動物が存在する? ええ そういう論法で、そういう概念をもってすれば妄想しなくても、確かに存在しますよ。 私の目の前に! で、結局 宣教する人は、自分は神だから妄想により実体を作り出すことができると言いたいのでしょうか。 「確かに創造をするあんたは創造主。じゃあ ついでに今すぐ地球のどの時点でも、2月は冬になり、8月は夏になるように、ちゃっちゃとしてください ほらほらほら」 って言いたくなりません? 神の救いって要するに太陽の恵みのことですよね。 古代の人は太陽の存在のありがたさをよーーーーく知っていた。 太陽の動きで、いつ種を撒けばいいか知ることができ、計画的に食料を手に入れることが可能になった。 そのために太陽がとても重要で、太陽の運行をウオッチしていたわけですよね。 だからといって 太陽は人間に崇拝されないと「やーめた」と宇宙のどっかに行ってしまうか? そんなことはないですよね。 「お天とうさま ありがたやー」という人に対して、私は「そうだね」とは賛同しますが、「お天道様に謝罪しなければ、お天道様が自由に気の向くままに人間を黒コゲにする」とか「お天道さまを崇拝していれば、永遠の命が手に入る。だから日曜ごとに教会に行って、神の祝福を得ましょう 太陽を賛美し、その後で財布の紐をゆるくしましょう」などほざく人を見ると、欺瞞 だと思うんですね。 最初から「生活に困っていますから、お金恵んでください。労働 そんなもん したくないです。お天道さまの下 汗を流して働くなんて とんでもない。だから私に金くれ! お前が働いて養ってくれ」って言わんばかりの人見ると、「お天道さま 嫌っているじゃん」って言いたくなる。 そのお天道さま嫌っているものが、お天道さまの擬人化である物語を、真実であるかのように喋って、金くれってのは あまりにも虫がよすぎる。 自分ですら信じていないものを、他人に信じろとは・・・・ 馬鹿じゃないのか? そう だって 知恵の実食べてないから・・・・・。 勇気が無いから。だらしないから。怠け者だから。生きていないから。 他人に寄生して生き、自分の人生をまっとうしようとしない弱虫。 で、幸いなことに初めがあれば終わりがある。 キリスト教はうお座の時代限定のものなので、みずがめ座に入ると、去るしかない。 どういうことか? 地球の地軸は今 うお座からみずがめ座の方向に移動しており、もううお座の時代は過ぎていくころだから。 キリスト教は今じゃ処刑道具の十字架をシンボルとしていますが、初期の頃は魚がシンボルだった。 どうしてかというと、その頃 地球の地軸はうお座に移行していたから。 天体観測していたから、そのことは古代の人はよく知っていた。 だからお羊座が終わり、新時代としてイエスの時代 つまり うお座の時代とされたわけです。 で、地球の地軸は水がめ座の方角を向くので、今度は水がめのシンボルを首から提げるのが流行するかも。 新しい時代の到来として、またいろいろな宗教が太陽崇拝を軸にして、ニョキニョキ出ると思います。 とにかくうお座のシンボルのイエスは去るしかないわけです。 これが世紀末のこと。 天変地異が起こるわけじゃない。  神様が地球を滅ぼすわけじゃない。 ゆっくり地球の地軸がうお座からみずがめ座方向を向いたところで、太陽がいなくなるってわけじゃーない。 ところが、どうしたことか、最後の審判が起こり、信仰した人だけ救われるという妄想を主張する人がいて、わーわー騒いで人々の恐怖心を利用して稼ぎまくる人が出たわけです。 プラシーボ効果ってありますでしょ? 「霊を払ったからもう大丈夫」といわれた途端 肩が軽くなるって現象。 「あの人はものすごい霊能力者だ!」 じゃなくて「あんたが暗示にかかりやすいものすごい人なんだヨ!」と言いたいです。 で、いい暗示 つまり いい催眠なら そりゃいいんです。 恐怖で縛り上げる催眠をかける奴らがのさばっているのがムカつく。 世紀末に神がこの世を裁いて、信仰したものだけ天国に連れていく? うお座の時代の終わりっていつよ? みずがめ座の時代になったところで、キリスト教が終わるだけの話でしょ? 信仰をなくしたものは呆ける? とっくに呆けているでしょ。 馬鹿につける薬など無い。 「あんたが本当に神様いるというのなら証拠を見せろ。神の存在の証として、あんたのその呆けを神に治してもらってから勧誘に来てください。そしたら おお馬鹿が治った。ほんといるわ と思いますから。」 ってことを、今度勧誘してきた人に言ってみてはどうでしょうか? というわけで、宗教を宇宙規模で考えると、こんな話しになっちゃいました。 たわけ者がきたら、上記のこと参考にして撃退しちゃってください。

