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世襲の絶対君主の短命化について
- 世襲の絶対君主の多くが30代や40代で亡くなることが多いです。
- 短命化の理由として、豊かな生活と医療の存在、統治機構の安定性を考えると疑問が生じます。
- 徳川将軍や中国の皇帝の例も見ると、世襲君主の短命化は顕著です。
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中国の皇帝の場合、ストレスが原因で短命なことが多いです。 なぜならば、中華の皇帝というのは、「天命を受けて天下を統治する」存在で、 「天地自然のすべてを統治する優れた人物でなければならない」という暗黙のルールがあるからです。 つまり、避けようのない天災や飢饉についても、皇帝のせいになってしまうわけです。 「皇帝が天に見放されたからこのような天災が起こるのだ」 という価値観は根強かったわけですね。 そしてそれを理由に、何度も王朝が後退しているわけですから。 皇帝も、それを避けようと頻繁に改元して天地自然の理をリセットしようとしたわけです。 (当然、ほとんど意味をなしません) ですので、中華の皇帝で長生きだった人は、その人物の健康への意識や治世ともう一つ、 「在位中に大きな天災が起きないこと」 「起きたとしても、見事に復興できたこと」 が重要です。 長命で有名な乾隆帝の場合、乾隆帝の父・雍正帝が倹約に努め、 また当時は経済的にも清国の最盛期を迎えていました。 これが非常に大きいです。 この潤沢な資金によって、乾隆帝は軍事活動や文化事業など、多岐にわたる政策を実現できました。 それ故、国民や臣下からの評判も非常に高く、そして乾隆帝自身のストレスも少なかったでしょう。 まさに正のスパイラルであって、乾隆帝が優秀だったのはもちろんですが、 それ以上に周囲の環境が作用しました。 乾隆帝は「天の時、地の利、人の和」を得られたわけでして、 この乾隆帝の背景をもって、他の皇帝と比べるのは酷と言うものでしょう。 清の皇帝が比較的長命なのは、 ・「皇帝は天地自然をつかさどらなければならない」という迷信から逃れられたこと(時代が後ですし、漢人ではありませんからね) ・経済的に恵まれていたこと=政治的に比較的安定していたこと が大きいです。 そして、王朝の創始者が長命なことが多いのは、 彼らが比類ない成功体験を持っているため(国を興すくらいですからね)、 結果的にストレスが大変少なくて済んだということだと思います。 創始者は、成功も失敗も自己責任です。 失敗したら「次はどうやって挽回しようか」と前向きに考えることができます。 自分の失敗を見つめ直し、すぐに取り返せる立場にいます。 しかし、2代目以降はそうではありません。 失敗=創始者と比べられる=多大なストレスを受ける という図式が出来上がります。 中華の皇帝でやたら蛮行を行う人物が出るのは、 多大なストレスの持って行き場がなかったというのも関係していると思われます。 「周の文王」の故事は、実は「ストレスを溜めない権力者の生き方」の指南でもあったのかもしれません。 北の三代目も、おそらくはストレスでしょうね。 絶対権力者として気ままに振る舞えますが、 もし統治が上手くいかなかったり、外圧があったりしたら、必ず臣下は権力者を疑いの目で見ます。 また、権力者がそう思い込みます。 かくして、ストレスのはけ口の無い権力者は孤独に陥り、粛清を繰り返し、それでもストレスが晴れぬまま死んでいくわけです。
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アジアではないのですが、近親婚による影響で有名なのがヨーロッパのハプスブルク家ですね。 極端な例でしょうか。。。
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ご回答ありがとうございます。
- eroero4649
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#2さんの回答が的を射てる気がしますが、要するに一言でいうと「基礎体力がないから」に尽きるんじゃないかと思います。 創業者ってのは、家康もそうですが若い頃から戦場を駆けずり回ったりして鍛えられるわけですね。勝ち上がった創業者というのは、もうその時点でふるいにかけられています。もし家康が精神的にも肉体的にももっと脆い人であったなら容赦なく彼は死んでいたでしょう。 ところが代が下っていくに従ってそういうふるいにかけられることはなくなります。確かに置かれる環境ははるかにそういう意味では恵まれた環境となりますが、快適な空間にいるからこそストレスに耐えるように鍛えられる機会が失われてもしまうわけです。 そうなると、ちょっとした病気やら何やらがきっかけであっさり死んでしまうことはよくあると思います。本人の基礎体力と基礎免疫力が弱いですからね。 