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桃太郎はなぜ鬼を退治しに行ったか
neil_2112の回答
もともと、鬼というのは両義的な存在です。 つまり、人にとって一方で恐怖すべき存在であると同時に、またある面では福徳や恩寵をもたらすこともある、という相反する存在として信じられていたのです。このように両義的であって、世俗的な感覚で単純に“白黒つけがたい”存在であることこそが、その力の源泉であったと言えます。 この鬼というのも、後代には世俗化してきます。鬼という概念がいわば消費されてしまって、「単純な悪者」としてのイメージが固定化してしまうにつれて、その力があまり信じられなくなってくるわけです。 鬼がカリカチュアライズされ、具体的な「悪者」になったことで、必ずしも恐ろしい存在ではなくなった、と言えるでしょう。結果、本来は語義矛盾であるはずの「弱い鬼」、「人間に負けて退散する鬼」といったものがやがて人々の意識のなかで一般化するわけです。 しかし一方で、「福徳を授けてくれる」という鬼のもうひとつの側面の記憶も厳然と存在しています。この古い記憶が、昔話という空間ではやがて、「鬼は(どこか遠くの棲家に)財宝を持っている」という風に読み代えられていったのです。 つまり、もともと両義的な存在として信じられていた鬼は、「財宝」という善を持つ「悪者」として描かれることで、かろうじて物語のなかに昔の両義性の痕跡をとどめている、ということになるわけです。 例えばこの『桃太郎』や『一寸法師』もそうですが、鬼が財宝や打ち出の小槌、隠れ蓑といった宝物を持っているように描かれる物語は沢山あります。また、「節分」や「宝の槌」といった狂言でも、鬼が島には財宝がある、という筋書きになっています。さらに、宝物を鬼が島から引いてくる、という伝承の祭儀を行う地方は今でも割と存在しています。鬼と財宝とは、不可分なのです。 (あるいはもっと広く、鬼を「来訪神」や「マレビト」といった概念の中で見れば、『大歳の客』など、年末の異人の来訪で財産や幸福がもたらされる、というストーリーの色々な昔話も同様の射程で論じることができます) 『桃太郎』という話の成立は恐らく室町時代、広まったのは江戸初頭、とするのが一般的なようですが、要するにこの話の骨格は、民衆の中における本来の鬼の両義性というものが、「悪者」と「財宝」に明快に分離してしまって以降できあがったもので、他のいろいろな物語と素地を共通している、ということができます。 従って、ご質問に帰って「なぜ鬼を征伐するのか」といえば、「当時の鬼は悪者として想定された存在であったから」ということになると思います。説話のなかで悪事を働いていないので未だ悪ではない、という見方は一見論理的ですが、鬼という存在が仮想されたコンテキストを全く考慮していないので、少し軽率な見方とも言えるのではないでしょうか(失礼)。 この物語の時代の「鬼」は、先に書いた経緯で抽象的な悪が目に見える形になった存在ですから、既に存在そのものが悪であるべきなのです。 現代の物語や童話では、このような経緯そのものへの視点も既に失われています。ですから、浜田広介の『泣いた赤鬼』を嚆矢として、鬼に人間性を投影して共感する見方も増えてきましたが、ここまで意識が相対化されるには、相当な時間がかかっていることを考えるべきでしょう。何より、怖がる必要のなくなった鬼は、裏返しに財宝を持っているとも信じられていないわけで、呼び名こそ「鬼」ですが、実際には物語になりようがない存在です。 なぜ桃太郎が鬼を倒しに行ったか、というのは柳田国男初め、いろいろな人が分析を試みています。詳細ははしょりますが、柳田は、この桃太郎や瓜子姫、一寸法師などの話を「小子(ちいさこ)譚」と分類していて、わけても桃太郎そのものを「海神少童」として、これが「妻を求めた」という意味のことを書いています。これは象徴的に言っているのですが、(水に関係してこの世に登場する)神童が、苦難を乗り越えることでこの世に福をもたらす、という物語構造が存在することを指摘しているわけです。 つまり、この指摘に従うと、鬼を退治するというイベント(?)は、「小子」である桃太郎が成長して富をもたらすために乗り越えざるを得ない、必然的な苦難として物語上要請されたものである、ということになります。つまり大団円をもたらすための心理的仕掛、ビルドゥングスロマンにおける苦難の冒険と同じである、ということです。 ところで、『桃太郎』の出自を具体的な歴史にあてはめた回答が多いのですが、私は少しそういう解釈には疑問を持っています。昔話というのは具体性を必要としないもので、むしろ「あるところである者が」という抽象性こそが、言葉にしにくい民衆の集団的感情(エートス)を表現するために必要だから、です。つまり具体的な歴史事象と、骨格が似ているけれども具体性を欠いた物語である昔話の間の溝は、一見浅いようでいて、実はとても深いのです。 重なる所は少ないのですが、以前鬼に関する質問に回答しています。宜しければご参照ください。 http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=457436 「中国語で鬼の意味は」 (ちょっと頭が疲れていまして…読みにくい部分はご容赦下さい。補足があれば後ほど対応させて頂きます)
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