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薬物使用について
こんにちは。 以前から疑問に思っていた事がありましたので、皆様のご意見をお聞きしたいと思います。 前日、某芸能人A氏が覚醒剤取締法によって逮捕されました。 それ以前にも芸能人だけでなく、一般人にもその使用、所持によっての逮捕者が後を断ちません…。 しかし、何故これら(覚醒剤だけでなく、薬物法によって所持、使用の禁止されている物全て。)は禁止されているのでしょうか? 私の知る知識では、薬物とは常習性が高く禁断症状によって心身共に害をなします。 それは私だけでなく、他の一般の方も知る知識でしょう。 それなのに使用者が後を断たないのは、その使用の際に普段の生活では得られない快楽の為だと思われます。 その両方の知識を知る者であるならば、自己責任として薬物の使用を何も国が取り締まる事をしなくても良いのでは?というものが今回の質問です。 確かに重症(軽症も?)者が錯乱して他者に危害を与える可能性はあります。 しかし、それは何も薬物だけでなく酒による泥酔によるものもありえますし、同じく飲み過ぎれば身体を壊します。 同じように煙草も使用頻度によっては、病を自身だけでなく他者にも引き寄せます。 また、高価な薬物を購入する事で金銭トラブル(強盗、空き巣等を含む。)を起こし、社会的地位や生活、精神的安定感を壊すというのであれば、それは何も薬物だけでなくパチンコや競馬等のギャンブル全般にも言える事ではないでしょうか? では何故、薬物だけが国によって禁忌とされているのでしょう? 世界ではいくつかの国が薬物(一部の種類)が合法化されています。 それは国によって管理されている場合や、特に許可証も無く購入出来る国もあります。 では何故日本はその使用の管理を認めていないのでしょうか? …多くの場合、その使用頻度によっては害を与えます。 しかし、酒や煙草、国公認ギャンブルでもそれは同じ。 使用頻度を適切(薬物を水で薄めて濃度を下げるとか出来るのであれば?)に使用するならば、国管理の中、その使用を認められても良いのではないでしょうか? 世の中には必要悪という言葉があります。 その事柄は確かに悪い事と認められていますが、社会性だけでなく人間関係を円滑にする為に黙認されるものも沢山あります。 その1つとして、薬物使用の際に得られる快楽を上手にコントロールし、自身の生きる糧とする活力には成らないのでしょうか? どうかこの質問に、こんな感じでは?と、賛否両論のご意見をお聞かせ戴ければと思い書き込みしました。 …ただ1つ、誤解の無い様に言わせてもらいますが、何も私は薬物を合法化しろ!とか使用を進める推進派ではありません。 酒も付き合い程度でしか飲みませんし(下戸なので。)、煙草も吸いません。 ギャンブルでは冬のボーナスを全て捨って胃を痛めてから、今はお小遣い適度に嗜(たしな)むくらいです。w 長年疑問に思っていた質問ですが、先のニュースによってこれは機では?と質問してみました。 カテゴリーは何にすれば良いのか悩んだのですが、回答者様の人生観からの良し悪しを得たいと思いますので、あえて人生相談の部類に投稿します。 もう一度言いますが、私は薬物使用を認めようと行動する者ではありませんし、使用を進める者でもありません。 唯一の心配は、サイバーパトロールによって閲覧を除外され、この長年の疑問に皆様のご意見が聞けないかもしれない事です。w
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元薬物依存者です。わたしなりの意見ですが。。。 薬物特に、覚醒剤には酷い幻覚や禁断症状などがあります。 依存するとなかなか辞めるのは困難だし、薬をするのが当たり前のように 頭が狂ってきます。自分は大丈夫。と思ってても全然大丈夫じゃない。 1度すると抜けれなくなります。切れ目になると死ぬほど身体がしんどくなり すごい眠くなります。それを逃れたく、またしての繰り返し。。。。 覚醒剤をすると眠くならない、お腹がすかない、しんどいのが一気に吹き飛びます ハイ状態になり自分に自信が出てき、特に女ではセックスの要求も強くなり あそこが濡れ敏感になります。 禁断症状状態が酷くなると暴れて人を襲う場合とかもあります 自分では、何をしてるかわかってないです こういうことも踏まえて禁止されてるんでしょうね。覚醒剤は人を変えます 煙草やお酒は依存性はあるものの軽いもんだとわたしは思います
