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人に親切を行うのは、良い事でしょうか?
- 人に親切を行うのは、良い事なのか疑問に感じています
- 親切を行うことで相手の感謝が本当なのか疑念がある
- 親切な行為が相手の成長の機会を奪ってしまっている可能性に取り付かれています
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質問者が選んだベストアンサー
その境界線を見極めるのは難しいですね。 ただ、具合が悪い人に席を譲らないのはさすがにどうかと(笑)。 あとおじいさまのこと、細かいことは分からないのですが、質問者さんのせいではないのでは? 医療関係の専門的なアドバイスを受けて、それに従った生活をしていたのであれば全く致し方ないことです。 それを一切せず、どんなことも全て自己流にお世話していたとなれば話は別ですが。 自分を「殺人者」と決めつけて、勝手に罪悪感を持つことの方がどうかと思います。 おじいさまがいらっしゃったらきっと、「自分を世話してくれた孫が4年もそんな風に思ってるなんて悲しい」って、 おじいさん悲しんじゃいますよ。 それよりも、質問者さんが「何がいいことか」を『前向きに』考えて、おじいさんとの素敵な思い出を思い出して笑顔になる方が、おじいさんも喜ぶのではないかと思います。 自分が「その人のためにはこうすべきだ」って思えばすればいいし、 そこで感謝されようが、社交辞令だろうが、逆ギレされようが、 何があってもそれがこの世の中。 自分が「何がいいと思うのか」を、相手の立場になって考えて行動するしかない気がします。本当に嫌だと思えば断るはず。断れない人もそれを受け入れているわけですから、受け入れている人の責任。
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極端なことをいえばそれは誰にもわからないことです。 あなたがお年寄りに席を譲ってあげたとして、そのせいでお年寄りは体を休めることができ、またあなたの親切に心がなごみ、それが長寿や健康に繋がるかもしれないし、逆にあなたが書いているようにその人が体力を増強させる機会を奪っているのかもしれません。 ぼんやり考えごとをしていたために赤信号に気づかず横断歩道を渡ろうとしている人をあなたが止めたら、これは親切な行為でしょう。しかし彼はこれから人を殺しに行こうとしていたのかもしれません。あなたが止めたために彼はその後殺人を犯し、被害者の命は奪われ、彼も残りの人生を刑務所で過ごさなければならなくなるかもしれません。あなたが止めなければ彼は車にはねられ、大けがをして入院し、その間に命の大切さに目覚めて、その後は罪を犯すこともなく幸せに生きることができたかもしれないのです。 だから繰り返しになりますが人に親切にすることが本当にいいことかどうかは極端に言えば誰にもわからないのです。 そして、誰にもわからないということは、考えても仕方がないということでもあります。 考えても仕方がないのですから、その時その時の判断で「これをしてあげよう」と思えばしてあげればいいし、「まあいいや、やめておこう」と思ったらしなければいい。その程度でいいのです。 それと、人に親切にするときは多少なりとも心にゆとりがあった方がいいですね。 まずは自分のことを大切にし、その上で「これならできるからやってあげよう」「ここまでやると自分の心の負担になるからやめておこう」という判断ができた方がいいと思います。 あなたのお祖父さんがなくなったのはあなたのせいではないと思いますし、少なくともあなたが殺人者だというのは誤りです。殺人というのは故意に行うことを言うのですから。ただ、自分のせいでお祖父さんの死期が早まったのではないかという気持ちが消えないということは、それが正しいかどうかは別にして、あなたの今の心にゆとりがないということですね。 そういうときはあまり無理をしないで下さいね。 多分あなたは真面目な人だからそういう気持ちになってしまうのでしょうが、今はなるべく心にゆとりを持てるようにし、そして「自分のしたことが本当にお祖父さんにとっていいことだったかどうかはわからないけれど、自分がそのときに『こうしてあげた方がいい』と判断してしたことなのだから、それを自分で認めてあげよう」と思えるようになっていただければと思います。 それと、親切というのはただ寿命が延びるかどうかで決められるものではありません。あなたがしたことをお祖父さんが喜んでくれたとしたら、それはそれで十分に意味があることでしょう。逆に言えば、あなたがお祖父さんに冷たくしたことでお祖父さんの寿命が延びたとしても、お祖父さんの心があなたのせいで暗くなってしまったとしたらこれはお祖父さんにとって不幸なことです。だから、あなたがしたことを一面からのみ考えて「自分はお祖父さんに悪いことをした」と思うのはやはりちょっと間違っていると思いますよ。
ほんとうに相手のためになればですね。 そうでなければ、余計なお節介です。 どう区別すればいいかはカンタンです。 相手から望まれたかどうかです。 質問されたから答えたというのであれば、相手はそれを必要としてるのは明白です。 ところが、聞かれてもないのに、過干渉なほどレクチャーして、「相手のため」なんて言ってるヤツはバカです。 自分が気持ちよくなったり、操作したいからやっているのです。 あなたのように「相手のためになってるのか?」って疑問をもちつづけるのは大切です。 それに親切には絶対に「自分のため」は含まれています。 席を譲るのだって、気分よくなりたい、まわりにいいように思われたいみたいにね。 常にこれは「自分のためなんだ」と思えば、感謝されなくても、何とも思いませんね。
- lamuse
- ベストアンサー率19% (44/225)
疑問を持たずに助けてあげてください。 孫に世話してもらって、恨む方はいません。罪悪感等あなたが持ったら、おじい様が悲しみます。 最後に孫に世話してもらう事は、幸せなことです。 可愛くってしょうがない孫に、世話してもらうこと。私なら、涙がでます。 私の父親も、最後、涙を流していました。 乗り越えて、困っている人を助けてあげて下さい。 私からの、お願いです。
スタンフォード大学の心理学者ケリー博士のお話です。 人に親切にすると幸せホルモンオキシトシンが分泌されます。 このオキシトシンは心臓血管系を丈夫にし、人を長生きさせます。 ストレスを感じてもそれが健康を害するすることなく癒されます。 これは親切にする側もされる方にも言えることです。 つまり親切は偽善でもないしおせっかいでもないし、オキシトシンというホルモンを分泌して人を長生きさせる行為であると定義できます。 おじいさまが亡くなられて後悔しているとのことですが、身内をなくすとどんなに努力した人でも後悔するそうです。 4年はちょっと長いので、質問者様自身が人と触れ合ってオキシトシンで癒される必要があります。 無意識に親切にしたいと思う気持ちが生じるのは、人間に備わった自然の力でおじいさまの死の悲しみのストレスをオキシトシンで癒そうとしているのかもしれません。
- oignies
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おじいさんがなくなったのは、あなたが面倒をみたからではないようなきがしますが。年齢がくればだれでもなくなります。 年の順番になくなっていくのは自然なこと。 あと、世の中もちつもたれつなので、むずかしいことはかんがえず、ちょっとした手間ですむことであれば、ひとをたすけるのは悪いことではないとおもいます。 あなたは指導役としてこの世に存在しているわけではないのでしょう?であれば、ちょっとひとをたすけていけないはずがない。