- ベストアンサー
謳歌?
青春を謳歌する。人生を謳歌したい。 という言葉はよく見ますが。 「謳歌」で辞書を引くと、 ・恵まれた幸せを、みんなで大いに楽しみ喜び合うこと http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/27454/m0u/ となっています。つまり、”一人”で謳歌することは不可能ということですか? ネットでは、謳歌には、”楽しい気持ちをかくさず行動すること”という意味もあります。 というのを見ましたが、私の辞書が間違っているのでしょうか? よろしくお願いします。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
「謳歌」 は 「歌を謳(うた)う」 と読めますが、「謳う」 というのは複数の人たち、どちらかといえば大勢と感じられるほどの人数で歌われる場合です。 つまり、「仲間」 の存在が前提となります。それも、喜怒哀楽をともにした、共有した仲間です。ということは、個人的なレベルでの表現ではないということになります。 ただ、「謳歌」 は 「褒め称える」 「喜びを歌う」 というニュアンスもあります。「平和を謳歌する」 は、ある国の国民が自国が平和であることを褒め称え、喜びを表現することといえます。しかし 「青春を謳歌する」 を 「みんなで自分たちの青春を讃える」 という意味で用いるのはいいと思いますが、「青春を満喫する」 という表現と取り違えている場合には誤用ということになるかもしれません。 しかし私の実感するところでは、現在では少し意味が拡張されて使われているような気もします。そのうちに、誤用ともいえなくなる可能性もあります。辞書の定義は、その辞書の編纂者が、厳密にオリジナルの定義にこだわるか、多少の誤用も含めて世間で用いられている用法も尊重するか、ということによっても違いが出る場合があると思います。
その他の回答 (1)
- kine-ore
- ベストアンサー率54% (808/1481)
>私の辞書が間違っているのでしょうか? : 少なくとも「みんなで」と条件付けした分だけは偏ってはいるでしょう。 漢語には「衆人揃っての帝王の徳を称えた歌」や、「吾妻鏡」などでの「(衆人のうたう)風説」のような意味でしたが、その後の国字(国語特有の用法)としては「みんなで」や「声を合わせる」意味合いや枠は外れて一人・個人での扱いにも移っています。 「(国字)時代の環境や人生の時期をよいものとしてすすんで享受すること。「青春を謳歌する」」 (「漢和大字典」学研) 「特に自分の恵まれた境遇などを、はばかることなく言動に表すこと。「青春を謳歌する」」 (「岩波 国語辞典」) 「[もと、賛歌の意]はたから見るとうらやましくも思われる環境に身を置く幸福感を、だれはばかる所無く言動に表わすこと。「平和を謳歌する」」 (「新明解国語辞典」三省堂)
お礼
ご回答ありがとうございます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 勉強になりました。