覚せい剤とアルコールと言う点で私なりに回答させていただきます。 確かにどちらも依存性と耐性があります。でもその度合いが薬物は高いのでコントロールがききにくい。心身ともに害を受け中毒症や死に至りやすい、だから劇薬指定や違法とされるのでしょう。 ただ、私個人は覚せい剤というとヒロポンを思い出します。その時代に生きていませんが、戦中と戦後に堂々と政府が嗜好品扱いで大日本製薬からヒロポンとして売られていたこと、特攻隊犠牲者の事、兵士たち、軍事工場の労働など、戦争に覚せい剤を使用した事実、そして戦後に耐性からより高い水準のものを求めるために錠剤から注射薬に移行し多くの中毒者を出した事実、劇薬指定、覚せい剤取締法を出した時点では既に100万人近い中毒者がいた事実、精神病扱いで収容施設に言い方は悪いですが押し込んだ事実、第三国人が日本人の手先を使い資金を荒稼ぎした事実、敗戦国としての辛かった時代、などを踏まえ合法に踏み切るには苦すぎる背景を抱えていると思います。治験済み?といえばそれまでですが、多くの人が疲れないという事から薬局で買いあさり、もちろん体に無理を生じて廃人同様となってしまった責任はどうなっているのかが不明な点、更に論争が過去の戦争問題に発展しかねない事実(ヒロポンが何か政府が謝罪と保障を出した事実があるなら私の認識不足ですが)これをたかが個人の快楽追求のために合法にする価値があるかどうか。犠牲者の遺族の気持ちを逆なでしますし、その死を無駄にする気もします。 一方酒は昔から微生物によって発酵過程で作り出されたと思います。紀元前5000年あたりから確かに耐性によって高いアルコール度を求めて人の手によって作られ始めても、その長い存在歴史に対し、短い間に薬物のように多くの中毒者や死者を出した事実はないと思います。長年のベストセラー本?である聖書の中ですらぶどう酒の存在が書かれています。その存在期間の長さを持って安全性としているのかもしれません。(これは私の憶測です)もちろんマオウのアルカロイドから日本人学者によって単離された覚せい剤原料物質のエフェドリンももともと自然界のものだといえばそれまでです。しかしアルカロイド原料から変換したもので、危険である事は否めず、更に脳に直接作用します。(その後USに研究をさらわれたのは薬と権利の金の卵を逃がした気がしますが) この存在した時間と、過去の使われ方やその被害数、離脱コストなどから合法にはならない方が懸命だと思われます。本来気持ちが落ち込んだり疲れた人がそれを薬で解決しようとする思想が既に間違っています。(最も違法なのに手を出し自滅に向かう人は自然汰といえます)何かあるとすぐに精神科に行き、簡単に薬を飲んで解決しようとする動きも恐ろしいです。 私のいる国は薬物は常識的に違法としてくれています。ギャンブルは合法です。違法のものは罰金の良い収入です。ギャングや戦争の耐えない国の武器調達資金源にもなりますので違法で大変結構です。ただ人の体を心配して違法にしているだけとは思えないのは、ヘロイン中毒者にメタドンを配って勝手に注射させて黙らせている点です。ある病院では薬物中毒者は地下の精神病棟に閉じ込め隣は墓地です。でもこれも一応違法だと呼びかけたにもかかわらず手を出して勝手に自滅したのだといえばそれまでです。落ちていくものに世間は冷たく無駄な税金を使いたくないのでしょう。 正しい教育が必要に思いますし、事実をきちんと子供達にも教えていくべきでしょう。そして身近な人間から薬物はすすめられます。やせ薬、元気になる、高揚できるなどで無実の無知な主婦や学生、風俗などに蔓延していきます。もちろん違法なのでいかがわしい人間の資金源です。そしていかがわしい人間自身はそんなものを使っていないようですよ。罪ですね。必要悪の名目で無実の人間が淘汰されていくのはあまりに残酷でしょう。人との付き合いや関わり方に厳しく注意するように親は子供に教えるべきでしょう。(余談すみません)
お礼
お返事が遅れて申し訳ありません…。 rexnthomasさんの細かい説明ありがとうございました。 覚醒剤とアルコールの観点からの回答ですが、その点は私もお互いの依存性の事は考えました。 その観点からの焦点は「効き目の強さ」でしょうか。 私は下戸なのでアルコール中毒患者、またそれに近い毎日飲む人の気持ちはあまり飲み込めません。 もちろん覚醒剤の常習者の気持ちもですが。 ただ逆に言わせてもらうと、私としてはどちらも同じ中毒者なのです。 飲酒をすれば暴言を吐いたり暴力を振るう人を沢山見てきました。 その相手に与えるダメージの差はあれ、覚醒剤を使用した際の錯乱状態は、酒のそれと変わらないと思うのです。 そこにある差は、その様な状況に行きつくまでの速さでしょうか。 それなのに酒は合法(というか分かりませんが、ここではそう言います。)で、覚醒剤だけが禁止とされるのがおかしいのでは?と思うのです。 また、rexnthomasさんの言われている通り、戦中の日本ではヒロポンという商品で薬物が売買されていた事実ももちろん知っています。 