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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:母親になるために必要なものとは何なのでしょうか)

母親になるために必要なものとは何なのでしょうか

noname#192184の回答

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noname#192184
noname#192184
回答No.5

アラフォー主婦です。 あはは。私も質問者様と同じぐらいの歳のころは、そんなもんでしたよ。 「死にたい」・「自分なんて生まれてこなければよかった」・「自分の遺伝子を残したくない」 ・「自殺したいが、周囲のことを考えると・・・」など、モラトリアム全開で青かったです。(;一_一) 今思い出せば、あの頃の自分の馬鹿さ加減が恥ずかしくてならず、と穴があったら入りたいという気持ちです。 ■>私は自分の子供が欲しいと思えません →私もそう思っていたんですが、30歳前後になると急に周囲の友人たちも私も、 どういう訳か子供が欲しくなってしまったんです。 「おい、やばいぞ!」・「タイムリミットまでに何とかしろ!」と、遺伝子からの命令のように、 焦りが襲ってきました。 もう、意思とは関係なく、そのように体ができているような気がします。 ■>「自分の血の入った子孫を残したくない」 →私もまったく同じです。才色兼備で恵まれた男女が結婚・出産すればいい、 自分は関係ないと思っていました。 しかし、これもまた30歳になったときに、その考えは消し飛びました。 きっかけは、(1)親の急死(2)資産家の伯父の孤独死(3)自身がそのショックで病気になり、 肌がボロボロになり長時間働けなくなった(4)兄弟が病気になり休職した、と、 怒涛のようにヘビーな現実が襲ってきたからです。 親が亡くなっただけで、私も他の家族も病気になってしまいました。 人一人死んだだけで、家族はこんなにも苦しい思いをするのだと、身を持って知りました。 また、そのために、健康体だった私の容姿はボロボロとなり、月のものすら止まりました。 収入も減りました。頼れる家族も病気になり、私が介護と仕事を半年ほど続けた日々は、地獄でした。 「誰か助けて。苦しい。辛い。でも、こんなことは親友にもたまにしか話せない。 家族でなければ、一緒に背負ってくれないんだ」と、思いっきり、目が覚めました。(-_-;) その時です。命の大切さと、「命をつなぎたい」という気持ちを深く感じるようになったのは。 「自分の命は自分だけのものではなく、家族や人のためのもの」であるという、生命観に変わったのです。 ■>いっそ、死んでしまえば、簡単なのですけど。 これを言うと全力で阻止される社会です →あはは。私の親戚も億ション住まいで、 独居老人で孤独死しましたが、誰にも自殺なんて阻止されませんでした。 誰も気にかけないし、死後数日経過した腐乱状態で発見されました。 親戚は遺産しか頭になく、今も遺骨の引き取り手すら見つからない状態です。 死後発見された日記には、「生きていたい。結婚して子供を作れば良かった」とばかり書いておりました。 孤独死は全力で阻止されている社会ですか?現実は、ただただ、放置されています。 ニートや若者の自殺も同じ。 ■>結婚だけして、子供は産まない、という考えを受け入れてくれる相手に出会う →簡単です。日本永住権の欲しがっている外人・ED男性(近年、20代の男性の精子数は40代の半数にまで下がっている。このままでは自然妊娠が不可能になる日が近いと言われている。現在も統計的に40代の6割が中折れEDだそうで精力が絶望的な草食系男性が大量にいます)をターゲットにすればいいのです。 また、4人に1人は結婚しない日本になるのは、すぐ目の前です。 ■>同じようなことで悩んだことのある方には、「どうやって乗り越えたのか」 →結果的には、30歳過ぎて、若い時には想像もつかなかった孤独と生殖能力を失うことへの恐怖に より、その感情が消えてしまったのです。 私は36歳で結婚し、37歳で子供ができましたが、その時には高度不妊治療が必要な体になっていました。 30代前半の検査では卵巣年齢(卵子の残りの数)が10歳若く、妊娠確率が高い体ではありましたが、 結婚直後には、子宮筋腫まで見つかりました。 有名な高度不妊専門のクリニックを受診したところ、患者は何か所も転院経験がある 30代後半以上の専業主婦ばかりでした。(患者が殺到しており、排卵日などがずれると予約日もずれるので、フルタイム勤務が困難。ほとんどが追い詰められて退職せざる得ない現状) (参考) ○不妊社会 https://www.nhk.or.jp/shutoken/net/funin/ でも、私には、母親らしき心構えがちょっと出てきたと思った出来事があります。 人工授精(採精した精子をより分け、抽出したものを、子宮に直接挿入すること)の際、 医者が子宮の中をぴょんぴょんと跳ねていく精子の映像を見せてくれたんです。 「この数億のうちの一個が生き残るのが、妊娠です」、と。 その映像を観て、なんだかどの精子も命があって、一生懸命生きようと前進していくような気がして、 「恐ろしいほどの生存競争を生き抜いたのが自分達なんだな。この子たちにも、どうか、 なんとか生き残ってほしい」と感じました。 その出来事があってから、薬の副作用にも卵巣が腫れて病院へ運ばれたときも、 「この子たちを生かしてほしいんだ。たとえ、一匹でも生き残らせてあげたいんだ」という 気持ちで頑張ってしまったんですよね。(-_-;) >私がすべきことは、「母親になるために必要な心構えを備える」ことだと思うんです。 →私見ですが、お勧めなのは「まず、命の大切さを知る経験をする」ことではないでしょうか。 例)  ・不妊ドッグを受ける(独身でも高度不妊専門クリニックを受診し、卵巣年齢を検査しましょう。あと何年子供が産める可能性がなるか教えてくれます。そして、追い詰められた必死な患者達を観察してみましょう)  ・老人ホーム、精神病棟のボランティアをする(身寄りがなく、資産がない特養老人ホームの入居待ちの老人達は、精神病棟に入院している場合が多いです。彼らの気持ちを聞くボランティアをしてみてください)  ・職業的に、安楽死が避けられない職種の人の話を聞く(薬も洗剤も化粧品も、何億もの動物・人体実験の結果、生まれたのです。彼らの死生観・生命観は参考になると思います) (参考) http://nihon.matsu.net/nf_folder/nf_koramu/nf_jisatu_kimihe.html

