- 締切済み
助詞について
「見ることができる」と「見ることはできる」の使い分けがわかりません。同じ意味と考えて良いですか。
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
みんなの回答
- fxq11011
- ベストアンサー率11% (379/3170)
参考 助詞「が」と「は」について。 (1)ミドリムシは植物だ、(2)ミドリムシが植物だ。 (1)ミドリムシは(詳しい説明)光合成するから植物だ。 (2)ミデリムシが光合成するから植物だ。 (1)の係助詞ではさらに詳細の説明を違和感なく挿入できます。 ミドリムシは・・・・、何なんだ、どうなんだ、と期待します、すべてではないが形容詞、形容動詞が似合います ミドリムシが・・・・、どうした、どうする、と期待します、おもに動詞が似合います。 こじつけですが。 >見ることができる・・単に可能を表現 >見ることはできる・・可能な状態を説明
- kine-ore
- ベストアンサー率54% (808/1481)
この場合の「できる」という述語動詞は自動詞として、(1)<能力所有>や<能力評価>を、もしくは(2)<制約・許容>を表すために、対象格としてのガ格を必要とします。 ですから「見ることができる。」は、独立構文としては成立しますが、(1)として「見る」能力のあり方なのか、(2)での「見る」権利に触れているのかは文脈次第であり曖昧度が高く、その意味では未完成文です。 一方、「できる」という述語動詞に係助詞ハ格を使う場合は、対象格であるガ格を立てた上で、その能力や許容権利を担う主体を特定する場合に用います。 「<私は>見ることができる。」 この文の順序を入れ替えると次のようになります。 「見ることが<私は>できる。」 そして、この順序に合わせて格の入れ替えを行います。 「見ることは<私は>できる。」 このまま更に順序を戻します。 「<私は>見ることはできる。」 この構文から、当初の平叙文「見ることができる」に対し、より話者の感情・意志・主張などを加えた、いわゆる題説構文へと変化していることが分かります。 このような場合の係助詞の挿入は、第三者的な記述スタイルである平叙文をして、ある種の情意的な表現の話者の主張文へと替えたものです。そのため構文としての完成度がますます薄れており、次のように陳述を果たすための訴えや呼び掛けといったモード語を加えることでようやく落ち着きます。 「(私ならば)見ることはできる<だろう>。」「(私でも)見ること(ぐらい)はできる<のさ>。」
- fxq11011
- ベストアンサー率11% (379/3170)
確か、「が」各助詞、主格。 「は」係助詞。 >見ることができる 主語、述語(単に状況説明、他のことについても、それなりにではあるが期待可能) >見ることはできる 係助詞=関係の系にも通じ、後に続く内容が、その説明的な内容となる。 見ること、について説明、「可能」、(他のことについては言及していない)見ること、に限定して説明、何故敢えて限定か?と考えると、他のことについては期待薄い?。 見ることができる≒見える、見られる(可能の助動詞) 見ることはできる≒見えます、見られます(可能の助動詞)
「見ることができる」→「見る」ということができるというだけで、他に特に意味はありません。 「見ることはできる」→「見る」ということはできるけど他はできないということです。文法的に言えば限定という意味です。 例えば (1)あの絵を見ることができる。 →見れるというだけです。それ以外には何か意味があるわけではありません。 (2)あの絵を見ることはできる。 →見ることはできるが、触ったり、買ったりなど他の行為はできないということです。 ちなみに、「は」の後に否定が来ると他に何かあるという意味になります。
- cxe28284
- ベストアンサー率21% (932/4336)
たしか、は,既知の情報、 が未知のの情報、と云うのがあったと思います。 昔から,あの山を見ることは出来る。 木を切ったのであの山を見ることが出来る。
- gldfish
- ベストアンサー率41% (2895/6955)
助詞「が」と「は」の使い分けは勿論日本人は無意識に出来ますが、いざそれを説明するとなると日本人でも至難です。微妙に違う使い方のパターンがいくつもあり、一言で説明するのも難しいのです。 これは日本語を学ぶ外国人にはよく知られた難題なので、外国人向けに作られた解説をネットなり本なりから探してちゃんと学んだ方が早いですよ。 で、「見ることができる」と「見ることはできる」・・の例に限れば、なんとか説明は出来ます。 「見ることはできる」の裏には「それ以外は違うかもしれないけど」といった意図があります。この「それ以外」の意味ですが、「触ることは出来ないけど、見ることは出来る」とか、「あなたは出来ないけど、私が見ることは出来る」とか、「簡単に見ることは出来ないけど、見ることは出来る」とか・・・何について「違う」と条件を付けているかは様々です。 一方で、「見ることができる」にはこういった意図は特にありません。 (ただ「私は、見ることが出来る」と言った場合には、「私以外は出来ないかもしれないけど」といった意図が裏にあります。) ・・・先にも述べたように、これはこの例の使い方に限っての解説です。「が」「は」の使い方はこの他にもあります。
- jzajza
- ベストアンサー率34% (444/1296)
「見ることができる。」 安易に見る事が可能である、100% 「見る事はできる。」 見る事が出来るが、しかし・・・〇〇の出来ない条件が付加する。
- bgm38489
- ベストアンサー率29% (633/2168)
「は」は、それに限定してできる場合を言い、「が」は単にそのことができる場合を言う。 「考古博物館に行けば、恐竜の骨を見ることができる。見ることはできるが、触ることはできない。」 「~はできる」けど「~はできない」。この感覚が分かるかな?
- hashioogi
- ベストアンサー率25% (102/404)
「オリンピックの金メダルを見たり触ったりできませんか ?」 ○「見ることはできます。触ることはできません」 △「見ることができます。触ることはできません」