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形容動詞の連体形(だっ・で・に)の使い分け

OKATの回答

  • OKAT
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回答No.9

 使用例を「青空文庫」から検索し、見やすいように編集しました。目立ったことは「本気に」は「本気になる」と「本気にする」の形が多いことで、これは予想どおりでした。両方に名が見られるものもあって、どう使い分けているのか、はっきりしません。ここから帰納的に法則性を見つけるのは大変そうです。(字数制限のため、かなり省略) 検索結果 / 本気で 全110件 大事なことだから本気で聞いて下さる方がいいわ。 私はね、この頃貴 宮本百合子「心の河」 かで、自分たちが本気でそれを守り高めようとして暮している夫婦生活 宮本百合子「二人いるとき」 一発でもいいから本気で射撃さして下さい。独逸軍人の本分を尽して死 夢野久作「戦場」 山、鉱山の中に、本気で試掘を出願しているのがドレ位あると思う。些 夢野久作「爆弾太平記」 子で、爆弾漁業を本気で掃蕩し始めたのはこの時が最初だったものだか 夢野久作「爆弾太平記」 生は、アイツ等が本気で爆漁実演を見たがっていると思うていなさるの 夢野久作「爆弾太平記」 らかって、私が、本気でウクレレなんかに熱中して居るとでも思ってい 太宰治「女生徒」 分ふざけ、半分は本気で重吉の大きい体をつかまえ、少し荒っぽく、「 宮本百合子「風知草」 た。「正太さんも本気で行る積りかナア」と三吉は言ってみて、とにか 島崎藤村「家(下巻)」 くは有名無実で、本気で世話を焼くものは自分の外に升屋の老人ばかり 国木田独歩「酒中日記」 あの徳の言い草が本気でない。真実彼奴はそう信じて言うわけじゃない 国木田独歩「二老人」 同様、何か国民が本気でそれへ当っている事象への戯画化が印象づけら 宮本百合子「女の行進」 働いて、……」「本気で、そんな事を言っているのですか? いまのこ 太宰治「人間失格」 ないこと、彼女は本気で、悲しさより何かの苦しさで泣いていることを 宮本百合子「粗末な花束」 であったが、もし本気で厄除けなどを考えだしたら、今年のような世の 宮本百合子「小鈴」 黒部へゆくなら、本気で死ぬなら、どうして黙って行かないのかと。一 久坂葉子「幾度目かの最期」 ・レイナーは随分本気でとりくんでいたし、彼女の持っている聰明さ、 宮本百合子「映画女優の知性」 あない。わたしは本気で言っているんだよ。娘のみのりも不思議にきみ 松本泰「宝石の序曲」 「これ娘、お前は本気でそんな事を云うのか。私はどうしてもお前の話 杉山萠圓(夢野久作)「白髪小僧」 で、実はちっとも本気で無かったのです。本気でやってみたところで、 太宰治「斜陽」 、お互にどんなに本気で生活しているかということを知らせ合うのはあ 宮本百合子「道標(第一部)」 ねえ。わたしは、本気で行くさきを考えて、苦心したのよ」「ああでい 宮本百合子「道標(第一部)」 かりか、或る時は本気で決闘までしかねまじい程激昂したには種々の原 宮本百合子「ツルゲーネフの生きかた」 、常任幹事は半分本気で、「文化学院あたりの卒業生かなんかなら、手 宮本百合子「築地河岸」 統とも。」初めは本気でもなかつたが、おしまひに今これから行くから 平出修「二黒の巳」 のかなあ、などと本気で考えるようになる。 仕事はある。しかしそれ 大杉栄「獄中記」 訳を聞くのでさえ本気ではない。どうせ返すことはあるまいと思ってい 夏目漱石「三四郎」 したりする。何か本気で不安を感じているらしいのが佐和子に分った。 宮本百合子「海浜一日」 だ」「そりゃ無論本気でしょうよ。無論本気には違なかろうけれどもね 夏目漱石「明暗」 叫んでいるのに、本気で、農民に、強制手段で向う心算であろうか。  宮本百合子「人民戦線への一歩」 興味にした作品が本気で読めるだろうか。心のうちに真面目な煩悶を持 倉田百三「愛と認識との出発」 ないとか、それを本気で云い合った。しまいに喧嘩のようになった。「 小林多喜二「蟹工船」 だく。こっちは、本気で言っているのだ。