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奇特
「奇特」の意味を辞書で調べると 1 言行や心がけなどがすぐれていて、褒めるに値するさま。 2 非常に珍しく、不思議なさま。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/53148/m0u/ しかし、文化庁のサイトを見ると 「奇妙で珍しいこと」という意味は間違っていると説明されています。 http://www.bunka.go.jp/publish/bunkachou_geppou/2013_06/series_09/series_09.html 「奇妙」の意味 1 珍しく、不思議なこと。また、そのさま。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/53909/m0u/ 一体、何が正しいのでしょうか?何を信じれば良いのでしょうか? 辞書をみるかぎり、「奇特」の意味は 1.優れて他と違って感心なこと 2.奇妙で珍しいこと という両方の意味があります。 よろしくお願いします。
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- staratras
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No.3です。少し具体的な用例で補足します。ご質問のようにある言葉の意味を深く考えるときには、辞書が出発点になりますが、それだけでなく実際に多数の用例にあたることによって、その言葉の意味が深く理解できると考えます。 そこで「奇特」という言葉の用例をまず鎌倉時代末期に成立したとされる史書「吾妻鏡」について国文学研究資料館の「吾妻鏡データベース」などで調べたところ、以下の9件を見つけました。読み下し文は「全訳吾妻鏡」によります。日付は「奇特」の記述がある年月日(必ずしもその事象が発生した時とは限らない)です。 1.養和元年7月20日 人の行動 髻に札を付けるなど奇異な風体 「事の軆奇奇特といひつべし」 2.文治5年8月8日 夢のお告げによる行為 阿津賀志山合戦の時期と符合 「奇特と謂うべし」 3.建久元年8月17日 災害時の幸運 洪水で家が流されたが8人屋根の上で無事 「奇特の事なり」 4.建仁元年5月15日 人の行動 百発百中の弓射など合戦での板額御前の武勇 「人挙りて奇特といふ」 5.建仁3年6月4日 怪奇現象 洞窟内での奇怪な光景 「河向ひに奇特を見るの間郎従四人忽ちに死亡す」 6.建長2年3月20日 怪奇現象 伊勢神宮参拝中に御裳濯河の水が紅に変色 「去ぬる承久三年、此の奇特等ありと」 7.建長3年4月22日 神社での神威 「一の見事は託宣もっとも厳重、異にその奇特あるの由と云々」 8.建長3年5月15日 夢のお告げの的中 お告げ通りに男児を無事に出産 「奇特といひつべきか」 9.建長8年6月14日 怪奇(自然)現象 白昼の光り物(流星)出現 「もっとも奇特といひつべし」 いかがでしょうか、様々なことが「奇特」とされています。強いて共通点を挙げるとすれば「珍しいこと」くらいですが、ただ「珍しい」というだけではなく、むしろ現代では「奇怪」や「奇妙」というような場合に「奇特」という言葉が使われた例が多いように感じます。9の例など天文学の知識のある現代人は流星の出現であろうと考えることができますが、当時は正体不明の奇怪な光景だと思われていたことは明白です。 もっと時代が下って江戸の庶民の会話ではどうか、19世紀初めに書かれた式亭三馬の「浮世風呂」に次の2つの用例を見つけました。いずれも女湯での女性の会話です。(「日本古典文学大系本」 漢字のみ常用漢字に変換) 辰「…私どもの二番目も人中が薬だと申て、本店(ほんだな)へ遣わして起きました。」 巳「ヘエ、よく長(おとな)しく御奉公なさいますねへ。いづれサ、他人の飯をたべねばネ、他(ひと)の想像(おもひやり)がございませんのさ。たとへサ、奉公人を遣えばとてもネ。わが身をつめつて見ねば、他(ひと)の痛さがしれませんはな。どうしても、モウ、親の手を離れれぬものは、痛さ痒(かい)さがわかりません。御奇特(ごきどく)に御奉公させ申なさいます。」(二編巻之上) さる「…早く帰(けへ)つてお節の支度をせにやアならねへ。おめへンところは味噌(おむし)の雑煮(ぞうに)か」 べか「うんにや、やつぱり醤油(したじ)のお雑煮さ」 さる「そりやア奇特(きどく)だのう。おらン所(とこ)も醤油(したじ)さ」(三編巻之上) 「日本古典文学大系」ではこの二つのうち「御奇特」には「感心。並々でない…」、「奇特」には「珍しい。感心だ」という注釈が付けられていますが、江戸(東京)では昔も今も、正月の雑煮の味付けは醤油の方が味噌より一般的だと考えられるので、後者の「珍しい」には少し不審な点があります。 「浮世風呂」は網羅的に調べたのではなく、たまたま目に入った用例なので、一般化するつもりはありませんが、どちらも当時の日常生活で通常めぐりあうと思われることに対して使われていて、「吾妻鏡」のように人が一生のうちでそう何回も遭遇しないであろう「珍しいこと・感心なこと」ではありません。これは滑稽本と史書の違いも当然ありますが、「奇特」という言葉が江戸時代には庶民の間でも広く使われていたことを示すものだと考えます。 このころと比べますと、現在「奇特」という言葉はあまり使われなくなってしまったのではないでしょうか。言葉は生き物であって、その意味は時代によって変わるというのはあたりまえのことですが、こうした言葉の歴史性を抜きにして「本来の意味」を論じることは意味がないと回答者は考えます。
- kine-ore
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1.名詞用法:中世 神仏の霊験。不思議な事実。「仏神の奇特、権者の伝記」(「徒然草」) 2.副詞用法:室町期 殊勝に。「一段と奇特申し上げた」 3.形容動詞:室町から江戸初期 1)不思議なほど優れている。 2)感心だ。殊勝だ。 3)心外だ。不都合だ。 4.人柄顕彰語:江戸中期以降 「俚言集覧」には「奇特者というハ富人の善良なる者施行なとして貧民を恵むを云」とあります。 「篤行奇特者」「神妙奇特」「奇特なる孝行」などと、行いの殊勝な人物を顕彰する際の形容として特化したものです。 参考: 内務大臣官房文書課 編「大日本帝国内務省統計報告. 第51回」昭和18-19 地方別「賞与 篤行奇特者」統計表 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1450986/78?viewMode= 5.消えた言葉:今日 奥山益朗「消えた日本語辞典」(東京堂出版)に載ってしまうほどで、昨今ではほとんど死語に近いでしょう。