あの時代、数多くのヒロポンが出回って(CMもあったかと。)国民に一時的ではありますが、戦争への意欲、並びに戦後の復興意欲を高める活力を与えていました。 しかし、当時の日本は何もヒロポンだけでなく様々なものに酔っていた時代で、それは個の酔いではなく国家全体が酔っていた(回答にあった誤った教育ともとれますね。)のであり、本来自己責任で背負う代償が国家の責任としての敗戦へと繋がり、またしわ寄せが国民へと負担された経緯を見ると、確かにヒロポンを使用したと言っても彼らは被害者と言えるでしょう。 そしてその薬物中毒の犠牲者の遺族の気持ちも分からなくはありませんが、それは飲酒運転にて死亡事故を起こされた遺族も同じではないでしょうか? 過去、僅か数十年前までは過酷な労働を強いられている長距離ドライバーの半数は飲酒運転をしていました。 (事実、私が入社仕立ての頃に働いていた時、客として来店する飲酒運転をするドライバーを幾人も見てきています。) もちろん当時としても違法でしたが、戦中戦後程ではないにしろ、週に数時間も寝れないサイクルで地方と都内を行き来するドライバーには、飲酒をしないとやっていけない程過酷な労働でした。 (その様な過酷な労働は現在でも改善されていません。) しかし、その後ニュースでも数々と飲酒運転による死亡事故の多さから法整備が整い、今では一発免取以上の重い罪となりましたが、飲酒自体は特に規制はありません。 その為、飲酒による暴力事件にて死亡事故を起こしたとしても、それは傷害罪扱いで飲酒の為で起こした事件ではありません。 でも被害者側からすれば、飲酒さえしなければ殺されずに済んだかもしれないという憤りがあるのです。 むしろ酷いと「飲酒の内の喧嘩」として事故扱いされ、傷害罪と取られない場合もある事を考えたら、酒もある程度規制をすべきではないか?と思うのです。 例えば免許制や配給制という手もあります。 …でも現実ではそんなものはありません。 しかし、それって不公平ではありませんか? ヒロポンも飲酒も、時代は変われど当時の嗜好品には代わりなかったのです。 だが、方や規制され方や半野放し状態。 その状態が被害者にとっては同じようにやるせないと思うのです。 それならば、飲酒を規制、もしくは禁止しても罪は無いのでは…と。 もしくは、その依存性が強いというのであれば、覚醒剤のそれを静めた物を開発し、酒と同じ様に新しい嗜好品の1つとしては?と考えてもみました。 そんな事柄からどこか不公平感を感じ、逆説的に覚醒剤の規制に疑問を抱いたのです。 …と、そんなアンチテーゼを唱えてみた次第です。 ただ1つ興味深く読ませてもらったのが、「精神科に行き、簡単に薬で解決する」という点。 こちらからの観点から、ひいては薬物による症状改善の合否への話の流れは初めて聞きましたのでとても興味をもちました。 私は精神科に通った事はないので、そこでの薬物使用に善悪があるかは分かりません。 しかし近代医学が発達し、薬物、特に脳内麻薬やホルモンによって人間の精神バランスが大きく左右される発見もされています。 この様な様々な研究から今後は覚醒剤に近い薬物(ぷちヒロポンみたいな?)のが開発されるやもしれません。 その時、日本ではどの様な動きがあるか? それが今から楽しみではありますね。 以上、とても興味深いお話を聞かせて戴きありがとうございました。
お礼
こんばんは。 経験者からの生の声を聞かせてもらいありがとうございます。 症状、そして後遺症としては、例えが悪いですが、一昔前によく観た刑事ドラマみたいな快楽と禁断症状がやはり現れるのですね? そう言えばアメリカではsexの最中に薬物を使ってハイになるのも聞いた事があります。 そしてやはり最大の焦点は「錯乱して周囲の人に暴力を振るう」ことでしょうか。 ここまで行くと流石に規制するのは理解出来るのですがね…。 (禁断症状にて体を壊すのは自己責任だと思いますので。) …と、確かに結果だけ見ると害だらけな気がします。 しかし、どうも納得がしないのです。(私がひねくれているだけでしょうが。) 一言で言えば勿体ない気がするのです。 大昔、動物が火を恐れ、人間は火を操る術を覚え、結果として進化の差が出たのを考えると、薬物も使いようがある気(モルヒネのような。)がするのです。 例えば中毒物質を少なくした新薬を作るとか、常習性を抑える成分も含まれていたりとか。 そんな事を考えてる時点で病んでいるのかもしれませんが。w でも何か釈然としなくて、こうだからダメっ!みたいな説得力のある回答を皆様から戴きたくて書き込みした次第です。 ところでkuromi_0102さんは薬物を絶ててから体調は良くなりましたか? 薬物をするに当たって色々事情もありましたでしょうが、今後は人身共に健康であって下さいね?