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー いつもありがとうございます。 元は同じ宗教なのに、いろいろ宗派が違うのは 伝える者のとられ方による伝言ゲームによるミスですね。 その中で、1999年に地球が滅ぶといった 宗教があったのですが、実際は滅んでいない。 まさしくノストラダムスと同じ事をいってたのですが、 その人はまだその宗教を信仰しています。 その矛盾があっても、その宗教を信じている信仰者は どうしてなんだろうと思ったりもしました。 その宗教は他の宗派からすれば異端と呼ばれて いるのかもしれませんが、矛盾や理解不能なことでも 信じているのが、私には気になるところなのです。 ご回答ありがとうございました。

  • taco8ch
  • ベストアンサー率7% (11/146)
回答No.26

>霊界からメールが送られた、という事になるのですが、 >神は別にし、霊界からの送受信はできるかもしれませんよ。 そうなんですよ。じつは俺も以前、 霊界にいる父から電話をもらったことがあるんですよ。 なんでも、生活に困窮しているらしく、 早急に20万円ほど送って欲しいって言うんです。 「今度、法事に行くよ」って言ったら、 電波が悪いらしく、切れちゃったんですけど。

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー でも、逆ならしょっちゅありますよね。 神社で参拝するときに、自分の将来的な 地位やお金をお願いする人が多いですよね。 言い換えれば、お金を神様にお願いしてる ことに他なりません。 ちなみに私はまだ願いがかなったことはありません。 ご回答ありがとうございました。

回答No.25

勿論僕はあなたと同じような疑問を持っていました。そして姿を現さない理由を知ってみたいとも思いました。しかし、被造物が首を突っ込む領域ではないので気にしないことにしました。例え知ったとしても、人の脳では理解できないかも知れません。それと言い忘れていましたが、 神は当然人類に自分の存在を知ってもらいたいのです。神は自ら進み出ずに、どれだけ知ってもらえるか我々人類を試しているのではないか、というのが僕の考えです。もし神を信じる者がいなくなったら、神は姿を現すのではないかと思います。聖書の黙示録には、神が天の使いを引き連れて再来する、ということが示されています。

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー お礼が遅くなりごめんなさい。 神は我々人類を試しているため、姿を見せない ようにしているのでは。という事ですね。 なるほど。そのため人類がいなくなったら、 試す相手もいないので、姿を現すということも 確かに考えられますよね。 ご回答ありがとうございました。

