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江戸時代の文明レベルで南極海での捕鯨は本当に可能か

sudacyuの回答

  • sudacyu
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回答No.5

 南極海での捕鯨はありえません。  我々の世代は、日本が貧しく戦後の円が安くて外国の食糧をあまり多く輸入でない時代に、鯨肉給食で育った世代と言ってもいいかもしれません。(戦後日本に食糧援助を行ったアメリカも、日本が自力で動物性たんぱく質を確保することを奨励しました。)  鶏肉や豚肉よりも鯨肉(鯨肉の竜田揚げ!)の方が、給食に出る回数が多かったように記憶しています。  当然ながら、小学校の社会科でも捕鯨について、習いました。     日本の捕鯨は、肉を主体に利用できる物はすべて利用していました。  南氷洋の捕鯨もこの伝統に従って、肉の冷凍を中心に、肝油を絞ったりする加工工場の役割を持った捕鯨母船(数千トンクラス以上)を中心にした船団を組み、加工したものは輸送船で日本へピストン輸送する体制を取り、船団は半年以上に渡って洋上で活動しました。  江戸時代、肉の冷凍技術がない以上、肉を干物にする以外ありませんが、天日干しにするには広い面積と天候が悪くなれば収納する屋根が必要となり、船上では加工は不可能でしょう。従って手漕ぎで2日以内で戻れるれる程度の距離に陸地がないと、肉を利用することが出来なくなります。  つまり、沿岸から遠く離れた海域では、日本の伝統捕鯨は行えません。 <参考>  アメリカの捕鯨は、マッコウクジラの頭の部分にある油(油は腐らないので、常温で長期保存できるからです。)を取ることだけを目的にしたもので、肉は捨てていました。  ⇒ アメリカ近海のマッコウクジラを取りつくしたので、日本近海までマッコウクジラを取るためにアメリカの捕鯨船がやってくるようになり、水・食料・石炭の補給が日本の港で出来るように、開国を求めました。(ペリー艦隊による開国要求)  尚、油(ランプ照明用)だけを目的にした捕鯨は、石油精製技術が進み、石油からランプ用の油が作られるようになって、急速に衰えました。    「大型船の建造禁止がない」つまり外国の貿易を、日本人がやってもよいのであれば、欧米と同様の建造技術を使って、外洋船を作って良いわけですから、ヨーロッパ人と同等の交易が可能だったと言えます。  徳川幕府の外国貿易などに関する禁令が出る前には、フィリピンやベトナム・タイなど東南アジア各国には、日本人町が出来るほど日本人が進出していました。  江戸時代、幕府は対外貿易を長崎(幕府直轄地)に限って認め、日本人には外国へ出かけることを禁じていましたから、幕末に西国諸藩が禁止令を無視して海外視察に人を送り出すまで、日本人が外国にお金を払って行き来したという事例は基本的にはありません。  長崎までは外国の船・外国の人が物を持ってきます。  物を運ぶという運搬サービスにかかる費用は、当然ながら売る時の値段を高くすることで、物を買う人が負担します。買う人はサービスにお金を払っている実感はないかもしれませんが、運搬による利益は当然ながら運んだ人、つまり外国人に入ります。 (例外として、薩摩藩だけは、琉球(今の沖縄)を支配していたので、琉球との貿易をするという建前で、琉球に外国が持ち込んだ物を手に入れることが出来ました。)

noname#199335
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