- kamobedanjoh
- ベストアンサー率27% (1021/3686)
古文に登場する「奇特な人」は、決して「奇人、変人」の意味には用いられていません。 歴史や伝説に残る人物としては、弘法大師などが代表的です。 「滅私奉公」という言葉がありますが、これは儒教思想に基づく忠君的精神です。 「滅私衆生」と言う熟語はありませんが、そのような精神に基づいて行動する人を褒めて「奇特な人」と言いました。長年の蓄財を消失した仏寺の再建のために寄付してしまう等の行為も、「奇特」と評価されましたが、否定したり卑下したりする意味に用いられることはありませんでした。 時代が変わると価値観も変わります。 1.優れて他と違って感心なこと・・・これが本来の意味。 2.奇妙で珍しいこと・・・これは「鳥肌が立つ」などと同様に、学の無い人の新解釈です。 古典を学んだ人は、そのような誤用や誤解は持ち得ません。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
#1です。訂正です。 >>”本来”の意味とは、辞書にのっている意味だと思っています。 ご質問を読み間違えていました。 おっしゃる通りです。 文化庁は、減りつつあるXパーセントが正しく使っており(辞書の意味)、増えつつあるYパーセントが「奇妙で珍しいこと」という意味に解しているといっています。 したがって、言葉は変わって行く、と言う自然な現象を指摘したに過ぎないと思います。 辞書は言葉に付いて行きますから、「奇妙で珍しいこと」が多数派になれば新版は変わるかも知れませんね。
- staratras
- ベストアンサー率41% (1504/3660)
文化庁の「月報」は「本来と違う意味」「本来の使い方ではない」などという慎重な表現を用いており、「間違っている」とまでは言っていません。(「月報」が引用している辞書の一つが「誤り」としているだけです) 言葉は生き物なので、意味も時代によって変わります。興味深いことは、「昔はA・Bの意味で使われたが時代が下るにつれてBの意味で使われるようになった」というような言葉だけでなく、「さらに時代が下ると再びAの意味でも使われるようになった」という言葉も存在することです。「奇特」もその一つで、再び「(賞賛の意を含まない)非常に珍しいこと」の意味でも使われるようになっている途上であるとも考えられます。 現時点ではこうした使い方は「本来の意味ではない」と考える人が文化庁の調査を見ても多数派ですから、単なる「(賞賛の意を含まない)非常に珍しいこと」の意味では使わない方が無難だと回答者も考えます。しかしこれは一種の先祖返り現象とも言えますので、「本来の意味ではない」という慎重な表現にもやや無理があるように思います。
- bran111
- ベストアンサー率49% (512/1037)
ちゃんとした国語辞典では「奇特」の意味としては 言行や心がけなどがすぐれていて、褒めるに値するさま。 が出ているだけで 非常に珍しく、不思議なさま。 というのはありません。WEBサイトの辞書と称するものは流行についていく傾向が強く、正しいものと単なる流行が混在していて、信頼性はありません。文化庁のサイトも要するにこのようなことを言っているわけです。goo辞書は「非常に珍しく、不思議なさま。」として今昔物語の例文を引いていますが昔はこの使い方があったがすたれてしまっていたところに、最近流行ってきたということでとりあえず持ってきたのでしょう。 国語には「多数決の原理」があって、多くの人が使えばそれが正しいことになります。学校教育においてはこの正しいものだけが認められており、少数意見は間違いと判定されます。したがって学校の試験や入試においては 「言行や心がけなどがすぐれていて、褒めるに値するさま。」という使い方をしなければなりません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 goo辞書への提供元:デジタル大辞泉となっていますので、しっかりとした意味提供元だと思っていますが。 辞書で意味を調べすぎると、かえって誤った意味(世間において)を知ることになるのでしょうか?
補足
>国語には「多数決の原理」があって、多くの人が使えばそれが正しいことになります。 本当に間違った使い方が多数であれば、それが正しくなるのでしょうか? たとえば、「確信犯」。 文化庁が実施した調査では、辞書に載っている意味とは異なる意味を多数(57.6%)が回答しています。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
文化庁の説明は「優れて他と違って感心なこと,という意味です。」と明記してあり、辞書と同じです。 ただ、今の人口の減りつつあるXパーセントが正しく使っており(1の意味)、増えつつあるYパーセントが間違っている(2の意味)、というだけです。 言葉は変わって行く、と言う自然な現象を指摘したに過ぎないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ”本来”の意味とは、辞書にのっている意味だと思っています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私が、拡大解釈していたようです。 ご回答にあるように、本来の意味とは、辞書に載っている意味であり、世間で多数派が使っている意味とは違う気がしています。本来の意味とはなにか。 p.s. お礼をして思ったのですが、 文化庁の調査において、「彼は奇特な人だ。」という例文を挙げ,「奇特」の意味を尋ねました。 とあるので、どうにか、言動が優れていて、感心するの意味を回答としてもよいかと思いました。 それでは、2.の奇妙で珍しいことは、どのような例文があるのか気になりますが。