女装に見る進歩的な視点と保守的な視点

このQ&Aのポイント
  • 女装についての進歩的な視点と保守的な視点について考える
  • 異性装とはジェンダーや性的役割に関わるものであり、男性が女性の服装を選ぶ理由には様々な要素がある
  • 女装には進歩的な要素もあり、個人の自己表現やジェンダーの解放を求める動きも存在する
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女装に見る進歩的な視点と保守的な視点

以前、ここでの質問で「スカートはなぜ女性の服?&スカート男子の疑問」 http://okwave.jp/qa/q8692669.html がありました。 異性装というのは生物的性別ではなく、ジェンダー(文化的?な性別)あるいは性的役割だそうです。 私が思うのは、性的な自認がたとえば、男性である場合にずっと女性の服装をしているのは生まれてくるのは本人が「性的役割」(まとう―被服行動の心理学)を望んで女性の性的役割でいきたいということかと思います。 また、ユング心理学ではたとえば男性にはアニマ(女性の部分)があるので、明確な区別があって、純粋な男性というのも変かと思います。男性らしさというのか。 男性が女性のアイテムを使う場合、 1.ファッション上級者(女性のものを違和感なく、男性のものの中に取り込める)(体形などを違和感なく実利で使える) 2.性的自認か、もしくは性役割を女性で行きたい人 3.倒錯などの精神的な病気の人 4.ひょっとして自然?(そこまで意識していて、女性の「性的魅力」(まとう―被服行動の心理学)のある服でも性的役割を一時期女性になる人?) 「男性のほうが女性よりも優位にある」 あるいは「劣位」として、勝手に文化が価値をきめているものですね。 4番だと本当は実は自然かもしれない話です。 男性と女性はありますね。脳の機能やホルモンなど少し違います。 いずれにせよ、この議論は生物学、男性学、人類学などまたがるもので結論なんて難しい話かと思います。 その文化がある価値をもって、それより進歩的であるあるいは革新的である人に対して、変な保守的な硬い主張もおこることがあるのかと思います。 保守的な伝統があっていて理性がどこかに問題がある場合 変な硬い保守的な主張がある中で進歩的なものがあってたり間違ってたりすることがある というのがあるように思えます。 要はある人が人って有限な情報しかもってないので進歩的な話をされてもそれがあっているかどうかわからない場合って多いと思います。やはり理性への懐疑で慎重ではあるけど、かといって進歩を否定するというのは違うと思います。当然、そこまで考えてないのであっているかどうかわからないです。それで間違って違う方向へ進歩されてもこまるので、止めないといけない場合もあると思います。 態度はどのようにあるべきでしょうか? 逆に自分では正しいことも進歩的革新的なアイデアなど存在してたりするということもあると思います。 過激な硬い否定家な理論家にどのように対処するべきなんでしょうか? もう一つ、女装って上記の考えになるんでしょうか?「解放」などキーワードですね。売られているスカートも実用性以外に女性を想定したアイテムですね。 参考にしました。「まとう―被服行動の心理学 」中島 義明、 神山 進

noname#209756
noname#209756

質問者が選んだベストアンサー

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  • fuukakou
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回答No.3

よく判らないけど、思ったことを。 日本では昔から異性装はありますよね。 その時々で使い分けたりもしてるよう(仕事時と私生活とか)なので、仕事上や社会的役割上行ってそうです。 また、祭祀上、異性装をすることもあったようです。 (神を降ろした状態になる時とか。人と異なる者に成る為なのかな? また、降ろす神に性別があった場合、そちらに合わせるとかもありそう) 現代でも、お祭りの時に女装する方もいますよね。 (一般人で) これは祭りの時は、いつもと違う時である種の異界となってるから(若しくはその事を表すため)なのかも。 これの発展型で、一種のお祭り的なとき(学祭や体育祭、コミケ等のコスプレが許されるとき…など)に行われてる事の理由の可能性がありますね。 この場合は、性的役割とは違う気がします。 そして…体験リポート漫画で昔読んだのですが、女装趣味の方の倶楽部みたいなのに行った時、本人が女性であったため、編集の方に代わりに体験してもらってのリポートで。 肩の力が抜けて表情が柔らかくなってた。っての印象的でした。 こんな格好して、顔を引き締めてるのはバカらしい と。 ガチガチの格好をしてれば、ガチガチの状態になるんでしょうね。ひらひらのやわらかふわふわを身に付けることによって普段の自分から解放されるってのもありそうです。 (ここでも性役割は関係が無さそう) 女装趣味と性嗜好(同性愛)は別物のようです。 もう一人の自分(別の人)になる、分かりやすい方法なのかも。(本人の脳内で別と分けやすそうで、その気に自然と成れるとか)

