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変化を迫られると日記を捨てる習性、どう思うか

大学生(20歳・女)です。 私は小学生のころから日記を書いているのですが、そのほとんどを捨ててしまっています。 捨てたところで何か変わるわけではないのですが、儀式のようなもので、何かしら自分に変化を迫られると捨ててしまうのです。 捨てるつもりで日記を書いているのではなく、取りとめのない毎日のことや、一生懸命努力していることや、その時好きな人のこととか、忘れたくないと思って書いています。 日記を書く人って、結構ちゃんと保存してある人が多い気がします。 日記をことごとく捨てる人ってどのくらいいるんでしょうか。 あまり人に話していないのですが、奇特な習性でしょうか。 メンヘラっぽいな、浸ってんな、みたいな印象になるんでしょうか。 世間一般から見てどうなんだろうと気になりました。 皆さんはどう思いますか?

みんなの回答

回答No.3

確かに、ちょっとおもしろい行動だなとは思いますが、 他の人も書いているように、これまでの自分と、これからの自分の区切りとしては、 わかりやすい行動でもあると思います。 日記を書いていることなど、他人に明かすようなことでもないし、 捨てるという行為も、わざわざ他人に教える必要もないですから、 どう思われるかは気にする必要は無いと思います。 ひょんなことから知られてしまい、変だよと言われたとしても、 「そうかなー。気持ちを切り替えるスイッチみたいなものなんだよね」 とでも軽く流してしまえばいいでしょう。 自分は変だと悩むようなことではないと感じます。

noname#202739
noname#202739
回答No.2

別にあなたのやり方でいいと思いますよ。 メンヘラ? よくわかんないな。 ちなみにぼくは自分の思いをレポート用紙に書き込んでその場で捨てることもありますけどね。 どうせ後で読み返す気もないし。 結局のところ、日記をどう捉えるかによるでしょう。 今を記録し、後で見返したい、思い出を残したいっていうんなら、 保存するでしょうし。 その時の考えをまとめれば十分なら、捨てる。 あなたのように日記帳を変えること自体が自分を変える暗示になる場合もある。 こうしなきゃならんものではないし、 そんないちいち縛られんのイヤでしょ。

回答No.1

日記を捨てるという行為自体が、 自身が「変わる」ということについて関連付けてしまっているんですね 日記を捨てる習性というより、貴女が、変化を迫られたときに、 これまでの考えだったり、思っていたことを 変化するには、捨ててしまわないといけない、と 無意識にでも思ってしまっているんじゃないですかね? むしろ、新しい日記を書き始めると 新しい自分になった気分になったりしませんか? 日記を捨てたのに、また日記を書き始める時って、 貴女にとって、どんな意味を持っているのかのほうが、大事な気がします 捨てる、ということより 日記を書き始める 日記を書き続ける 日記を捨ててしまう、ということが 貴女にとってのどんな代償行為となっているのかを 自分で分析してみると、自分自身の深いところを知る、いいきっかけになるのかもしれません 日記を2冊用意して、 嫌なことや、忘れたいこと、捨ててしまいたくなることを書く日記と 良かったこと、忘れたくないこと、大事にしたいことを書く日記とを分けてみたり 決して、メンヘラっぽいとか、そんなことはなく 捨ててしまう行為も含めて、悪いことでもないような気もしますよ

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