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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:偽悪醜の正論)

偽悪醜の正論とは?理性の限界と感情的な要素について考える

雪中庵(@psytex)の回答

回答No.1

善悪の分別は相対的であり、都合によってある人に とっての善は、ある人には悪であり、絶対的な善悪 の対立の構図は成立しません。 それは究極的に、そうした現象的評価の根底にある 存在そのものが、原理的に無(超弦における量子性) に還元されるものを、階層現象性(超弦(量子定常波) >クォーク>素粒子>原子>分子>細胞>個体(脳= 認識))を表面的に(経験的&いい加減に)捉える事で 不確定性原理による絶対確定による無限発散を回避し て、有限な存在性を派生しており、「間違い」=無だ と分からない事が有だと言えるのです。

noname#209756
質問者

お礼

価値は相対的でですね。しかし完ぺきではなく、問題を抱えているようです。 何とでもいえるというのは困ったことでもありますよね。 それには殺人、窃盗など伝統的にしてはいけないことが価値を持つんでしょうか?これらは自然犯的で道を外しているともいえますよね。 価値絶対的というのはわかりません。 でも難しい問題です。 ご回答ありがとうございます。

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