そういう意味では、現代も同じなのではないでしょうか。今の日本は大変な長寿社会ですが、今の老人世代は若い頃は車もなくてどこに行くにも歩いていかなければなりませんでした。「学校に行くのに片道1時間歩いた」なんて話がゴロゴロありますよね。そして中年以降は栄養も生活環境も恵まれた状態で生きています。今の老人世代はスポーツにも熱心で、老人世代の体力は年々向上する傾向にあります。基礎体力があって普段から鍛えていて栄養状態もいいんだから長生きするに決まっています。 一方、最近の若者や子供世代はどうでしょうか。交通機関は発達していて、昔は「田舎の人はどこまでも歩いた」なんていわれたけど、今や田舎の人のほうが「200m先のコンビニも車で行く」といわれるほどです。家の中も冷暖房が発達していて、そんな環境で育っているから子供の体温調節能力が落ちていて、ちょっと炎天下に晒されただけで熱中症で倒れたりします。私が子供の頃は学校の朝礼で倒れるのは「体力がないもやしっ子」とむしろバカにされたくらいです。外で遊ぶ場所もなく(これは子供が可哀想)、子供世代の基礎体力は年々落ちているのが明らかです。「しゃがめない若者(子供)も多い」っていいますよね。そんな若者や子供が体を鍛えることがないまま体力のピークを過ぎた中高年になったらどうなるか。 いつか日本人の平均寿命も緩やかに下がっていくはずです。
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ご回答ありがとうございました。
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体力は落ちてますが医療技術は進歩しています。寿命がどこまで伸びるのか。将来ガソリンが貴重品になったら再び基礎体力が向上したりして。
- tanuki4u
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家斉の子供は50人以上いたにもかかわらず半数が夭逝し、50歳を越えたのは数えるほど。いくら昔だからといっても短命すぎますね。 ↓ この方の場合の、異常な幼児死亡率は、鉛です http://www.po-holdings.co.jp/csr/culture/bunken/qa/5.html 化粧品会社なので、ゆるい感じの書き方 http://d.hatena.ne.jp/jidai-show/20050724 家で紹介されている本ではもっと激しいです === 最も豊かな食生活を送り万全の医療看護 ↓ これで思い出したのが、瀉血 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%89%E8%A1%80 日本では流行りませんでしたが、ヨーロッパでは高度な医療を受け入れられる人ほど、やられている。 なので、万全の医療看護ってのも怪しいものです。
お礼
ご回答ありがとうございました。
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なるほど。昔は身分が高い人ほど、早死にだったかも知れませんね!
- tanuki4u
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88 宗門改帳を用いた江戸時代の数え2歳, 5歳, 10歳, 15歳時平均余命推計 江戸時代の乳児死亡率と出生時, 満5歳時, 満10歳時, 満15歳時平均余命の推計[55][59] 農村部では 2割から3割程度の乳幼児が死んでおり、出生時余命は30から50程度 東京各所の墓地から出土した江戸時代の江戸の満15歳以上人骨平均死亡年齢 (小林和正, 1967年)[74] ※ 死亡率の高い乳幼児期を過ぎて15歳以上になった人間でも平均で40代で死んでいる。 現在と違って 男性>女性 なのは出産時の死亡率が高かったからと思われる これらの数字を見れば、江戸の将軍は長寿の部類です。 40から50までを平均的な寿命と見れば、平均以下は 家継 8歳 家定 35 家茂 21 程度です
お礼
ご回答ありがとうございました。
- jkpawapuro
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中国の皇帝に関して言えば、仙丹と呼ばれる水銀薬を不老不死の薬として愛用していたので、水銀中毒で死んだ皇帝が数多くいるらしいです。軽くググッタだけですが、どうやら秦代から宋代まで続いたらしいですね。
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水銀は毒ですから、飲んだら大変です。 宋の後の明朝の皇帝も短命ですよ。
- tanuki4u