回答No.24

「神」の存在は分かりにくいものです。ですが確かに居ます。それも一人一人のすべての人に居ます。神という言葉よりも、もっとわかりやすい言葉でいえば『もう一つの意識』と云った方が分かり易いかも知れません。 それは誰であっても同じことなのですが、人間が「何も考えていない時に思いつく事、或いは自我意識が関与していない所での、閃き或いは考え、アイデア」と言えば分りやすいかも知れません。 別の見方も出来ます。それは人間は感情を抱きます例えば「怖い、好き、嫌い、楽しい」他にも沢山の感情が有りますが、これらの感情を沸かせているものが在ります。これは人間の自我意識ではありません。 ほかの言い方も有ります。それは、人間が「自我意識の無い時の事です。「人間は」自我意識で生きていて、そうして自我意識だけで生きていると思っています。これは『大いなる誤り』と云えます。 『人間は誰でも自分の中に二つの考えが在ります。』その事を別に変だとは思っていません。ですが昔からの「人類の記録を見た時に」是は、はっきりと記録されています。この記録とは「宗教」という形で記録されています。健常者と言われている人たちは、今言った「二つの人格」は気がつきにくい人たちと言えます。 「宗教家」という人たちの多くが若い頃に「非常に不安に駆られ易い人達だったと言う事を知る事が出来ます。不安の解決というものに対して「人類は」特別の努力を払って来たと云えます。それが各種の『宗教文化の発展という形で』今も世界中に様々な形となって残っています。 お釈迦様の言った「一切皆苦」という言葉は明らかに「精神疾患」と云えます。健常者なら、「冬の後には春が来る、或いはトンネルの向こうには出口が在る、或いは、明けない夜は無い」という言い方になります。 精神疾患の特徴は「全てに否定的になる事」と云えます。精神疾患の完治した姿とは「全てに肯定的になる事」と云えます。お釈迦様の完治したあとの言葉は「涅槃」と云う事です。是は「限りない心の静寂」「心がお互いに言い争いをしなくて本当に静かな、穏やかな心になる」と云う事になります。 人間には「心が二つ在って」その事が「精神疾患」のもとになる場合が有る、と云う事を書きました。それは不安になり易い人達、と云いました。今の時代にも不安になり易い人達が大勢います。その不安が「精神疾患」お起こしています。 精神疾患の元を正すならば、それは「心が二つある事」を知らない事によると言っても良いかと思います。一つは「自我意識」と呼ばれているものです。これは「左脳に存在する一つの人格です」是は言葉をもっていて、分別する事を専門にしています。 もう一つの意識と云うものが在ります。これはお釈迦さまが「仏性」という名で呼んだものです。これは「右脳に存在する自我とは全く違う人格です。」是は言葉を持って居ないようです。言葉にならないことを専門にしています。 長くなりそうですので、掻い摘んで簡単に述べてみます。精神疾患における「不安」と云うものは自我意識が感じていますが、不安は「仏性が」起こさせているものです。感情を沸かせるのは「仏性」の仕事です。「漠然とした不安」等は良い例と云えます。 どこから来るのか判らない漠然とした不安。これは自我意識がもう一つの意識を「無視」した生き方をしている事に因ります。無視された人格が自我意識を助けたい事から「仏性」としてのアピールをしていることです。 心の動きで説明するならば。辛い想いで自我意識がいます。「一念は楽しい事、前向きな事を提案します」ですが自我意識は「二念でそれらの提案を悉く全て否定してしまいます」この事で「仏性」は肯定的になる事を提案し続けます。これが「漠然とした得体のしれない圧迫感」と云えます。 精神疾患とは「左脳の自我意識だけを認めて、右脳の人格である仏性の提案を悉く否定しつくして、困っている状態」と云えます。 神経症などもその例に漏れないのですが、「自我意識のカラに閉じこもってしまい」もう一つの能力を使えなくなってしまう事です。その能力とは仏性の最も仏性らしい事なのですが、「無意識」の力を使えなくなってしまう事です。不眠症にしても、書頸にしても、吃音、対人恐怖、上がり症、その他にも色々と在りますが。これらの事も、全て「無意識」と云うものが関係してきます。 精神疾患と云うものは自我意識がもう一つの意識と云うものを無視していて、もう一つの意識の特徴である「肯定的な考えを」無視してしまう事と、もう一つの意識と対立を起こしているために「無意識」に入り難くなってしまう事と云えます。 精神疾患の解消と云う事は自我意識が仏性と出会うという事になります。「キリスト教的には」神と和解するという事になります。 精神疾患と宗教は関係ないと考えている人たちが大勢居ると思いますが、是は誤りと云えます。人間の頭の半分は「宗教で出来ています」精神疾患に悩ませられている人たちは「本当は自分の神、仏に」悩ませられていると云えます。そうして「神や仏」を知るという事が「精神疾患」の完治のときと云えます。 お釈迦の教え、禅の教えとは「本当は究極の心の癒しの心理学」と云えます。お釈迦の弟子も精神科医も本来の仕事が「人間の心の癒しが仕事」と云えます。ですがこんな話はあまり聞く事は在りません。私は素人です禅などは知りません。精神科医と云う人達には友達さえ居ません。専門の人たちに本来の仕事をしっかりとやって頂きたいと思うばかりです。