mill4440
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 参照まで載せて頂いて、非常に勉強になります。 仰る通り、私には決定的に「命」に対する感動や「生」に対する執着が欠けているのだと思います。 二人の親から一つの「私」が選ばれる確率は400億分の1の奇跡であると言われています。そのとき死に物狂いで頑張った「私」がここで簡単に「死にたい」など、笑わせる、私もそう思います。 あの時は本能で(燐酸の反応で尻尾を動かして)頑張ったというのに、なぜ、成長すると本能的に物事を考えられなくなってしまうのか。 生まれたら、死にたくない。これは生物の正常な感覚だと思います。 私の祖母は、精神病を患っています。彼女は、ある日私に抱きつき2時間離さなくなり、結果として病院に入ることになりました。抱きつかれている間に彼女が叫んでいた言葉「死にたくない!」を、私は一生忘れないと思います。 彼女が今も何に追い詰められ、何に怯えているのか、私は想像することしかできません。病気の影響で、と両親は言いますが、彼女は実際に、「健康に生きていた」のです。 話はそれますが、私が死にたいと思うとき、必ずと言っていい程、彼女の声が聞こえます。身体を取り替えてやりたいとも思います。だけど、それはできないのです。 これまた余談ですが、私の母は看護師です。数多と人の生死を見届けながらも、いつも変わらぬ様子で帰ってくる。それほどの覚悟が私にできているか、というと否です。彼らはプロだからできる、と考えるのが普通でしょうが、その道のプロでなくても、人は子供を産みます。その心境が良く理解できないのです。 とりわけ、自分の血の入った子供を産む、ということはその血、生まれ、育ての環境、その他色んなことがあると思いますが、それらに責任を持つということです。 私も、追い込まれてみれば家族や命の大切さを知ることができるのかもしれません。そうと知った時にはもう遅いのかもしれません。でも、その時に、「そうするしかなかった」という理由は、子供には悟られたくないのです。 自殺(自死)に関してです。 孤独死を選ぶ(もしかしたら選択肢すらないのかもしれませんね)精神状態は、私にはまだ理解できていないと思います。若者の死についてもそうです。物理的には阻止されていません。ただし、誰しも一度は「人はどうやって生まれるのか」「何のお陰で今生きられるのか」「どうして死んではいけないのか」を学校なり独学なり学ぶと思います。その答えが正しいかは別問題として。そうすると、生まれた時点でもう「死ねない」のだと気づきますよね。例えば、思春期で生死について悩む中で、それを理解できればいいです。その時期に追い詰められるようなことがあり、死を選ぶとすれば、私は、それは彼らが精神的な縛りを脱した、つまり彼らにとっての「解放」であると考えます。そうでない私たちは常に「死ねない」社会に精神的に縛られている、そう考えてしまうのです。 「死んでもいいよ。でも、きっと後悔する」 そう言ってくれる人が、どれくらいいるでしょうか。 よくわからない話を展開してしまって申し訳ないです。 同じような考え方を持っていた人がいた、という事実が嬉しいのです。 morinokumazou様が子供を授かることができたのだということも。 今の私はまだ勉強不足、努力不足なのだと思います。 かつて「セックスなし」の条件でお付き合いしていた方も、結局は求め、私を責めました。その時は、これが摂理だ、と思いましたが、もっとちゃんと探せば、悲しみを分かち合える方はいるかもしれませんね。外国の方なら宗教も違います。日本よりも愛や子孫云々に熱烈な宗教が多いですが、その手もありだな、と思いました。 出産を決意するにしても、しないにしても、自分を恨むのはやめようと思います。 命の大切さとありがたみを感じる努力をして、いつか「生き残りたい」と感じることができるように。 もし、自分の血が入った子供を産みたいと思うようになるなら、その思いを恨むことのないように。 身体を張って、命の重みを教えてくれるものや人々に、失礼のないように。 私はもう少し、生きてみようと思います。

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