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%B0%86%E8%BB%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7 http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/141.html 江戸時代後期には,成人した者の平均死亡年齢は男61歳,女60歳だったというから, というのが普通だとすると 吉宗 68 長命 家重 51 短命 家治 50 短命 家斉 69 長命 家慶 61 平均 家定 35 極短命 家茂 21 極短命 長命 2 平均 1 短命 2 極短命2 家定がもともと病弱で、家茂が一種の病死(脚気だったらしい)ことを考えると、平均的な江戸後半の寿命です 家康と比較するのが、他の将軍にはかわいそう。 あれだけ長命だから天下をとれたわけですから。 秀吉没年61歳 75まで、つまり1612年まで生きていたら、秀頼は19歳です。 石田三成52歳 東軍 加藤清正 1611年没 田中吉政 1609年没 山内一豊 1605年没 本多忠勝 1610年没 生駒一正 1610年没 井伊直政 1602年没 松平忠吉 1607年没 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84 ここでの東軍武将 21名中7名 つまり 三人に一人が、もし秀吉が75まで生きていたら、先に死んでいる。 ※ 井伊直政のように戦傷がもとという場合もありますが、7名というのは決して少ない数字ではない。 また、小早川秀秋も死んでいます。 信長が50ではなく、あと25年長生きしたらどうなっていたか? 要は、初代で天下を取るには、人並み外れた長命というのも重要な資質であるということです。 その長命な初代と比較されては、平均的な寿命の二代目以下が可愛そうです。 それでも同時代で最も豊かな食生活を送り万全の医療看護を受けているはずです。加えて、統治機構が最も安定しているはずの王朝中期の世襲権力者が長生きできない理由として何が考えられるでしょうか? ↓ これに関しては、家茂の脚気は、いいものを食べ過ぎたためとも。
お礼
徳川将軍で60歳を越えたのは家康、綱吉、吉宗、家斉、家慶、慶喜の6人。 50歳以下で死んだのは家光、家綱、家継、家治、家定、家茂の6人。いい勝負ですね。 ただ、家斉の子供は50人以上いたにもかかわらず半数が夭逝し、50歳を越えたのは数えるほど。いくら昔だからといっても短命すぎますね。
- Greenbaum
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将軍家の子供は、その多くが乳幼児の時点で死んでいます。乳幼児で 死亡してしまう率が高かったのは、母親に原因があります。将軍の 御台所や側室たちは皆、公家や高級武家育ちの華奢・脆弱な身体で あったため、赤ちゃんが健康な体で生まれてくることが少なかったの です。しかも、乳母が胸まで白粉を塗った乳房で授乳をしていたため、 乳児が鉛毒にかかったことも大きな要因といわれています。 ヨーロッパでも言えることですが、貴族は同じ身分同士で婚姻をする ので遺伝的に虚弱体質になります。こうした遺伝的に虚弱体質な女性 ばかりを母親としていたのですから、将軍が総じて病弱となるのは当然 でしょう。尚、徳川ではオットセイ将軍以外にも暴れん坊将軍が長生き しています(笑)。 中国では例外的に長生きをする皇帝が結構いて、70歳を超える皇帝が 10人以上もいました。特に清の乾隆帝は89歳という、とんでもない長寿 でした。中国の場合、侍医たちは医者の中でも特に優れた者たちである だけでなく、始皇帝の不老不死の探求の伝説にも見られるように、二千 年以上に渡って皇帝が「食」によって長寿を保つための秘訣を探求し 続けた成果といえるのかもしれません。 尚、明代は漢民族の王朝であったため、家柄を重視した可能性が高く、 徳川家と似たような状況になったのではないかと考えられます。逆に 清朝は異民族の王朝ですから遺伝的健全さが保たれた可能性が高いです。
お礼
ご回答ありがとうございました。
補足
吉宗は確か、紀州徳川家出身でしたね。家斉も直系ではなかったはずです。 将軍の子供に限ると、更に短命になりますね。
- Key_A
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該当する人間の死因と時代背景、特に天災と流行病を 全て確認してから投稿しましょう。現段階では思い込みを 落書きしただけに過ぎない。小保方と同じやでw
補足
徳川幕府の将軍のうち、最も長生きしたのは乱世に生きた創業者の家康です。 江戸中期の平和な時代の将軍はなぜ、家康より短命なのでしょうね?
お礼
ご回答ありがとうございました。
補足
創業者以外で長寿の皇帝は、他に漢の武帝、唐の玄宗皇帝、明の万歴帝などが居ますね。皆、統治した時代がよく、ストレスも少なかったのでしょう。ムガル帝国のアウラングゼーブなども80歳を越えています。そういえばフランスのルイ14世も長生きでしたね。 北の3代目、確かにストレスが凄そうてす。あれは長生きできないですよ。