それこそ、も少し、真面目に 太宰治「如是我聞」 検索結果 / 本気に 全172件 のような戦慄を、本気に感じたのでした。「美男子の件はとに角、その 太宰治「美男子と煙草」 はないのである。本気に私の姿を浮浪者のそれと見誤ったらしい。底本 太宰治「美男子と煙草」 と。断行せよ。○本気になれぬ。○ゆうべ、うらない看てもらった。長 太宰治「古典風」 ―と、徳次は瞬間本気にさう考へ、自分のはしたなさを悔んでゐた。「 田畑修一郎「医師高間房一氏」 に訊いたら、彼は本気になつて考へこみ、何かしらそんなことがあつた 田畑修一郎「医師高間房一氏」 ん」といった。「本気になりそうだわ――ある? そんな家……もし本 宮本百合子「明るい海浜」 からの田舎者で、本気に将軍家の発狂やら白痴やらを信じてゐるんだか 太宰治「右大臣実朝」 書物を買ってきて本気に研究したこともあった。彼はその当時、従来の 太宰治「葉」 て、戯曲の勉強を本気にやるのだ。本気にやるということは、つまり結 宮本百合子「杉子」 本気にやるのだ。本気にやるということは、つまり結婚すればあきらめ 宮本百合子「杉子」 今度という今度は本気になってなんとか身の振り方を付けなければなら 岡本綺堂「籠釣瓶」 は主人もいよいよ本気になって、これからまじめに稼ぎ出そうという料 岡本綺堂「籠釣瓶」 であるがいよいよ本気に考へ且つ実行に移す時期が近づいたやうだ。平 平野萬里「晶子鑑賞」 さん以前には誰も本気に歌はうとしなかつたやうで、その事が反つて驚 平野萬里「晶子鑑賞」 」ラプンツェルは本気に残念がって、そう言ったのでしたが、王子はそ 太宰治「ろまん燈籠」 。いよいよ大人が本気にやり出したのです。「ホウ、そら、遣れ。ダー 宮沢賢治「種山ヶ原」 わ。――そろそろ本気に考えて、働くなら働く、お嫁にでも行くんなら 宮本百合子「氷蔵の二階」 の上りですから、本気になって物を言う時には、お坊ちゃんらしいとこ 三輪の神杉の巻「大菩薩峠」 ども、何事にも、本気になれない。二三日、何事かへ本気になったなら 太宰治「虚構の春」 二三日、何事かへ本気になったならば、僕自身をほろぼしてしまいそう 太宰治「虚構の春」 そうでならない。本気になれぬ。そういうことで、勿論、何事も出来る 太宰治「虚構の春」  と渡瀬がついに本気になって口を開き始めた。「今日の演説を聞きな 有島武郎「星座」 と、云うと小山は本気にして、「俺は、もう、何もしないから、お前と 林芙美子「淪落」 は此の頃いよいよ本気に、小説家になるより他は無い、と覚悟を固めて 太宰治「令嬢アユ」 ているその原稿を本気に書きつづけようとしたのであった。私はその夜 黒木舜平(太宰治)「断崖の錯覚」 の」彼女は柚木が本気に自分を見入っているのに満足しながら、薬玉の 岡本かの子「老妓抄」 ていやだ。僕は、本気に勉強したかったんだ。」「勉強したら、いいじ 太宰治「乞食学生」 職株ですの。もう本気になつて、松田さん松田さんつて、しよつちうの 平出修「二黒の巳」 すから、誰だつて本気になりまさあ、」とお糸さんは語調をくづして話 平出修「二黒の巳」 た。しかし僕等は本気になって互に反駁を加え合っていた。ただ僕等の 芥川龍之介「彼」 なおとなしい人が本気になるのやもの……」 私はまたその四、五年前 近松秋江「霜凍る宵」 った時、なほ子は本気になって専門医に見せることを勧めた。「何でも 宮本百合子「白い蚊帳」 上原さんの小説を本気に読むようになって、二人であれこれ上原さんの 太宰治「斜陽」 して貰はう。私は本気になつてるんだ。」「決して串戯ではありません 平出修「計画」 そのことをすこし本気に御相談なさるといいわ」と云った。「お父様は 宮本百合子「道標(第三部)」

Mister0413
質問者

お礼

たくさんの使用例をあげていただき、ありがとうございました。 このような使用例を前に、ひとつひとつ考えてみると何となく自然に思えるものもありますし、思えないものもあるようです。 「言葉の文化」とでもいいましょうか、このあたりは個人や地方・周囲の環境によっても左右されるものなのでしょうね。

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