その他の回答 (3)

回答No.4

私が仕事で滞在した西サモアでもタイでも、女性化した 男性が社会的に認められており、髪にハイビスカスを 挿した男性が男性同士手をつないで、普通に街を歩いて いました。 どのような個人の趣味も、社会的に不利をなす場合は、 社会進化の中で“悪いもの”にされます。 西サモアもタイも文化的に成熟しており、人口的にも 飽和しているので、人口抑制の意味で社会的に正当化 されていると考えられます。

  • a_hona
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回答No.2

歌舞伎や宝塚のように、男性が女性を、女性が男性を演じる場合もありますよね。アニマやアニムスの話をするなら、これらの演劇における表現の方が、それらがわかりやすく現れるのではないかと思いました。 アニマとは男性の中の女性像であり、男性はこのアニマの発達段階に照らして好みの異性を探すそうです。始めは肉感的なセクシーな女性、次の段階では清楚なお姫様、さらに上の段階だと知性を帯び始め、最終的には聖性を備えた一種性別を越えつつある女性(このような最終段階にあるアニマは現実には見つけ難いので、絵画などの芸術に表されることが多いようです。)。 ユングのような古典を参照することが保守的と言えなくもないですが、今でも十分に通用する見解だと思います。 ファッションやルックスでいえば、異性の風合いを取り入れた出で立ちと言うのは往々にしてワンランク上の男前や美人を生み出しますよね。 その点については賛成です。 また、性差に囚われないこと自体が進歩的である気がしますが、違うのでしょうか。人間としてどうか、と言うことが問われるようなシチュエーションであれば、ジェンダーや、性同一性で悩むこともないはずです。 実際には、性同一性障害の苦しみは相当のものがあると思いますが、人間性こそが問われる社会になれば良いと思いました。

  • asisai888
  • ベストアンサー率15% (11/73)
回答No.1

非常に難解な文章で、まるで下手な翻訳家が書いた文章を解読をしてるような気持になりました 一応理解できたと思うので回答します >過激な硬い否定家な理論家にどのように対処するべきなんでしょうか? 対処する必要はないと思います 仮に本当に進歩的であるならば、保守派の意見なぞ時間とともに自然淘汰されてしまうからです 進歩的であるならば主張を続けることで次第に受け入れられていくことでしょう >もう一つ、女装って上記の考えになるんでしょうか? 1の場合は女装ではないと思います 男性のものの中に女性のものを取り込むとあるので あくまで男装でしょう 2の場合も性的役割は女性でいきたいという心情を仮に持っていたとしても それを見る側の人はオカマとして接すると思いますので 性的役割は女性でいきたいという心情の表れであると素直に受け取れないと思います 3の場合、精神的な病気という人は、私はわかりません ゲイやレズの人は遺伝疾患であるらしいですが精神的な病で女装をする人は どのような病名がついているのでしょうか? 4の場合、2の場合にみられるような女性の役割を生きるという自覚なしに 女装をするという意味でいいんですよね? 性同一性障害の方はなぜ自分が男装をさせられるのかと幼い頃に疑問に感じたりすることが あるそうなので、そのようなケースであれば自然なのでしょう

noname#209756
質問者

お礼

ありがとうございます。参考になります。 おっしゃっていることは正確かと思います。 本当に進歩的であればうけいれられるのですね。 なるほどです。

noname#209756
質問者

補足

4の意味の記述が不足してまして。ユングのいうアニマ(女性の部分)を持たない純粋な男性であれば、全部の時間を純粋に男性の性的役割でいいと思いますが、女性の部分を持っているとすると体型さえ違和感なければその表現が女装ということもあると思いましたので。女性は男性のものを着ますが、男性は近代のシンプルさから縛られているといえば、縛られていると思いますので。

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