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー >お釈迦の教え、禅の教えとは「本当は究極の心の癒しの心理学」 これは私も思います。 私自身も自分の神を信じているため心の癒される 場合があり、精神的に楽になっています。 もしかすれば、それを熱心にすれば、もっと 心が癒されるかもしれませんが、その場合は 宇宙規模の神というのを信じないと、信仰は 難しく、それがネックになって質問させて いただいた次第です。 ご回答ありがとうございました。

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    私は宗教家ではありませんが、聖書は何回も読んだことがあります。その関係の講演会にも何度も行ったことがあります。 ところで、聖書の神(創造者)が広大な全宇宙を創造したという考えがキリスト教の基本になっています。しかしながら、創世記の最初には「神は初めに天と地をお造りになった」と書いてあるのみで、聖書の神が全宇宙を創造したということは明確に述べられていません。そもそもGensis(創世記)とは地球の創造に関する用語でそこには全宇宙の創造は含意されているとは思えません。実際、創世記の最初に具体的に書かれているのは、地球の創造に関してです。また、宇宙空間の存在する知らない人類に仮に神が説明するとしても天地の「天」に全宇宙を含めること自体無意味に思われます。 確かに、イザヤ書40章等には神の地球以外の創造に関する言及もありますが、地球から観察し得る宇宙は地球を中心にせいぜい数千光年ですから、これも神による全宇宙の創造を明確に示すとは言えません。したがって、ある人々が天地の「天」に全宇宙を含めることは拡大解釈にすぎません。 宇宙の創成から130~140億年が経過しており、宇宙の広大な広がり(300垓?以上の恒星を含む)からすれば、地球以外に知的生命体の存在する惑星が存在しないと解するのは極めて不合理なのに、聖書の教えが記述する地球上に宇宙で初めて反逆があったこと、キリストの天使の時の役割及び聖書上の神のタイムスケジュール等からすると、仮に聖書の教えと天文学上の発見を整合的に理解すると、地球上にしか知的生命体が存在しないという結論に到達します。 このような矛盾を解消する理解の方法はありますか?

  • 貴方にとって神とは何処のどの様な存在ですか?

    皆さんに質問です。クリスチャンの方、仏教徒の方、無宗教の方に限らず 皆さんに質問です。 貴方にとって神とは何処に存在するどんな存在ですか? 例えば宇宙にいる真理とか、そばに寄り添う優しい存在とか 簡単でいいので教えて下さい。 私は「神」の興味があります。よろしくお願いします。

  • 全知全能な神は存在しないことにより神は存在しない?

    全知全能な神は存在しないことにより 神は存在しない? 人の生きがいとは 自己の欲望を満たすことであり他人からの賞賛である。人は全ての欲望が満たされていない時 自己の欲望を満たすために活動することが楽しいのである。 人は 自分以外に誰(生き物全て)もこの世界に存在しないならば生きている意味を見つけることは難しい。人は満たされない欲望を満たすために生きている。 もし 人の全ての欲望が満たされたとするならば 人は何か満たされない刺激を求め始める。全てが満たされた世界に於いて 他人が同じように全ての欲望が満たされていたとしても 人は他人は自分より不幸であるとみなしてしまう。 神が人間を創造したとするならば 神は不完全な人間しか創造できない。何故ならば 人間は不完全である故に完全さを求め続けることにより 幸せを感じることができるからである。 不完全な人間しか創造できない神は 全知全能な存在とは言えない。また 神も不完全な存在である。神が不完全なら 神とは呼べない。よって 神は存在しない。どうでしょうか?

  • 人類が滅亡しても、神は存在し続けますか?

    神について、(多分)明確な答えがない質問に、ご意見をいただけますか? (1)人類が滅亡しても、神は存在し続けると思いますか? (2)神が存在しないことが実証されたら、宗教はなくなると思いますか? (3)人類の歴史に宗教というものが発生していなかったら、どんな不都合が生じていたと思いますか? 宜しくお願いします。