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文明国の定義は、これで間違いないですよね?

wiz0621の回答

  • wiz0621
  • ベストアンサー率42% (182/430)
回答No.7

ではお約束通り回答します。 結局条文を読まれなかったようで残念ではありますが、(面白いのに・・・) 予想通りというか、やはり、正戦論に対しての誤解があるようですね。 本を流し読みしただけならしょうがないかと思いますが、 質問者さんが言っている正戦論の変遷は、1919年以降の 『近代国際法制度』のことです。これはウエストファリア後の体制 (または伝統的国際法制度 1648-1919)とは明確に区別され、 また、その区別も『文明的かどうか』という判断には拠りません。 その本の筆者さんもここを抑えたうえでの話をされているはずなので、 途中経過を抜いて解釈してしまうと、とんでもない方向に飛んで行ってしまいますよ。 まず、不理解を象徴する一文から。 >後に「無別戦争観」は国際秩序になる。現在のウェストファリア体制と言えるね とのことですが、まず大本として、無差別戦争論は 現在の国際秩序とは相反するものだということを認識された方が良いかと思います。 もしかしたら『差別』という意味を悪いこと、あるいは『宗教的差別』と 考えられているのかもしれませんが 差別戦争論:正しい戦争であれば、条件付きで行使可能。つまり基本的に戦争は違法。 無差別戦争論:戦争という行為は正・誤の区分ができない為、国権の発動たる戦争は合法。 となるのです。質問者さんが独自解釈で付け加えられた部分以外の、 その本をもう一度読み返してみてください。 国際秩序は戦争行使を限定的に容認することで平和を維持する差別戦争論の体制です。 では、なぜこうなったか。 前提知識が無い状態で、そういう本を読んでしまうと 曲解を重ねてしまうので、まず前提をおさらいしてみましょう。 4世紀頃:宗教による正戦論の時代  アウグスティヌスによって正戦が定義されますが、一方で『宗教的正しさ』を 根拠にしており宗教による残虐行為が正当化された時代でもあります。 異教徒(非文明国)への戦争は問題ではない、という判断が成される時代です。 16世紀 グロティウスによる国際法 (ユス・アド・ヴェルム、ユス・イン・ヴェッロ)の成立 正戦が再定義され、宗教ではなく法による交戦が定義されます。 以降の正戦論は、『法による正しさ』を根拠とすることになるのです。 異教徒の区別(文明の区別)という概念を取らないこの考えが、 国際法の基礎となっています。 17世紀 ウエストファリア条約 18世紀 フランス憲法の成立(差別戦争条鋼の成立) グロティウス正戦論の実定法化。これにより、自衛戦争などについては 合法化されることになります。ここからの体制を伝統的国際法と呼びます。 前回回答のとおり、ウエストファリア条約では秩序を破るものに対してのみ 戦争を合法とし、それ以外の戦争を違法としています。 フランス憲法も、独立を脅かす勢力への戦争に限定して合法としました。 つまり、『差別戦争論』の立場をとっています。 19世紀 科学的手法(実証主義)の導入=無差別戦争論の開始 戦争そのものの法的研究が進む一方で、戦争の区分が困難であることから、 『自衛のため』という正当化があればすべての戦争は合法(戦争は無差別) と考えられるようになります。 ここから第一次大戦までが『無差別戦争論』の時代です。 20世紀 第一次世界大戦とヴェルサイユ体制の開始 無差別戦争観が引き起こした第一次世界大戦後、自衛戦争と制裁戦争を除く 『戦争の禁止』が規定されるようになります。しかし、条文の欠陥があり、 『宣戦布告が無い(戦争ではない)状態での武力行使』 は禁止されていなかったのです。 結果として第二次世界大戦が起こり、戦後の体制では安保理の制裁と自衛を除く、 『武力による威嚇または武力の行使』が禁止されるようになり、 さらに自衛権の発動の要件も明確に定義されるようになりました。 以降、国家主権は創設効果説のみならず、(合法的成立であることを要件に) 宣言的効果説も認められるようになっていきます。 これらの経緯を踏まえた上で、現代におけるこれらの判断は、 実証主義の導入により、法は、論理的ではない宗教色(つまり宗教的差別) を排除することを指向しています。 そしてこれは文明国・非文明国という非論理的な差別であっても同様なのです。 なぜなら、これらの差別あるいは区別が戦争を生み、破壊的な結末を 生んできた歴史的な経緯があるためです。 正戦論を掲げる以上、宗教の支配する暗黒時代に堕することを 現代に生きる我々は明確に拒否し続けなければならないのです。 一方で、合意された条約・安全体制に対する破壊行為のみに限定して 制裁を加えることによって、秩序は維持されています。 もし、質問者さんがおっしゃるところの『非文明国』がこういった集団を 指すのであれば、前々回の回答のとおり、国際社会は制裁に躊躇しないでしょう。 これが平和のために戦争を限定的に行使する現代の体制、 言い換えれば差別戦争論(正戦論)の体制なのです。

ibld
質問者

お礼

なるほど、なるほど。まぁ私は本の受け売りなので反論しません。 ウェストファリア体制の解釈も受け売りです。 特に、この本の著者の影響を強く受けています。 『歴史問題は解決しない』 http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AF%E8%A7%A3%E6%B1%BA%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%84-%E5%80%89%E5%B1%B1-%E6%BA%80/dp/4569816878 (No3の返答は、私独自のただの暴論。No4の返答は他人の褌。) ここで、強調して言いたい事は、私は「著者の意図を読み間違って読んでいる」可能性があります。 なので「私が書いた文章=著者の主張」ではありません。 そのため、もしよろしければ、実際に本を読んでみて下さい。 そして、異論があるようでしたら、著者に対し反論してみて下さい。きっと私なんかより、まともな回答が得られると思います。この著者って面白い方で、ニコ生で討論バトルとかの挑戦状(ブログのコメントなどに書けばよい)も受けるような人です。(ニコ生は素顔を出すので、素性を公開する必要はあります。と言うか素性を公開できない人の意見は、「便所の落書き」レベルなので当然です。) あなたと著者の、ニコ生討論バトル。 これは皮肉なしに、私の見聞を深める意味も込めて、是非見てみたいです。 反論本を書くのもいいですね。 『倉山満は、ウェストファリア体制を分っていない!』 著者:wiz0621 これも、是非読んでみたい。

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